And But Cause I love you


永遠は彼らのもとに

僕は、なんていうか、珍しく、動揺している。そんな事言ったら仗助君には「オメェ〜いつもビビってばっかじゃあねぇか」なんて言われてしまいそうだけど。それはその通り。僕はとても弱い。度胸とか勇気とか、そんな物は無いとは言わないけれどあんまり持ち合わせていない。仗助君や億泰君のような、向う見ずなほどの漢気というものは無いんだ。露伴先生なんかは僕を凄い奴だと言う。承太郎さんも僕を評価している、と仗助君は言う。それはまた聞きなんだけどね。露伴先生の方は直接言われた訳だからともかく、承太郎さんの方は信じられなかった。だって、あの承太郎さんだよ?ただ、それを僕に伝えた時の仗助君の、とてもふてくされたような本意じゃなさそうな顔を見るに、それと似たようなニュアンスのことを言ってもらえたのは確かなんだろうと思う。そんなに悔しそうな表情をするならわざわざ言わなければいいんじゃあないか無いかなあ、と考えるのは僕の器が小さい証拠だ。しっかり報告する仗助君は偉い。でもそんな顔をしなくったって、僕の事を褒めるそういう人達は、僕の凡人性というか、『平凡で普通である』と言う事を評価しているに過ぎないんじゃあ無いかなってのが正直な所だ。同列で語るのは違うかもしれないが、先生も承太郎さんもぶっ飛んでいる。普通の僕の目線からすればね。そして仗助君も、どちらかと問われれば確実にそちらだ。本来なら僕が羨む立場なんじゃないかなあ。そんな、ぶっ飛んだ、才能に溢れた人達。世界にとって特別な意味を持つ彼ら。
何が言いたいかというと、僕は僕がいたって普通の人間で、凄い奴なんかじゃなくて、どちらかといえばこすい人間だと言う事をしっかりばっちり知っている。だから、いつ露伴先生が僕の事を「たいしたことないやつだ」と言いだしたって、承太郎さんが興味を失ったとしたって、悲しくはあるけれど、驚くけれど、驚いて悲しむだけだろう。きっと。知っているからだ。僕は自分の事を。
僕は動揺している。
彼女が僕に向かって言った台詞。長い長い波打つ黒髪をひからせて、彼女は大きな目で僕を見つめていた。「あなた、誰?」
僕は動揺している。
彼女はぶっ飛んでいる人間の最高峰ともいえるほどぶっ飛んだ人間で、僕はその事をよく知っていて、だから僕が普通側の人間として彼女の事を止めるようにしなきゃなぁなんて変な使命感まで持っているくらいで、って、今考えて思ったんだけど、そうやってとめなきゃなんて思ってる時点で僕はやっぱり思い上がっていたのかもしれない。思い上がり?思い上がりってなんだ?いいやそこは後で考えよう。で、そう、だから、彼女はとてもぶっ飛んでいて、僕は本当に普通の人間で、だからぶっ飛んでいる人間からしてみれば恐らくつまらない人間で、だからいつ僕の事を見限られてもおかしくないと思っていたのだけれど、僕は彼女にだけは嫌われる筈が無いと思っていたらしい。そう思い込んでいた自分の傲慢さに僕はこんな所で気づく羽目になる。
僕は動揺している。
自分の内面に気がついて動揺している。僕は調子に乗りやすいお調子者だけれど、少なくともそんな自分を理解しているはずだったのだのだ。どうやらそれは思い違いだったらしい。僕は心から、傲慢だったようだ。でも、でもね。そんなことはどうでもよくて、ここまでずっと考えてぐるぐるしていたことは全部現実逃避で、何よりも僕は、彼女に忘れられてしまった事がショックだった。
そう、それだけなんだ。それだけなんだよ。

