世界の人数はこれ以上増えないと思っていた
***
「蒸し暑い……蒸れる……黴る……腐る………」
「腐れ」
ウータイ近郊での任務。
この辺りの夏は蒸し暑い。オレは寒さには強いが、暑いのはあまり好きではないから、できれば一人で行動したい。
正直言ってこの熱血漢は暑いのだ。体温か気分の問題か。
生い茂る草をかき分けて進む。その後ろからついてくるこいつと遅れる一般兵。
実に面倒だ。一人なら無視できるこの鬱陶しい粘つく暑さも、近くで騒がれては意識せざるを得ない。
出来れば一人で行動したい。一人で。何度目か判らない溜息を心の中でついた。ままならないものだ。
「虫多い……ていうかなんだよこの蚊って奴………羽音」
「五月蝿い」
「だろ?」
しかし何故か最近こいつと組まされる事が増えた。一度、アンジールに頼まれて面倒を見た事が原因だろうか。
成程。奴が推してくるだけあって、今までの奴よりは呑み込みが早かった。ただ、それだけだ。
どうしてわざわざオレに預けたのか理解できない。そこまで執心なら自分で面倒を見ればいいだろう。
こいつの実力は、まだ1stには及ばない。奴だけでも十分指導出来た筈だが。
ぶつぶつ何か不満を呟いているらしいこいつを横目で見る。そう、なんというんだったかな。こういうのは。
煩わしい。
「五月蝿いのはお前だ。」
「元気無いからいつもより声小さいつもりなんだけど。」
「蚊よりは大きいな」
「そりゃそうだろ!」
「蝿の話だ。」
煩わしいと思った自分に少し驚く。面倒なのはいつものことだが、煩わしいのは久しぶりだ。だいたいの奴はオレに近づこうとしないんだが。
煩わしい。煩わしい。煩わしいということは、近くにいるということだ。
………ふむ。成る程。その点で言えば少し珍しい。あくまでも少しだが。振り落とされずについてくるか。
まあ、だいたいの近づいてくる奴らは、利益のおこぼれにあずかろうとするばかりだったが、さて、こいつはどうだろうか。
「なぁ、セフィロスさん?あんたよりにもよって人のことを蝿に例えやがったな?」
「それがどうした。」
「謝罪を要求する。」
「謝るようなことをした記憶は無いが、では訂正しよう。」
「おお、何故か素直だな。嫌な予感がするぜ。」
「お前は蝿じゃない。子犬だ。」
そう言った途端にキャンキャン吠えついてきた。アンジールも上手いこと例えた物だと思う。ジェネシスよりも詩の才能があるかもしれない。
………いや、似合わないな。
詩の朗読をする奴を想像した所で頭から消した。他に似合う奴を思い浮かべようとして、誰の名前も出てこない。
ジェネシスに似た奴は確かいた。昔。ただ、少し似ているなと思っただけで顔も名前も覚えなかったが。
ああ、いや、そういえばその時のミッションで死んだのか。どうやら頭の回転も鈍っている。
「ちょっと、聞いてるのかセフィロス!」
「なんだ子犬。」
「子犬じゃない!ザックス!」
「知っている。」
飽きずに吠えついてくるが、こちらはもう面倒になったので放置した。目標地点に近づいても騒ぐようならば黙らせなければいけないだろうが。
作戦の地点まではまだ距離がある。時間にも余裕がある。しかし、わざわざゆっくり進む道理も無いだろう。
周囲に人の気配は無い。ゲリラ戦が得意な相手だから油断もできないが、ちまちま進んで見つかるとなれば本末転倒
何事にも適した速度がある。中庸とはそういう意味だと、そう、説教してきたのはアンジール。
「おい、セフィロス!」
「なんだ。」
「スピード落とせよ!後ろの奴らが遅れてるぞ!」
振り返って見れば20メーター程離れて4人の一般兵。意味も無く茂みに絡まったり木の根に躓いている。
オレが無事な道を見つけて、その後ろをついてくれば良いだけだというのに何故こうなるのかがよく判らない。
隠密任務なのだから機動力の高いやつをと頼んだ筈なのだが、どうやらまたオレの希望は通らなかったらしい。
「………問題がある程離れているとは思わないが。」
「段々広がってんだよ!着くまでにへばっちまう!」
「お前はそんなに柔なのか。」
「馬鹿!あいつらがだよ!」
仕方なく早めたスピードを緩める。むしろ最初より遅くなったくらいだ。
気配を探れば段々と、あり得ないくらい遅いペースだが、近づいてくる後方の兵士。
ふむ。これならばいずれ追い付くだろう。跳ねる黒髪は口をつぐんで歩き始めた。
こいつの世話焼きな所は、少しアンジールに似ている。
「オレ一人で先行して、片付けておいてもいいんだぞ。」
「そんなことさせてたまるか。」
「お前も後ろにいて構わん。」
「誰も頼んで無いっての。」
