「おい、徐倫、起きろよ」
「…んん?ああ、エルメェス?何?あたし寝ちゃってた?」
「おー。昼飯食ったらぱったり。ま、此処最近色々一気にあったからな。疲れてんじゃねぇの?」
「かもー。あー、でもなんかよく寝た気がするわ」
「三十分くらいだと思うけどな。随分にやついてたけど、なんかいい夢でも見た?トムクルーズ看守とやらしーことでもした?」
「ちょっとやめてよあれマジで人生の汚点なんだから。そんなんじゃなかったと思うけど、よく覚えてないわ」
「まあ、夢なんてそんなもんだな」
「すっげーリアルだったことは覚えてんだけどね。ま、いーわ」

思い切りあくびして身体を伸ばす。眠ってるヒーローを助けにいってやりましょう!そう言いながら勢いよく立ち上がって、ヒーローってなんだって思った。
なんでいきなりこんな単語出てきたんだろう。あたし自身にも判らない。本当に、口をついて出ちゃった、って感じ。
エルメェスも怪訝そうな顔であたしの事を見る。そりゃそうだ。いきなりこんな子供っぽいこと言ったら誰だってドン引きするだろう。

「ヒーローって、親父さんのこと?」
「多分」
「多分ってなんだよ多分って。しかしまあヒロインに助けられるヒーローってのもしまらないよなぁ」
「あたしもヒーローってことよ」
「あんたがぁ?」
「だってヒーローの血を継いじゃってるんだもの。似たく無くても血筋じゃしょうがないわ」
「そんなもんかなぁ」
「そんなもんじゃない?」

軽口をたたきながらあたしも考える。ヒーローってなんだろう。いったいどんな夢を見てたんだか。
冷たい水族館の檻の中で夢の温もりはもう思い出せないけれど、あくびに隠して泣きたくなるくらい幸せな何かをあたしは確かに覚えている。



***



昔、父さんの事が大嫌いだった。
そう典明に言えば、彼はあたしの向かいで紅茶のカップを優雅に置きながら優しく困ったように笑うのだ。
なんていうか、反応に困るなあ、なんてあんまりにも困った風に言うものだからあたしは思わず笑ってしまう。ごめんね、困らせるつもりじゃあなかったの。
今この場にいない父さんを思う。そう、父さんは今この場にいない。相変わらずあの人は何時だって相手を待たせるのだ。典明のことも母さんのこともあたしのことも。
父さんを訪ねてきた筈の典明は父さんがいないことに腹を立てるでもなく、また後で来るよと玄関先で笑った。どうせ彼が何時に帰るか判らないだろうし。
そう言う彼を慌てて家に引き入れて、どこにしまってあるんだか判らない紅茶を必死に探し当ててどうにかこうにか差し出せたのがついさっき。ああ、母さんがいれば!
でも母さんは今日はお友達とお茶だかで、少しおめかしして出ていった姿をあたしは寝ぼけ眼で見送ったのだ。日曜日の10時7分。
玄関先で慌てて低いヒールの靴を履いていつもの場所に鍵を置いた母さん。あたしくらいの年の娘がいるとは思えないくらい若々しくてそれでもしっかりと母親な母さん。
ちょっと派手なワンピースを着て、良い子にしててね徐倫、ちょっとの冒険なら応援するわってウインクして出かけていったお茶目でカッケー母さん。
ねえ、母さんがいない間に男連れ込むってちょっとした冒険って言って良いかな。まあ、正直、父さんも母さんも知ってる家族みたいな人だけど。
ああ、本当に母さんがいれば、マジでおいしいアップルティーとタルトを御馳走できたのに。残念で仕方ない。せっかくこんなに丁度いい昼過ぎなのに。
あたしが飲んでも渋すぎると判るそれを、彼は美味しいよと暖かい笑みで飲んでくれている。本当に、父さんの友達とは思えないくらいに、いい人だ。大嫌いな父さん。

「でも、それは昔なんだろう?」
「そうね。今はちょっと嫌い、くらいよ」
「なんだ、まだ嫌いなのかい?」
「娘ってそういうものじゃない?娘から見て完璧で非の打ちどころがないなんて逆に不健康」
「なるほど、そういう考え方もあるかもしれない」

