And But Cause I love you


アデリーヌに捧ぐバラード

生きることすらこんなにも困難だけど



***



「じゃじゃーん。見て見て!」
「おっ。なんだよ徐倫。どうしたんだそれ」
「ママがね。差し入れでこっそり」
「へえ。ママさんもやるじゃねえか」

まあ、なんだかんだ言って、あの父さんと結婚した人だから。
そう言う徐倫の顔は、随分と複雑に嬉しそうで、あたしにはちょっと真似できそうにない。
水をストローでズコーッと吸い上げながらあたしは思う。あたし?あたしなのかな。エートロが思ってるのかな。ちょっと判らないんだけどね。
あれはいったいどういう表情なのかなあ。自慢してるんだけどつらいみたいな。よく判んないや。
好きだけど嫌い、嫌いだけど好き?複雑すぎてまだあたしにはよく理解できない。
あたしの世界には、嫌いだから嫌いなものか、好きだから好きな物しかない。それか、どうでもいいからどうでもいいもの。
昼飯を食べ終わって、徐倫が取り出したのは小さい機械とイヤホン。そのイヤホンの先っちょが、ミートソースで汚れた皿の上についちゃってるのは気付いてないらしい。

「なあに?それ」
「あー。そっか。FFは知らないのね」
「ipodだよipod。簡単に言うと、音楽再生機」
「そーそー。流石にスピーカーまでは持ちこめなかったんだけどねー」
「つうか徐倫、それ充電は?」
「げ」

あっちゃーしまったー。充電コードってどうやって持ち込めばいいのかなー。
頭を抱えてしまった徐倫を見てげらげら笑うエルメェス。充電コードくらいはあたしにも判る。つまり、エートロが知っている。
さて、あたしはエートロの知識からそれの存在を理解してるわけだけど、次からはどうなんだろう。私の知識ってことにしちゃっていいのかな。
いちいち考えるのも面倒くさい。ま、どっちにしろ話が判るってのはいいことだ。
コミュニケーション。それって人間特有のものだと思うのよ。マジでさ。
イルカとかもやるらしいけど。少なくともあたしはそんなこと、この体になるまで考えたことも無かった。
スパゲッティってやつがこんなに美味いってこともね。

「あーあー。じゃあ電池切れるまでの命かあー」
「あとどんぐらい持つんだ?」
「んー。一応フルで充電されてるから、8時間くらいはもつんじゃない?」
「何入れてんだ?見せろよ」
「ちょっとエルメェス!あんまぐるぐるまわさないでよ!電池すぐ無くなっちゃうじゃない!」
「ねえねえ」
「ケチるなよ徐倫!んで、FFはどうした」
「音楽って、そんなに良いもん?」

わざわざ面倒な検閲まで通して持ち込みたくなるような?
この刑務所でも、たまにBGMは流れたりするけど、讃美歌?とかいうやつとか。ヒーリングミュージック?とかばっかりだ。
お、いいね、と思う瞬間はあっても、それだけ。
目の前で若干固まった二人は、溜息をつくと物凄い身を乗り出してきた。おおお。

「そういや、あんたの記憶の中にそういう、音楽ってないの?」
「んー。なんか、無いっぽい。記憶っていうか、意識と一緒に天国行っちゃったんじゃないかな?」
「今までお前が、こんな刑務所で流れるような退屈な音楽しか知らなかったとか……。盲点だったよ」
「ここで聞くやつってそんな変なの?すっげ楽しくも無いけど、悪くもないと思うよ」
「いいや、全然だ!」
「エルメェス。熱くなり過ぎ。気持ちは判るけど」

きょろきょろと周りを見渡す。特にこの小さな騒ぎに、誰も興味をもっていないようだった。当り前か。
音楽。音楽。音楽かあ。彼女達は、世界の一大事のように話すけれど。
それは、あたしにとっての水のようなものなんだろうか。無かったら生きていけないような。
そういう、生きるための栄養のような。

「いくつかおすすめ聞かせたげる。これとかいいかな」
「お前の、かなり色んなジャンルと国の曲ごったに入ってるなあ。クラシックとかもあんじゃん」
「まあ、ね。CDは、沢山、家にあった、から」
「あたしもCDは判るよ。なになに。CDをこれに入れンの?」
「そーそー。うわ、マジでめっちゃ入ってる。すげえな」