暗い森の中、閉ざされた森の中を進む進む進む。
色々と話しかけられた気もするが、完全に途中から意識の外だ。
何の話をしているのか。興味も無いし傾けるだけ面倒だから無視をするか適当な相槌だけをうって流した。
一方的でも話し続ける所はジェネシスに似ている。
生ぬるい空気がひたすらに鬱陶しい。そのことの方が問題だった。
*
ポイントに到着。アクシデントは無し。ターゲット捕捉。
がけの上から見下ろす小さな集落。灯されたかがり火。星の位置からして、時刻も問題なし。
見張りの人数は少ない。こちらが来ていることはまだ伝わっていないようだ。
面倒でなくて良い。いや、そもそもこの任務自体がひどく面倒だが。
面倒なだけだ。面倒なだけの任務など、つまりただのいつも通りだった。
「もう一度言う。後ろに居て構わんぞ。オレ一人でできる。」
「もう一回言おう。そんなことさせてたまるか。」
真面目な所はアンジールに似ている。
負けず嫌いな所はジェネシスに似ている。
アンジールにもジェネシスにも似ている奴は、少し珍しい。
そんなことを、ふと、思った。
「では、開始だ。―――続け。」
もう暑さは感じない。駆け抜けて飛ぶ風を感じる。ただターゲットに意識を集中する。
面倒だ。面倒な仕事だ。
ウータイ近郊での任務。
敵の補給拠点となっている村の殲滅任務。
男も女も老人も子供も生きている者全てを殺して生きていた証を全て消す。
何もかもを根こそぎに、奪うことすらせずただ蹂躙してこいとは、実に趣味の悪い社長らしい任務だ。
だからなんだ、と言うつもりは無い。
ただ、面倒なだけだ。いつも通り。
崖から飛び降りて着地と同時に走る。気がつかれる前に見張りの首を落とす。
その首が地面に落ちる前に、もう二人。
血の匂い。腐臭よりはマシだ。この蒸した空気には思いのほかなじんでいた。
ようやくこちらの存在に気づいた男を斬る。
斬る。
斬る。
斬る。
そこまでしてようやく、誰かが声をあげた、敵襲だ。
その声の主を、叫んだ顔のまま切り伏せる。
ようやく騒がしくなる集落。その中に混ざる、重いバスターソードを振り回す音。
意識を取られたわけではなく、ただその方向に男がいたので、振り向きざまに切る。倒れる男の向こうに見えた、見慣れた黒髪。
オレよりも少し遅れて到着したあいつは、家から飛び出してきた子供を真っ先に斬った。
少なからず驚く自分がいる。
刀は止めない。向かってくる男を斬る。
斬る。
斬る。
横目で見ればあいつは、向かってきた男を切り、そしてその向こうにいる男ではなく、へたりこんでいる女を斬った。
そして泣きわめく子供を。妹を守る兄を。妹と同時に切り捨てる。
赤子を抱く母親を、赤子と同時に切り捨てる。
どういうことだ。
オレは混乱している。混乱している自分が判る。それでも手は向かってくる男を斬る。
前進する。
逃げ惑う女を斬る。
近くにいる者を片っ端から斬っていく。
こちらに向かってくる男を斬る。
逃げ遅れた老人を斬る。
斬る。斬る。斬る。斬る。
ようやく一般兵が追い付いた。重装備の足音がかすかに届く。届いたが、けれどこの惨状に立ち尽くしているらしい。
面倒だが、むざむざ殺させるわけにもいかない。
援護をしにそちらに向かう。一人の男が叫びをあげて襲い掛かる。途切れる叫び声。落ちる首。
そこでやっと我に返ったのか、持っていたマシンガンを男に向ける。
パララララ、と、命を奪うには軽い音。
それを掻き消す悲鳴と怒号。
任務は滞り無く終了した。
そう、滞りなく。男も女も老人も子供も差別なく血の海に沈む。
陳腐な表現だが、人の死を飾り立てたって仕方ないだろう。
滞りなく。そう、滞りなく終わるだなんて、オレは思っていなかった。面倒な任務。
どういうことだ。
どういうことだ。
思い出すのはアンジール。
兵士を全て倒した後、逃げる女子供を見て、顔を歪めて斬り捨てた。
思い出したいつかのジェネシス。
兵士を全て倒した後、震える女子供を見て、口を歪めて切り捨てた。
オレはいつだって
近くにいる者を切りやすい順番で、ただただ無心に切り捨てた。
あいつは誰だ。
驚いている混乱している動揺しているどうなってる。
どうしてあいつは優しい顔で、女子供を切り捨てた。
*
「いやー、皆無事でよかったな!」
帰り道。森の中。
蒸し暑い。
肌寒い。
「お前は………誰だ。」
「誰って、ザックスだって行きに言ったろ。あ、なんだ、お前俺がウータイ兵かって疑ってるのか?!」
「その方が、マシかもしれない。」
オレは何を言っている?マシなことなんて何も無い。こいつがウータイ兵でいいことなんて何も無いだろう。
オレは何を聞いている?
