And But Cause I love you


彼が全てを手に入れた日 あるいは抱擁

ありがとう



***



「ティファ」
「どうしたの?こんな早い時間に」
「………夢を、見たんだ」
「へぇ、珍しいね」
「俺だって夢くらい見るぞ」
「そうじゃなくて、クラウドが夢の話をするのが」
「………そうか」

夜明け前のミッドガル。起き出したクラウドに気がついて声をかけた。ベッドに腰掛けて、窓の外を眺める彼。その傍へと歩く私。
さっきまで寝てたんだろう。シーツはぐちゃぐちゃになっている。隣に立った私にも、彼は目をやることなく、ただ窓の外を眺めるだけだった。
別にクラウドの朝が早いのは、珍しいことじゃない。ずいぶん遠くまで配達に出かける時だってあるし、そんな時は夜明け前に出発したりもする。
いや、それどころか真夜中に出発することだってあるのだ。だから、こんな時間に彼が起きてきたってそれは取り立てて騒ぐようなことじゃないとは思う。
だけどそれは仕事がある時の話であって、今日は、今日は仕事なんて入っていないはずなのだ。
直接私が確かめたわけじゃないけれども、昨日デンゼルと遊ぶ約束をしているのを見た。マリンと一緒に、草原へ、花を摘みに行こうと。
デンゼルがこっそりと、「剣を教えてね」と囁いていたのを私はちゃんと知ってる。私にばれたら怒られるとでも思ったんだろうか。
確かに、危ないことはするなと口をすっぱくして言いすぎたかもしれない。なんていうか、格闘家が言うセリフじゃないよね、と少し反省した。
だからそう、夜明け前に起きだして、ぼんやりと窓の外を眺める彼に気がついたのは偶然だ。本当に、偶然。こんな時間に起きる予定なんて無かった。
店の準備をするにも早すぎる時間だし、気配に敏くてよかったなあと思う。なんとなく、この状態の彼を一人にしておくのは憚られた。
とはいえど、私は正直な話、彼が何か話してくれることなんてあんまり期待していなかった。沈黙だけが落ちても仕方ないと。
「なんでもない」「大丈夫だ」「気にするな」「ごめん」。そういうことを言う時に、なんでもないなんてことがあるはずないし、大丈夫だった時なんてないし、気にしないわけにもいかないし、謝られたって何もないはずなのになんで謝られてるのかわからないしで、結局もやもやするというのが毎度毎度のパターンだったのだけれども。
毎度毎度のパターンだったから、どうせ今回もそうなんだろうと私は半分以上諦めていた。
だけど返って来たのは、いつもの「なんでもない」じゃない返事。夢を、見ていた。夢。夢、かあ。
それはまさか子供が将来を夢見る、とかじゃないだろう。夜眠っている間だけ許された突拍子もない夢想。
それを思い出しているのか、クラウドの目は窓の外を向いたまま帰ってこない。私はさっきまで何の夢を見ていたのか、もう思い出せなかった。
窓の外。まだ暗い。だけど少しだけ白み始めた空の端。もう明かりをつけなくても室内の様子は分かる。だけど、彼のその曖昧な表情を見るには少し足りない。
それくらいの、夜の明かり。星はもうその姿を消し始めているけれど、窓を開けなくても分かる。空気が澄んでいる。
この街じゃあ本当に珍しいくらいに、綺麗に、透明に、澄んでいる。世界が海の底に沈んだかのように透明な濃紺。
美しい景色だと思う。この世界に生まれてよかったと思える。だけどでも多分、クラウドが見てる景色は今じゃなかった。今のここを、彼は見ていなかった。

「それで?どんな夢だったの?」
「……覚えてない」

思わず、呆けた顔をしてしまう。そんな私の様子にも彼は気がついていないんだろう。でも、そう、これもまた予想外の返事だった。
てっきり何か、生々しい悪夢を見たのかと思っていたのだ。彼が夜うなされている事が多いのを私は勿論知っている。飛び起きる彼の気配を知っている。
もしかして、また何か無駄に隠しているのかと思ったけど、そうでもないらしい。彼は顔に出るのだ。自分では気がついてはいないようだけれど。
どうやら無表情で無愛想で感情がよく読めない奴だと自分をそう思い込んでいるらしい。彼は自分の表情が豊かなことを知らないのだ。馬鹿みたいだけど。
そういうのは、うーん、ヴィンセントくらいならともかく、って感じ。あと、リーヴとか。クラウドは悲しい時は悲しそうにするし辛い時は辛そうにする。わかり易い。
やっぱりまだ暗い部屋の中で、ようやく私の方に振り向いた彼の顔に浮かんでいたのは、多分、微笑みだった。よく見えないけれど、そういう顔をしていた。
今にも泣きだしそうな微笑みだった。
ここでようやく私は思い違いに気がつく。そうか、そっか。
クラウドが過去を振り返るときはいつだって悔やんでばかりだったけど、だから今回もそうだと思い込んでしまったけれど、どうやら、違うらしい。