典明が賛同してくれたのであたしは一つ満足する。典明は優しいけど自分の意見と違う場合きっぱり否定してくるから、今回のあたしの発言に何か納得する所があったんだろう。
彼の意見は大体の場合しっかりとしていて常識の枠内なのであたしは彼に認められると嬉しくなる。まあ、父さんの友達ってくらいだから、やっぱちょっと飛んでるけど。
自分の部屋から持ってきたスナック菓子をつまむ。だってお茶菓子が何処にあるのかいまいちよく判らないから。もしかしたら無いのかも。
食べる?って差し出したらありがとうって受け取っておいしいね、新製品?なんて聞いて来てくれるからあたしはやっぱり彼の事が好きだ。
父さんに差し出したって、いや、俺はいい、で終わりなんだもの。こんなつまらないこと無い。折角あげようと思ったのに。おいしいのに。
そのことを典明に言ったら、苦笑しながら彼甘い物嫌いだからねえ、と呟いた。あたしもそれは最近知った。あくまでも、最近。
だってあたしが小さい頃、殆ど一緒にいた記憶なんて無いけれど、まあ小さい頃、その数少ない記憶の中で父さんは幼いあたしと一緒にシフォンケーキを食べていたのだ。
パパも一緒に食べようとテーブルで駄々をこねるあたしの前に座って黙々と食べていた父さん。
数か月ぶりに見る娘に対してなんか喋る事ねーのかよ、と成長したあたしは思った物だけれど、当時の健気なあたしはそんなこと微塵も思わなかった。
ただひたすら、いつもはいない父さんがあたしの前にいてあたしと一緒にあたしの大好きなケーキを食べていてあたしの事を見てくれているのが嬉しかった。
あんまりにも嬉しくてあんまりにもゆっくりゆっくりケーキを食べて、早々に食べ終わった父さんが席を立っちゃうんじゃないかって不安になって何個も何個も薦めて、二人して夕飯があんまり食べられなくなって母さんに叱られたり。
貴方は徐倫に甘すぎるわね、なんて怒っているのに楽しそうに笑う母さんの顔と、形容しがたい微妙な顔して、でもやっぱり笑っていた父さんを覚えている。
当時はそれが父さんの笑顔だなんて気がつかなかったけど。いや、そんなことは無いか。むしろその時のあたしはちゃんと気が付いていた。
父さんも母さんも怒ってなんかいなくて、今この家がひたすらに幸福な空気に包まれた暖かい家庭だという事を幼い頭でしっかり感じていた。
そのことも言えば、彼は僅かに片眉をあげて愉快そうに笑った。あいつ、徐倫ちゃんには本当に甘いんだなあ。なんて。あの時の母さんとおんなじ台詞。
その言葉の意味が判らないほどあたしはもう子供じゃなくて、でもその言葉を素直に受け止められるほど大人でも無くて、「無理して食べるくらいならあたしが全部もらっちゃえばよかったわ」とかかわいくない台詞を言う事しかできなかった。
苦手な甘い甘い手作りケーキを4個も食べたあの時の父さん。