疲弊した兵士に合わせて、行きよりも遅いペースで歩く。
あの集落の情報が外に漏れる前にこの森を抜けねばまずいが、それを遅らせるための殲滅だ。一日はもつだろう。
殲滅。殲滅。この言葉がつきまとう任務は、たいていいつだって面倒だった。
「お前は、女子供を斬ることに、躊躇いは無いんだな。」
「………そういうセフィロスは?」
「…………オレは」
「ごめん、意地悪なこと聞いた。そうだな、確かに俺は躊躇わないよ。」
こいつは何故謝るのだろう。違う、最初に“意地悪なこと”を尋ねたのはオレだ。
けれど、判らない、どうしてお前はそんな優しい顔をしている。
何故穏やかに笑う?
オレは認識を改めなければいけないのだろうか。
少なくとも、俺の知る限り、任務の後でこんな顔をする奴はいなかった。
こいつは誰に似ているんだ。こいつは誰だ。
「お前は、むしろ、女子供を優先して殺しているように見えた。」
「…………そこまで見てたのか。さっすが。」
「何故だ?」
「………女子供をいたぶるのが好きなゲス野郎とか、男と闘いたくないチキン野郎だとは思わないのか?」
「思えない。」
「……………」
「………思えた方が、楽だった」
殺戮狂いなら腐る程見た。戦争に溺れた者なら腐る程見た。
ただ、違う。そういう輩はそんな顔を浮かべない。どうしてお前は微笑んでいる。
判らない。判らない。
蒸し暑い。肌寒い。虫が煩い。沈黙が長い。
どうやら、オレは大分動揺しているようだと、らしくもなく混乱しているようだと、頭の中の冷静な部分が答えた。
「………殲滅、任務じゃん。」
「ああ。」
「全員、殺すじゃん。」
「ああ。」
「だったら、俺でいいかなって。」
判りたく無い!
オレの心が叫んだ。それを冷静に観察する理性。オレは、どうやら認めなくてはいけないらしい。
葛藤。こちらの内面になどまるで気づいていないのか、チラチラとこちらをうかがう気配。
湿った空気を静かに深く吸い込んだ。星は木々に覆われて見えない。諦めて目線を黒髪に向けた。
オレは知らない。こんな奴をオレは知らない。
お前は
「ほ、ほら、今日一緒だった奴らの中で、ファンってんだけどな、あいつと話してたら、これ、戦闘初任務なんだって、」
「…………」
「そ、それでさ、やっぱ、初任務だしな、自己防衛ならできるとは思うけど、自分からってのは、多分、まだ、辛いだろ、だから……」
「…………違うだろう。」
「………え?」
判りたく無い。判りたくなどないのだ。理解などしたくないのだ。
けれど判る。こんな時にも失われない理性が若干恨めしかった。
お前は
「お前は、そのファンとやらの為だけに動いた訳では無いだろう。」
「!」
「お前は、他の3人も、守ろうとしたんだろう。」
無抵抗の女を殺すという罪悪感から。
無垢な子供を殺すという罪悪感から。
ただ、旅人に、旅団に、住まいを、食を、提供していただけの、無知で無罪の人々を殺すという罪悪感から。
そう、あの村人達は補給拠点になっていたとも知らなかったのだ。
様子を見るに、男どもは多少知っていたようだが。まさかこのようなことになるとは思っていなかったのだろう。
ああ、虫が五月蝿い。
守ろうとしたのだろう。村人ではなく、あくまでも部下を。なんと愚かな行動。
どうせここで経験せずとも、いずれ経験する。
そもそも、新米の癖にこのような任務に派遣されるということは、将来もこのような任務につかされる可能性が高い。
どうせ、後ろ盾もなく、たいした実力も無いままの使い捨て要員の筈だ。
そんなことは知っているだろうに。わざわざ名前を覚え、心を砕くだと?