あ。まただ。また徐倫のあの顔。
複雑に嬉しそうな顔。痛いのに幸せみたいな。辛いのに喜びみたいな。やっぱ駄目だ。うまく判んないや。
でも、徐倫がこの顔をする時は、たいてい彼女の父さんが関わってる時だってなんとなくあたしは気付いている。
きっと、その大量のCDは、父親の物だったんだろうなあ。なんて、勝手に予測。
嫌っている筈の父親のCDを、自分のipodとやらに入れて持ち運ぶ徐倫を思ったら、ちょっと寂しくなった。
画面を覗いてみたら、確かに、よく判らない言葉も大量に混ざってる。これが日本語なのかな。
前にちょっと聞いたことがある。徐倫はアメリカ。母親もアメリカ。だけど父さんは日本。
で、父さんの父さんも日本で、父さんの母さんはアメリカだけど血筋的にはイギリス。んで、そのまた両親はイタリアと、アメリカ国籍イギリス人。
あたしは割と最初の方で頭が痛くなったんだけど、エルメェスはすげぇな!って騒いでた。超グローバルじゃんかっけぇ!って。
グローバルってかっこいいのか。成程。

「んー。これとかどう?」

イヤホンを渡される。あたしも!と片耳をエルメェスに奪われた。
耳元。流れ出すミュージック。あんまりにも大音量で、あたしは思わず外した。うう、キンキンする。

「徐倫、音でかいよ…」
「え?!嘘?!って、エルメェス!さっきいじったでしょ!」

完全に聞いてない。あたしがはずしたイヤホンもつけて完全にのっている。エルメェス、こんなに音楽好きだったのか。
なんていうか、鼻歌まで歌いだした。っていうか、これ鼻歌で済むレベル?違うよね?
これ、熱唱じゃない?
流石に周りの目線が集まり始めた。徐倫が全力で止める。ストーンフリーが出ていたあたり、必死だったんだろう。
そりゃ、せっかく手に入れたipod?とやらを没収されたくないしね。てか、いや、何より恥ずかしいか。
下手にうまいもんだから、余計目立ってる。

「なんだよ徐倫」
「なんだよじゃないでしょ!目立ち過ぎ!」
「あー、わりいわりい。つい昔の血が騒いでよ」
「昔の?血?」

昔何かあったの?
判らないので徐倫を見れば、彼女も疑問符を浮かべていた。知らないらしい。
没収した、いや、取り返したipodをごそごそとポケットに入れながら徐倫が尋ねた。

「エルメェス、もしかしてなんかやってたわけ?」
「ん?ああ、むかーしな。女子バンドで。あたしベース」
「ああ、ボーカルじゃないのね」
「ほんとはちょっとやりたかったんだけどな。でも、ベースは嫌いじゃなかった」
「ふうん」
「いや、好きだったよ。練習しすぎて、爪はしょっちゅうひび割れてた。ほら」

差し出された右手の爪は、成程いびつ。どれもどっか欠けてたり歪んだりしてる。
結構前にやめたけど直んねえんだ、と笑った。これでも大分マシになったほうなんだぜ、と。
じいと見つめる徐倫の眼。思いのほか真剣だったけど、あたしはそこまで本気で見れない。
ので、徐倫の手を見た。エルメェスと違って綺麗な爪。すこし節くれだって長い指。
徐倫もなんかやってたの?尋ねれば、小さい時にピアノを少しね、とぶっきらぼうに答えられた。
ううん。やっぱりこれもあんまり触れてほしくないらしい。なんでかな。別にいいけど。

「お前の身体の持ち主も、前にやってたんじゃねえの?」
「え?」
「右手の親指の爪すりへってる。ギターやってる奴に多いぜ、それ」
「ふうん」

音楽って、そんなに大切なものかあ。
ぼんやりと、たいした感慨も無く呟けば、二人に物凄い詰め寄られた。

「判ってねぇなぁ」
「この世界に必要なのはミュージックよ。ミュージック。音楽!」
「音楽は誰の事も傷つけねぇからな」
「あ、でも音楽家は駄目よ。だって人なんだもん。人である以上、そりゃ、誰かを傷つけるわよ」
「歌詞はまあ、基本的には大丈夫だと思うけどなあ。少なくとも、歌詞で傷つけられたことは無ぇぜあたし。」

傷口えぐられた事はあるけど。思い出したくも無いこと思い出させられたっていうか。
えぐられてんじゃん、という言葉は胸にとどめた。多分、よっぽど大切なもんなんだろうから。
音楽。音楽。ミュージック。
いつの間にか周りから人は結構いなくなってて、そっか、昼飯の時間からもう結構立ってるんだ、と気がついた。
いつの間にか徐倫はまたipodを取り出してぐるぐるしている。電池切れちゃうんじゃないか?平気か?