「父さんは言葉が足りなすぎると思わない?」
「全面的に同意だ」
「流石。話、判るじゃない」

あたしがこんな口調になると、母さんは目上の人にそんな話し方しちゃダメよなんて怒るけれど、典明が怒ったことは今までに一度も無い。
むしろこういう話し方をすると嬉しそうに笑う。だからこれは典明に対する子供心なりのサービスでもあるのだ。
勿論、典明が嬉しそうなふりをしてくれてるだけだったり、あたしに合わせてくれてる可能性の方が高いっていうのは判るんだけれど。
だから実際あたしは言葉づかいを直すべきなのかもしれない。でももしかしたらやっぱり本当に典明はあたしのこの感じが好きかも知れなくて。
本当がどっちなんだか判らないけれどそこを彼に直接聞いちゃうのはやっぱなんか違う気がする。だからあたしは、そこは判らないまま、勘違いしたままにさせてもらう。
壁にかかった時計が二時を指して、木のベルが柔らかく二回鳴った。二時かあ。父さんはいったいいつ帰って来るんだろう。
母さんが夜になるのはまあ間違いないんだけど。まったく、年頃の娘が今男と二人きりだって言うのにあの父親ったら。
外から遠く、子供の声が聞こえる。あんまりにも舌ったらずで一体全体なんて言ってるのかあたしには全然判らなかったのだけれど、その後に響く鈴のような母親の声は、ちゃんとその子供の言った事を理解していたようで、母親よりも少し高い、それでも響き方の良く似た鈴のような子供の笑い声が聞こえた。
陽射しは開け放たれた窓からカーテンを彩って絨毯にまで差し込む。部屋の電気は点けていないけど薄暗くも無くてただ柔らかい陽射しの影が照らしだす。
あんまりにも完璧に穏やかなクッションのきいた午後。リビングに染みついたあたし達の匂いと春が混ざって渋すぎる紅茶がスパイスをきかせた空気。
いつもだったらソファーに寝転んでテレビのチャンネル無駄に回してるか部屋のベッドに寝転んで雑誌でも読んでるか、友達と中身の無い楽しい長電話をしているか、そうやって消費されていく筈の時間。でもあたしの好きな俳優が出てる映画の再放送より、昨日買ったばっかりの結構飛んでる雑誌の続きより、先日今年三人目の男と別れたキャシーの話より、あたしはこの穏やかな彼との時間を大切にしたいと思う。ごめんねキャシー。でも貴方とは明日も会えるけど、多分典明明日には帰っちゃうから許してね、なんて意味の無い言い訳。彼とのおしゃべりはこんなにも楽しい。楽しいのに。

「あの人、典明ともほとんど会話しないの?」
「いや、どうだろう。そんなことはないんじゃないかな。そりゃ、他の人と比べたら承太郎は全然喋らない方だけど」
「でも会話はしてるのよね。よかったわ」
「彼だって会話くらいはするさ」
「そうね、父さんだって会話くらい出来るわよね」
「ああ。って、僕たちは彼の事ロボットか何かと思っているみたいじゃないか」

それ正しいかも、と笑いながら言えば、そしたら徐倫ちゃんもロボットかい?と茶目っ気のある声で返された。
とっておきの変顔で「ニンゲン、ロボット、ナカヨクナレル」って言ったら彼は紅茶吹き出しかけてむせていたのでどうやら大成功だったらしい。
いまどき女子のノリの良さなめちゃだめよって敢えてすました風に言えば神妙な声で「以後気を付けます」と答えてくれて、あたしは偉そうに「よろしい」なんて言う。
こんな場面を母さんに見られたらやっぱり怒られちゃうんだろう。でもこういう彼のノリの良さがあたしは好きだし、逆に彼のことを子供っぽいと思うかというとそんなことは全くない。むしろ大人だなあなんて実感して、ちょっと周囲の男子達がガキ臭く見えて嫌になることがある。
あたしのそんな失礼なんだか褒めてるんだっか判らない思考に気がつくそぶりもなく、彼は思いだし笑いを極力抑えて、言う。

「こう言われるのもしかしたらいやかもしれないけど、承太郎と徐倫ちゃんって顔似てるじゃないか」
「昔だったら最ッ高の侮辱だったけどまぁ今は許してやらなくもないってレベル。ちょいちょい言われるわ」
「だから承太郎がそんなロボットの真似したらどうしようって想像しちゃってさ」