「エアリス、が、死んでから、ずっと悪夢を見てた。ザックスのことを思い出してからは、あいつもそこに加わった」
「うん」

私が促さなくても話し出すなんて今までにあっただろうか?いつだって必死に問い詰めて沈黙ばかり返されてきたというのに。
彼が座るベッドがギシ、と軋んだ。よく見えないけれど、彼の左手がシーツを強く握りしめている。だけどクラウドは話すのをやめない。自らの悪夢を進んで語る。
知ってるよ、とは言わなかった。彼が悪夢を見ていることは知っていたけれど、その見ている景色はきっと、私には決してわからないものだろう。
彼が見る夢。私には想像もつかないような地獄なんだろう。毎晩毎晩彼は自ら地獄に落ちていくのだ。自分で自分を罰し続けるのだ。
最初はそれを見ているのがひたすら悲しくて、だんだんそれは怒りに変わっていった。なんで、そんな、ずっと、過去ばかり。
まあ、ここで怒りに変わっちゃうところがなんていうか、ちょっと乙女としてはよくないのかもしれない。
だけど実際そう思ってしまったのだし、そう思って当然だろうとも思う。だから私は、今だって怒る準備をちゃんとしていた。
どうやらそんなことにはならなさそうだとは思っているけれど、ちょっとでもクラウドが失礼なことを言ったら怒ってやろうと。
静かな世界の静かな部屋の中で、彼が静かに話す声と、私の静かな呼吸だけが響く。静かに胎動する世界。
ぽつりぽつりと話す彼は本当に口下手だけれど、そのぶんそれはこの世界に染み渡っていくようだ。この海の底に沈んだ夜の中で、ぽつりぽつりと落とされる声の雫。

「夢の中で、俺はいつもあいつらを殺して、怨まれてた」
「クラウドが殺したんじゃないし、二人とも、クラウドを怨むような人じゃないよ」
「ああ。判ってる。今は。ただ、あの時はそれを判ってなかった。いや、判りたくなかったのかな」
「判りたくない?」
「俺は、許されたいって思いながら、許されたくなかったんだよ。……自分のしたことを誰かに責めていて欲しかった」
「なんか、クラウドらしいね」
「そうか?」

そうだよ、と思う。きっと彼はそのことでずっと悩んでいた。
彼は無実じゃない。それだけは確かだ。私だって無実じゃないし、私たちの全てが罪を背負っているし、世界中の全てが罪を背負っている。
世界に対して私たちは傲慢すぎた。悪意が無いことが既に罪だった。その中でもそう、彼が背負う罪の大きさは、私たち以上なんだろう。
それが実際に彼が負うべきものかどうかはともかく、背負う十字架は確かに彼の背にある。数えきれないほど。
たくさんの死を持って、そのなかでも二つ、飛びぬけて大きいのがザックスとエアリスなんだろう。
私だってその二人に対して何の責任も感じないわけじゃない。悲しくないわけじゃない。そんな言い方じゃ足りないくらいに、悲しくて悲しくて仕方ない。
だけど、違うんだ、彼はもっと直接的に彼と彼女を失ったことを嘆き続けている。その罪に苦しめられ続けている。
でも、彼が、クラウドが、本当に悩んでいたのは、十字架を背負うことじゃない。背負っている筈の魂が、彼を赦してしまうことだった。
背負わなくて、いいんだと。自由になって、いいんだと。
ほんの少ししか付き合いがなかった私にだって分かる。きっとあの黒髪の気の良い青年は、誰のことも恨みなんてしなかっただろう。
最後の最後までクラウドを心配し続けていたと、最後の最後まで自分に全てをくれたのだと、途切れ途切れの記憶でクラウドは教えてくれた。私にもなんとなく分かる。
きっと彼は笑顔で死んでいった。エアリスだって、そう。彼女は、全てをこの星のために捧げて、世界を愛したまま消えた。
彼女が降らせた雨の優しさと暖かさに気がつかない人なんていない。そんなことを、クラウドはとっくに、ずっと前からわかっていた。
最も大きな罪は、既に自分のことを許してしまっていると、恨んですらいなかったのだと。背負うべき十字架なんてないのだと、クラウドは気がついていた。
そこで、必死になって背負い続ける所が彼らしい。うなされ続けてもひたすら自分を地獄に落とし続けるところが彼らしい。
そうやって、自分で背負うと決めているのに、許されたいのだと願う所がもっと彼らしい。
クラウドほど、自分勝手に、だけどひたむきに、彼女と彼を想い続けた人はいないんだろう。