そこまで思考が追いついて、僕はようやく自分に納得した。一つ溜息をつく。夕方の公園。秋が近づいて少し肌寒い九月。
由香子さんに衝撃の一言を言われた僕は、なんとかその場をごまかして(あんまり記憶にない。必死だった)。
その衝撃のまま、なんとか仗助君に今日早退するよと告げて、引き止められるのにも構わず学校を出てしまった。
自分の衝撃を消化するだけで数時間かかっちゃってるんだから、なんていうか、僕の器の小ささがうかがえるというものだろう。
しかし器が小さいとは言えど、それを言い訳にして逃げていいような問題じゃあ無かった。
というか、既に数時間僕は現実から逃げてしまった訳で、ここからは流石に動かなくちゃあいけないだろう。逃げる時間終了だ。
とりあえず僕はエコーズで、僕の事を心配してくれているであろう仗助君を探した。心配してくれているだろうと確信を持てる友達がいるのは幸せな事だと思う。



***



「あッいた康一!おいお前ェ。ありゃあどういう事だよ」
「ごめんごめん。どういう事って?」
「お前の様子がおかしいからよぉ〜。なんか知ってんじゃねぇかって由香子んとこ行ったらよぉ。なんつったと思う?アイツ」
「『康一?誰よそれ?』とか、そんな感じじゃない?」
「そう!それだよ!アイツどうしちまったんだ?!」

大通りで僕を探していたらしくうろうろしている仗助君を見つけて、僕は急いで駆け寄った。彼の移動スピードが思いのほか速くてなかなか追いつけなかったのだ。
夕焼けの街に、彼の真っ黒なリーゼントはよく映えていた。正直、青空の下だと野暮ったすぎると思っているのは秘密だ。
僕が彼を見つけたのと同時に、彼も僕を見つけてくれたらしい。僕の二倍くらいのスピードで駆け寄って来て、出会い頭からまくしたてられた。
今まで気持ち悪いくらいお前にべったりだったのによぉー。と、顔をしかめて、特に何がある訳でも無い通りの先を見る。勿論そこに由香子さんはいない。
なんていうか、そのべったりされていた、いや、べったりしあっていた本人の前でそれを言ってしまうのが仗助君の憎めない所だ。
僕にだって判らないんだよ、と困って言えば、そぉーだよなぁーと首を傾げられた。
その、状況に似合わない、いっそのんびりとしたともいえる動作に僕は思わず苦笑してしまう。本当は、そんな笑っている場合じゃないのだけれど。
時計を見れば夕方の五時。夏ならまだまだ明るかった筈だけれど、今はもう太陽が相当傾いている。地平線から60度。
何時間僕はうろついていたんだろうと考えれば、ちょっと我ながら、なんていうか、女々しい。え、だって昼間だよね僕が早退したの。
学校を出た時青かった空は、もう真っ赤に染まっていた。僕に起こった大事件なんて知らん顔で、今日が暮れていく。風が頬を撫でて帰路を促している。
空の端は段々と夜を滲ませていて、こんな時でも変わらず美しい。
でも、できれば。できれば、こんな状況で明日を迎えたくなんてないんだよなあ。
今日中になんとかしたい。そう思う。さて、こんな時にどうすればいいのか、特に良くも無い頭を回転させて空回り。空回りしかしない。
そもそも僕は別に頭はよくないのだ。ていうか、悪い部類だと思う。困っちゃったな。

「おぉー、いたいた。お前らぁー」
「億泰君」
「わりぃーわりぃー掃除当番でよぉー」
「そんくらいフけろよなお前」
「悪かったって。でも、ほら、あいつ、噴上に会ったんで、聞いてきたぜぇ」
「え?噴上君?」
「おぉ。由香子の様子がおかしいっつったら、昨日から今日の臭い辿っといてやるから連絡まっとけってよぉ」
「うわぁ、あとでお礼言わないとなぁ」

え?何?康一、お前噴上とダチなの?そう聞かれて、前に彼のガールフレンドが困っているのをちょっと助けただけだよと答えた。
いやいやいや。あいつをちょっと助けるってなかなかねぇだろと、何かを思い出すように仗助君は言う。何か思う所があるのかもしれない。
本当に大したことはしていない。アケミさんとやらが頭痛が酷くて眠れないというから、ちょっとエコーズで安眠のお手伝いをしただけだ。
どうやらそのことを彼は覚えていてくれたらしい。なんていうか、なんだかんだで義理がたい性格だよなぁと思う。特に女性がからむと。
ああ、そっか、そういう意味もあるのか。彼はトップクラスのフェミニストだった。ちょっと本当に高校生なのか?って疑う位に。
僕が由香子さんと付き合っていると知って、一番驚いて、そして褒め称えてくれたのは彼だった。彼だけは「止めておけ」と言わなかった。
「あの女を落とせるってのは、それだけテメェの器がでけぇってこったよ。俺でもあいつを愛したら他の奴を愛する余裕なくなっちまう。やるじゃねぇかおめぇ」
なんていうか、「愛せない」と言わない所に彼のプライドが伺えるけれど、これはきっと彼にとって最大級の賛辞に近いんだろう。
彼が助けてくれる理由はそこらへんにもある気がする。大切な女の子を助けるためなら力を貸してくれるなんて。