典明に言われてあたしも想像する。あの父さんが?変な顔してポーズ決めて「ロボット、ニンゲン、モウシンジナイ」とか言ってるのを想像する。
頑張って想像しようとして、まあ、ぎりぎり出来なくはないんだけれどあんまりにも突拍子も無さ過ぎてあんまりにもあり得なくてあんまりにも似合わないから、なんていうか物凄い中途半端な顔で典明の事を見つめる羽目になった。
でも典明もあたしとおんなじように物凄くなんとも言い難い顔をしていて、お互いに見つめあって、同時に吹き出した。
だーめだ、あの父さん。こんな気軽なギャグすらできないとかマジで駄目だあの人。
何もかも格好つかないといけない星のもとにでも生まれてきたんだろうか。どうしようもない。
なんか逆につまんない人生なんじゃねーのとも思うけれど、ここまで突き詰めると今度はそれがそれでギャグのようにも思えてきて、あたしはもう途中から何に笑ってんだかも判らないくらいにおかしくなってしまった。
一通り笑い倒して、典明の紅茶が既に空になっていることに気がつく。お代わり入れてくるね、と席を立てばありがとうと優しく返される。
今度はちゃんとドンピシャにぴったりな味持ってくるからってあたしも笑って、ちょっとばかし荒れた台所でお湯を沸かす。ロボット。
おいしい紅茶をいれてくれるロボットとかいないもんかな。
少しだけ沈黙。別に気まずくなんて無い。ちらりと振り返ってみれば典明は本当に穏やかな目で、壁にかかった大量の写真を見つめていた。
父さん単体の写真が少しと、母さん一人の写真が少しと、あたし一人の写真が結構沢山と、あたしと母さんが一緒に笑ったり泥まみれになっている写真が大量に、色んな形の額縁に収められて飾られた壁。
それを見つめる目があんまりにも優しいもんで、この人は一体全体何を見ているんだろうと思う。ただの写真を見る目じゃない。
どうしてそんな何もかもが詰まっているような目であたしたちの写真を見ているんだろう。でもどこか懐かしい目だった。
あたしはいつかどこかでこの目を見たことがあるなぁなんて思う。しかも割と何回か。ま、そんなことはどうでもいい。
今度こそ、さっきの教訓を生かして、丁度いい、綺麗な琥珀色の紅茶が入った。若干茶葉が入っちゃったのには目をつぶってほしい。大丈夫。きっとおいしい。
ロボットに味覚があるのかどうかは判らないけれど、あたしたちは人間だから嫌いな物は嫌いだし苦い物は苦いしおいしい物はおいしいとちゃんと判るはずなのだ。
あたしも典明も父さんも。父さんは人間よりもロボットよりかもしれないけどね。

「もしかしたら父さんはマジでロボットなのかしら」
「まさか」
「あたし未だに謎なんだけど、なんであんなに素敵な母さんが父さんを選んだのかさっぱりわからないのよね」
「お父さんは素敵じゃあ無い?」

そう言われてあたしは冷静に考えようとする。なるったけあたし自身の感覚から身を遠ざけて客観的にあの人を眺めようとして見る。
見た目、悔しいけどマル。友達が逆ナンしようとする程度には。身長。馬鹿高い。日本人にしてはとかそういう問題じゃなく。いや、父さんはハーフなのか。
それにしたって高い。あたしも見事に血を次いで男子の平均くらいはあるけれど、そんなのものともしないくらいに高い。
思ったんだけどイギリス人と日本人のハーフの父親にアメリカ人の母親を持つあたしってなんて言えばいいんだろう?クォーターって違うよね?
まあ、それは今は関係ない話か。ええと、他に父さん。何かな。うーん。ガタイ、よし。運動神経も無茶苦茶良い。ていうか喧嘩が強い、強かった、らしい。
それは典明がうっかり口を滑らせた後に渋々白状したことなのだけれど、学生時代の父さんはそれはもう強かったらしい。ヒーローみたいだったよ、とは典明の言。
とはいえどそう言いたくなる気持ちはまあ、納得できる。頭。良い。少なくともあたしよりはよっぽどっていうか、博士号取っちゃってるし。
そのせいで殆ど家に居れない訳だし。なんかむかついてきた。次。財力も問題なし。なんてったって財閥の総帥と繋がってる。
その点あたしはそこそこお嬢様の筈なのだけれど、割と周囲の中でもやんちゃに育ってしまった。うーん。
お父さんによく似てるよ、とひいじいちゃんに言われたんだけどもひいじいちゃんも話を聞く限りそうとうやんちゃしたらしいから、父譲りっていうよりはもう血筋なのかもしれない。
まあそんなこんなで、こうしてみると父さんの外装はなんていうか、完璧としか言えない。きっと友達は素敵だと言うだろうし事実何度も言われた事がある。
でもね、人間やっぱり中身でしょ。やっぱあたしはそこを強く推したい。別にあの人が性格悪いとか言うんじゃない。そういうんじゃないんだけど。