「FFが気に入りそうなのってどれかなあ」
「お、あたしこれ好きだけどな」
「それはエルメェスの好みでしょ!あんた本当パンク好きね!」
「スラッシュメタルも好きだぜ。HIPHOPもな」
「なぁんかあんたの好きな曲って古いのよねぇ…」

おうよ!と明るく答えて、エルメェスはまた歌いだした。今度は少し小さめの声で。
彼女が大分楽しそうなのは判るので、それはまあ、いいことなんだけど、その曲のどこがいいのかはあたしにはよく判らない。
まず、言ってる言葉の意味があんまりよく判らないんだよなあ。
白い壁に少し反響して、ハスキーな声は綺麗に響いた。この感じは、結構好き。

「んー。あ、そっか、FF、結構ヒーリングミュージック悪くないって言ってたわよね」
「そーだね。嫌いじゃないよ」
「おい徐倫。もっとどぎついのをだな」
「あんたのは激しすぎンのよ。はい、これとかどう?ピアノ曲のアレンジmix」

さっきの音量のことがあるのでおそるおそる耳にはめる。
ちゃんと調節されているらしく、今度はちゃんと流れてきた。うん。うん。うん。

「え、ちょ…。大丈夫?!FF?!」
「平気かお前!!」
「え?何が?」
「何がってよぉ…」

泣いてんぞ、お前。
そう言われて気付いた。おや。あれ?あたし泣いてる。なんでだろ。なんでだ?
なんか胸が苦しい。なんか苦しい。ちっとも楽しくない。楽しくないけど嫌じゃない。
悲しいけど嬉しい。辛いけど幸せ。なんだろうこの感覚。判んないな。わかんないや。エートロは教えてくれない。
だからきっとこの感覚は、彼女が自分の物として、天国に持ってっちゃってたものなんだろう。なんだこれ。

「大丈夫?」
「うん。ねえ徐倫」
「何?」
「これさ、最初の方に聞こえてくるの、なんの音?」
「最初?」

イヤホンを片方返す。最初から巻き戻される。流れる。流れる。

「ここ」
「ああ、これ?」

海の音よ。

「そっか」

そっか。これが海の音か。
海に囲まれた刑務所だけど、高い塀が有るし、そんなに外でないしで。
あたしは初めて海の音を聞いたんだと気がついた。
そうか。そっか。これが海の音か。へえ。そっか。
エートロはそのくらい知ってるはずなんだけど、やっぱりその記憶も天国にもってっちゃってたらしい。
じゃあ、今聞いてる海の音は、これを聞いて感じてる感覚は、あたしのものか。
これはあたしの気持ちか。

「なんかさ、胸、苦しいんだけど」
「おー!FF、それが感動ってやつだぜ!」
「感動?とはちょっと違う気がするけど、間違ってもいないと思う」
「なんじゃそりゃ」
「ね、もしかしてさ、それ」

懐かしいんじゃない?

「懐かしい?」
「あ?FFこの曲聞いたことあんのか?」
「違う違う。そうじゃないけどさ。もともとFFってプランクトンでしょ?」
「うん」
「水とか海とかって、母さんみたいなもんなんじゃないの?」

母さん。
なんと。母さん。あたしの母さん。お母さん。
そうか、これは、あたしのお母さんの音楽なのか。これは母さんの音なのか。
なんかちょっと胸がさわさわする。母さん。あたしにいるなんて思ってなかったけど。
偶然、銀の柱に写ったあたしの顔は、父さんについて話す徐倫の表情とそっくりだった。
ああ、成程。あんた、こんな気持ちだったのか。
こんな気持ち抱えて、人間ってのはいつも音楽を聴いてるのか。
凄いな。やっぱ。あたしにはまだまだ判らないけど。でも、ちょっとだけ判った。
成程。音楽ってのは偉大だ。



***



結局あたしはその後徐倫のipodをずっと借りてその曲を聞き続けてしまい。
電池半分以上減らして怒られた。悪いことしちゃったな。
おかげさまで全部歌えるようになったけど。
勿論完璧に再現できるわけはないので自分で歌っても感動はないんだけど、それでもやっぱり、少し悲しくて少し幸せになる。
あたしの鼻歌。

「なんつーかよぉ…」
「ん?なに?」
「お前、微妙に音痴だよな」

エルメェスのそんな苦笑も気にせずに、あたしは今日も母さんの歌を歌う。
調子っぱずれな子供の歌。このまま海まで届くだろうか。

お題。「爪の形」と「ipod」でした
ちなみにアデリーヌに捧ぐバラードは実在のピアノ曲です。
邦題は渚のアデリーヌ。名曲。

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