何が腹立たしいといって、何が恐ろしいといって、そのことだけでなく。
「…………そこまでお見通しか」
頭をかいて苦笑するこいつに、オレは喉まで出かかった言葉を飲み込む。
《「オレ一人で先行して、片付けておいてもいいんだぞ。」》
《「そんなことさせてたまるか」》
お前は、オレまで守ろうとしたんだ。
なんと愚かな。既にオレはお前など比べ物にならないほどの命を奪っている。
一つの強がりも無く、オレはその事を、ただ、面倒だとしか思っていない。
なんて愚かなんだ。人の痛みを理解できるこいつが、傷ついていない筈は無いのに。
躊躇わない。他人の為に自分が傷つくことを躊躇わない。その優しさで人を殺す。
知らない。こんな奴をオレは知らない。
オレの世界にはいなかった。
「お前は、何なんだ。」
「何なんだって……ザックスって何回言えば判るんだよ。」
「お前のような奴は、見たことが無い。」
「そりゃ、俺がいっぱいいても気持ち悪いだろ。」
「お前は」
言葉が続かない。オレは何を言おうとしているのだろう。何がいいたいのだろう。
虫だけが絶えることなく鳴き続ける。
まとわりつく不快感。湿気?気温?そんなものではない。
「……お前は、優し過ぎる。」
「……んなことは、ねぇよ。」
「お前の、優しさは、いつか、身を滅ぼすぞ。」
「んなことはねぇよ。」
にっこりと笑って、どうして笑えるのか、オレには判らないが、にっこりと笑って、言う。
何故この場で笑うのか。少し遅れてついてくる一般兵に、この恐ろしさは伝わらないのだろうか。
オレの心はどうなっている。何を考えている?何を思っている?判らない。ただオレは馬鹿みたいにこいつを眺めている。
「優しさってのは繋がるもんだ。俺が死ぬとしたらそりゃ俺がミスったってだけだよ。優しさが身を滅ぼすなんてあるもんか。」
「…………」
「あ、虫が鳴いてる。」
「は?」
唐突な話題についていけない。落ち着け。これでは本当に馬鹿だ。ああ、早くオレの心を捕まえないと。
しかし今更気がついたのか?虫が鳴いていることに?こんなにも響き渡っているのに?
こんなにも自分のことを愚かだと思ったのは久しぶりだった。こいつの言葉が理解できない。見ている世界が違いすぎる。
「虫が、鳴いてる。」
「…………。」
「ないてる。」
判らない。少し後ろを歩くこいつがどんな顔をしているのか、オレには判らない。
立ち止まったこいつが何を思っているのかなんて判らないが。
大きなため息をつく。どうやらようやく納得のいく答えを見つけたらしい。自分は。
そう、一つ、判ったとするなら。
こいつは誰にも似ていない。
何処にもいない、奇跡的な馬鹿だった。
子犬と馬鹿だったら、どちらがマシなのだろうと、柄にも無いことを考える。
しかしそうか、アンジールが推してきたのはこういう理由か。成程。確かに見たことのないタイプだ。
「………行くぞ、ザックス」
「おう」
駆け寄る音がして、オレは振り向かないまま歩き続ける。
「つーかさ、優しいってんならセフィロスもだろ。全部一人で背負いこもうとしてさ。」
「………違う。オレは全員で行動するのが面倒だっただけだ。」
「ふーん?」
いつの間にか肌寒さは消えた。
蒸し暑さが戻ってくる。
それは気分のせいなのか。
それとも
「あっ、そういえば」
「………なんだ」
「俺、セフィロスに名前で呼んで貰ったの初めてだ。」
この熱血漢のせいなのか。
暑いのは好きではないけれど、
煩わしいとは思わなかった。
***
自分の世界はとっくの昔に閉じていて
世界の人数はこれ以上増えないと思っていた
ただ、誰かに似た誰かと、誰かに似た誰かだけが増えていくだけ
全てを受け止める優しさをオレは初めて知ったんだ