「だって、父さんは本当に父さんに向いてないじゃない」
「うーん」
「否定しないのね」
「微妙だなあ」
「憧れるかもしれないけど、恋するもんじゃないわね」
「手厳しいなあ。僕が言うのもおかしな話だけど、学生時代君のお父さんは毎日女の子に追いかけられてたぞ」
「だからそれは憧れじゃないの?確かにあの人はヒーローかもしれないし、世界を救うような力を持っているかもしれないけど」
「けど?」
「でもたった一人自分だけのヒーローにはなってくれないのよ?すっげー不毛な恋じゃない」

よくもまあそんな人間相手に恋するつもりになったもんだ。ロボットに恋するよりも無謀な気がする。
皆のヒーローだった父さんがどうして母さんと結婚したのかあたしは未だによく判ってない。
二人の慣れ染めを聞いたこともあるけど全然教えてもらえなかった。母さんに魅力が無いってんじゃないのよ?母さんはマジで素敵。
だけど、それこそモテまくってた父さんの周りには数え切れないほどの女性がいた筈で、その中には母さんと違うタイプの魅力的な女性がいたんだろうと思う。
なんで父さんはそっちを選ばないで母さんを選んであたしが生まれたんだろう。ヒーローに選ばれた母さんは何を持ってたんだろう。
いや、自分の父親をヒーローって呼ぶなんてあたしも相当ぶっ飛んだ馬鹿でマジこっぱずかしいんだけども、でもあの人は父親と呼ぶくらいなら、まだヒーローとでも呼んでしまった方がしっくりくるのだ。そういう人物なのだ。実に、下らなくて馬鹿らしくてあほくさいことに。
ヒーロー。ヒーロー。その言葉は、確かに父さんによく似合う。
んで、それをすぐさまひっくり返すようで悪いんだけども、ヒーローという呼称がどうしてもあの人にしっくりこないというのも本当なのだ。
あの人がヒーロー気質なのは理解できるし、そう感じるけど、でもやっぱりその言葉はあのバカみたいな父親、空条承太郎を表す完璧な一言では無いのだ。
じゃあなんと呼べばいいのか。あたしは変な所で思考がドツボにはまって考えていたのだけれど、その様子をなーに頓珍漢な勘違いしたんだか、少しいたずらな笑顔で典明は聞いてくる。

「徐倫ちゃんは、ヒーロー相手に不毛な恋はしなかったの?」
「しないわよ。だって、あたしの初恋は典明だもの」
「ほんとかい?それは、光栄だなあ」

一瞬驚いてから、彼は本当に嬉しそうに笑った。大人の人の満面の笑みって実は珍しいんだって気付かせるくらい満面の笑みで逆にちょっとひくくらい。
それはあたしが典明に、友達に対して使うような乱暴な言葉を使う時に見せる笑顔とは全然質が違って、やっぱ典明は別にあたしにそういうふうに話しかけることを求めちゃいないのかなって不安になる。
それくらいに今の笑顔は幸せそうだった。ちゃんと本物だった。これが偽物だったらもうあたし彼のこと信じないからな。とんだ役者だ。
でもどうやらこの反応を見る限り、あたしはこの事を白状したのはどうやら初めてだったらしい。一回くらいもう言ってたような気がするんだけど、そっか、気のせいか。
なんとなく気恥ずかしくなって、冷めてきた紅茶を一口すすった。彼のように上品にはソーサーに戻せなくて、がちゃりとうるさい音を立てる。
でもその程度のあたしの粗相くらいじゃこの穏やかな午後の空気は傷つかなかった。時間は止まる訳でもなくゆっくりと穏やかさだけを増していく。
典明がいつまでたってもにこにこと笑顔を崩さないので、あたしは仕方なく言葉を繋いだ。