「……ただ」
「うん?」
「今、さっき、見てた夢は、違う、んだ。覚えてないけど、そう、……暖かかった。穏やかで、何かに包まれてるような」
「うん」
「判らない、判らないけど、皆、笑っていたような気がする」
「みんな?誰かほかにいたの?」
「……覚えてない。誰もいなかったような気もするし、今まで会った人全てがいた気もする。覚えている、のは」
「うん」
「幸せ、だった。ありえないくらいに。夢だって判ってしまうくらいに、ただ優しかった」
「うん」
「俺は、多分、赦されたんだ。やっと。俺自身に」
「クラウドに?」
「……だって、あいつらはとっくに俺を赦してるだろう」

なぁ、ティファ。
かけられた声で彼の目を見る。思っていたよりもずっと真っすぐ彼はこちらを見ていた。
彼のこんな目を見るのはいつ以来だろう。セフィロスを倒してからも晴れなかった彼の目。どんどん深い海の底へ、悲しみの中に沈み続けていた彼の目。
最初はただただ見ていて悲しかった。そうしてだんだん、怒りが湧いてきた。過去しか見ない彼に。悲しみから逃れようとしない彼に。
だけどいつの間に、彼はこんなふうに人をまっすぐ見れるようになっていたのだろう。輝いているわけではないけれど、もう濁っていない穏やかな目。
その目の静かさはこの夜にとてもよく似ている。そうして私は、彼の目の色がわかるほどに部屋の中が明るくなってきていることに気がついた。

「不思議だな。悪夢は今でもはっきりと思い出せるのに、この夢は起きた瞬間に朝もやみたいに消えたんだ」
「それは」
「悲しくないのに涙が出そうなんだ。実はさっきから堪えてる。悪夢を見た時よりもずっと。……本当に幸せだったのに」
「…ねぇ、クラウド」
「なんだ」
「きっとその夢、また見れるよ。ううん、夢じゃなくて現実で」
「……そうか」
「そうだよ。夢なんかじゃないこの場所で、きっと皆で幸せになれる」
「そうだな」

今度ははっきりとクラウドは微笑んだ。彼のこの微笑みが好きだと思う。作った笑顔なんかじゃない、世界を受け入れるような優しい顔
彼ほど自分勝手に、世界を愛した人はいないんだろう。優柔不断で自己中心的で悲劇的でひたすら優しいこの星の英雄。
きっと彼以外の誰かじゃあ駄目だったのだ。何もかもを迷って何もかもに苦しんで、一つも割り切れなくて切り捨てられなかった彼だから、私達は着いてきたんだろう。
もしも自分が死んだら、きっと彼は立ち直れないくらいに凹んでずっと引きずり続けて悲しみ続けて苦しみ続けて、それでも愛し続けてくれるんだろう。
私たちを忘れないでいてくれるんだろう。
それをみんな、確信している。自分は彼の前では、命を惜しまれる一人になるのだと、そういう存在になれるのだと、それをみんな知っている。
そんな彼だから、みんな着いてきた。そんな彼だから、私は彼のことが好きだ。
何もかもをふっきったような目をして、それでも彼は何もかもを忘れない。

「……そこに、あいつらもいて、生きていてくれれば、一緒に幸せになれればよかったのに、って思うのは我が儘かな」
「うーん、というか」
「引きずりすぎ?」
「まぁ、いいよ。引きずってこそクラウドっていうのもあるし」
「なんだそれ」
「それに、幸せになってもいいって、思えたんでしょ?」
「……ああ」
「だったらそれでいいんだよ。きっと。背負うんでも引きずるんでもなくて、きっと、側にいるよ。幸せなクラウドの側に、一緒に」

忘れてしまうことが怖かった。忘れられてしまうことが怖かった。この悲しみと苦しみを失って幸せになることが怖かった。
いつの間にか生きていくことが怖くなっていた。失っていくばかりの世界が怖かった。
だけど、でも、そんな世界を守りたいと願った人がいて、そんな世界を生きたいと願った人がいて、その人たちの優しさで今私達は生きていて。
赤いリボンは約束。地面に突き刺さった剣は弔い。忘れることはないんだろう。それでも生きていくんだろう。だってほら、もう夜が明ける。



***



ありがとう、さようなら

そうしてあなたたちのいない明日を迎えた

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