「初恋は、ね」
「ありゃりゃ。今は違うのかい?」
「ええ、だって典明も恋人にしたいタイプじゃないわ」
「こりゃまた」

今度は僕の番か、とおどける彼に、そうね、典明の番とあたしも笑う。心して聞いてね。

「だって典明の中で恋人が一番に来る日は永遠に来ないでしょう?」
「思ってたより核心ついてくるなあ徐倫ちゃん」
「だってマジだもの。あたしの初恋諦めた原因そこにあるからね」
「え、そうだったの?!」
「なぁんでそんなに驚くかなぁ。ね、典明。典明の中で、父さん以上の人物なんて、現れないんでしょう?作るつもりも無いんでしょう?」

あたしの、結構失礼で多分心に土足で踏みいるような言葉にも典明は笑うだけだった。自分の意見に反することはずばっと否定する彼は、笑ってるだけだった。
典明の一番の特別は父さんなのだと気がついたのはいつのことだったか。気がついた時私は盛大に泣いた。それは父さんと典明のどっちに対する嫉妬だったのか自分でも判断出来てなかったけど。
穏やかな笑みを崩さないまま、彼は一つも悲しそうなことなんて無さそうに言う。君のお父さんはね、僕のヒーローだったんだ。
その言葉にあたしは納得する。きっと彼がそう言うならそうなんだろう。彼の人生を救いあげちゃうようなヒーローだったんだろう。父さんは。
でも典明がもしも父さんを狙うなら、あたし、典明の事は好きだけど母さんの味方するわよって割とマジで言う。
あんなにも愛おしげに私たちの家族写真を眺める彼を思えば、洒落にしてる場合では無かった。別にあたし自身に偏見は無いけど。
こんなに優しくて人の気持ちを理解できる顔よし頭良し収入よし性格よしの彼が未だ独りなのは、結局そういうことなんじゃないの?
そしたら恐ろしく慌てた様子で彼は手を大きく振る。冗談でもやめてくれ。僕は彼とそういう関係になりたいんじゃないんだ。

「女の子はヒーローに救いだされることを夢見るかもしれないけど、男の子は自分がヒーローになることを夢見るだろう?」
「ああ、うん、そうかも」
「そんな感じだよ」
「父さんがそんなたいした人物だとはどうしても思えないんだけどね、正直」
「そりゃ、徐倫ちゃんにとってはお父さんだからね」

至極当り前の事を言われたのだけれど、なんとなくひっかかって典明の方を見る。そしたら彼は大人の顔であたしの事を見ていた。
こういう瞬間だ。大人を大人と感じるのは。典明も母さんも父さんも、本当に大事な話をしようとする時の空気は確実に大人の物に変わる。
なんだかなぁ。ちょっとずるいよなぁ。完全に冷めた紅茶をすすりながら、あたし一人でぱくついてるお菓子にまた手を伸ばした。

「僕や君のお母さんにとっては、出会った時から彼はヒーローだった。だから僕等は今でも彼にヒーローの影をみるけど、でも、徐倫ちゃんは違うだろう?」
「違うって?」
「徐倫ちゃんにとっては、生まれた瞬間から彼はお父さんだったろう?ね、承太郎は父親じゃあない時間が確かにあって、むしろその時間の方が長いくらいだけど、でも少なくとも徐倫ちゃんの人生の中で、彼が父親じゃなかった時なんて無いんだ」

だから、彼をヒーローと思えなくったって当然なんだよと笑う。判るようで判らない理論。
時計の針は確実に進んでて、あたしはなんとなく、父さんが帰って来るような気がした。そういう勘はよく当たるのだ。あたしは父さんの気配を見つけるのが何故かうまい。
父さん。父さん。大嫌いだった父さん。今でもやっぱり嫌いな父さん。だけどそれでもあたしの父親で。

「父親なんて情けないもんさ」
「典明は父さんを褒めたいのかけなしたいのかよくわかんないわね」
「でもね、徐倫ちゃん。ヒーローは皆の為に働くから誰か一人の為には動けないけど、父親っていうのは、娘の為だけのヒーローだ」
「なんかむずがゆくなる台詞」
「口下手な友達の代わりに頼んでおくよ。忘れないでやってくれ。君が生まれてから、彼は君だけのヒーローだった」

それは例えば、嫌いなケーキを沢山食べたり、運動会を黙って見に来たり、来るなと言ったら黙って来なくなったり、初めて連絡なしに朝帰りしたらぶっ飛ばされたり、あたしがバイク事故起こして雨の中立ちすくんでた時に息切らしてやってきたり、そういう形で。壁一面に貼られた笑顔で写るあたしと母さんの写真とか、そういう形で。あたしと母さんが写真に写ってるなら、それを撮ってるのは一人しかいなかった。レンズ越しの父さんの顔はよく見えなかったけど、そう、いつだって、無表情な顔に浮かぶその眼は恥ずかしくなるくらいに優しかった。



***



そう、だからあたしは、玄関で鍵の音がした時に立ち上がってお帰りって言う程度には父さんの事が好きなんだろう。
人を待たせときながら申し訳なさそうな表情をするわけでもなく、無表情で典明に「悪かった」なんて謝っている。そんで理由を話さないんだからやっぱりこの人は言葉が足りない。
一拍置いて、あたしに「母さんは」と尋ねてきたから、「知らないの?友達とお茶してるわよ」ってあきれ顔で教えてあげた。その言葉を聞いてもう一拍置いて、父さんは無表情のまま典明に向き直る。

「花京院」
「はいはい。ごめんって。でもそもそも遅れたの君だろう?楽しくお茶してただけで誓って変なことなんてしてないんだからそんなに怒るなよ」

君は本当、徐倫ちゃんには甘いね、と続いたその言葉に父さんは答えなかった。私と典明を通り過ぎてさっきまで私たちがいたリビングに向かう。怒ってる?父さんが?
あたしには全然違いが判らなかったんだけども、典明がそう言うならそうなんだろう。学生時代からずっと父さんと一緒に居た、母さんの恋敵の言葉だ。
恋敵なんて言葉使ったら多分彼は怒るだろうけど、でもなんかその方が面白いし許してほしい。
こっそりと彼は私に耳打ちする。「僕と徐倫ちゃんが二人っきりだったのが気にくわないのさ」って、嘘、マジ?
君にとってはずっとお父さんだったから、気がつかなかったんだろうね、と彼は父さんに聞こえないように小さく笑った。
それが聞こえてたとは思えないんだけど、廊下の前を歩いていた父さんの広い背中がいきなり振り返ったものだから思わずびびる。
父さんはロボットみたいな無表情のまま、あたしに向かって一言「ただいま」とだけ言った。そうして返事も待たずに歩き去る。
呆気にとられたあたしは、典明と顔を見合わせて二人で笑った。言葉が足りてないけれど、でもまあ、合格ってことにしてあげよう。
言葉よりもよっぽど多くを語る目がしっかりとあたしに感情を伝えていた。帽子のせいで滅茶苦茶見えにくいんだけどね。
今日は特別に、父さんにも紅茶をいれてあげよう。三回目だからとびっきり美味しいのが出来あがる筈だ。
具体的な何かじゃあないけれど、あたしはこの家を包む幸福な空気をしっかり感じ取っている。ここにいるあたしは、そのことをちゃんと知っていた。



Dream on Dream








そんなわけでこんな感じで。丙様リクエスト「空条親子」でした!本当に遅くなってしまって申し訳ない限りです……。
私は!!これを!!空条親子と!!言い張る!!決して!!花承では!!無いと!!そう!!主張する!!
一巡後でも良いとのことだったので遠慮なく世界を巡らせました。こうでもしないとこの親子一緒にいれない!
と思ったのに全然絡んでないのはどういうこっちゃ。ええ、はい、私も首をかしげています。相変わらず右手が私を裏切ってきました。なんで承太郎留守なん?
ていうかいつにも増してキャラ崩壊酷くてにっちもさっちもどっちもこっちも土下座祭りです。
花倫なんじゃねぇの?と言われると否定しきれないレベルにはなってしましましたが気持ちだけ、気持ちだけ受け取ってください…。
このような駄文ですが丙様のみお持ち帰り可とさせていただきます。リクエスト本当にありがとうございました!!





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