「なんか、モテるのも判るよなぁ」
「なぁにブツブツ言ってんだぁ康一?結局よぉ、何がどぉいう状況なワケ?」

真面目に掃除をしていた億奏君は状況が全く掴めていないらしかった。とは言っても、こっちだって何も進展なんてしていないのだけれど。
僕、フラフラしてただけだもんなぁ。これなら掃除をしていたほうがよっぽど有意義だ。まあ、そんな余裕無かったから、言っても仕方ない事ではある。
仗助君が億奏君に説明してくれるのを僕はぼんやりと眺めた。頭が回転していないのが判る。本当に駄目だな、僕は。
あれだけ考えてうろつきまわって納得して決意を固めた筈なのに、頭はまだあの時のまま、由香子さんの眼を覚えている。
愛も憎悪も無い、無関心なだけの黒目がちなあの目。頭をガツンと殴られて、それからこの頭は衝撃で止まったままだ。
駄目だなあ。駄目だなあ。感情がまだおっつかないとしても、頭はもう結論を出している筈なのに。男を見せなきゃ自分。

「うーん。じゃあどうしようかな。噴上くんから連絡来るまで」
「なぁ康一。今更な確認するけどよ、これってやっぱどう考えたってスタンド攻撃だよなあ」
「うん」

仗助君のその言葉は本当に今更だった。そこに確信を持たないまま手伝ってくれていたんだから、やっぱり彼は良い人っていうか、器が大きいと思う。
僕と違って、だ。僕は自分が凡人だと知っていて、器が小さいと知っているから、いつもそれを理由に逃げてばかりいる。
嫌われたって当然、興味を失われたって当然。そういう逃げ道をいつだって自分に用意している。そんな自分も知っている。
スタンド攻撃だと考えるっていうのは、なんていうのかな、そう、自惚れに近いんじゃあないかってさっき思ったんだ。僕は。
だってそうだろう?もしかしたら、もしかしたら、由香子さんは僕の事が嫌いになって、知らないふりをしているだけかもしれない。
いくらそれがあんまりにも唐突で、あんまりにも突拍子が無くて、あんまりにも不自然だったとしても、その可能性はゼロじゃあないんだ。
少なくとも僕はそう思う。忘れられたんじゃなくて、忘れたフリ。ずっと愛してもらえるだなんて、そんなものは傲慢なんじゃないかって。
傲慢で自惚れな思い上がり。愛してもらって当然なんて、そんなものこの世にある筈無いのに。
だけどそれは結局やっぱり逃げているだけで、僕は、「スタンド攻撃じゃなかった時」の予防線を張っているにすぎないんだと気がついた。
それにね、そう思っている事を由香子さんが知ったら、きっと彼女は怒る。愛を疑うのかと怒る。間違いが無い。愛されている自覚が無いのねって。
だから僕は傲慢なんかじゃなく、思い上がりなんかじゃなく、彼女が僕の事を好きでいる筈だと信じることにした。
っていう所までさっき考えた筈なのになあ。さっきからその決意がちょいちょい揺らいでいる。自分に自信を持つって言うのは結構難しいなあ。
それでも、仗助君の言葉に即答できた自分の事は少し褒めてやろうと思う。

「由香子さんが僕の事忘れるだなんてありえないよ」
「ま、そーだよな。そりゃそうだ」

仗助君の表情は逆光で見えない。ただ彼は僕の葛藤なんて気にもせずあっさり頷いた。あんまりにもあっけなくて僕は拍子抜けする。何か言われるかと思ってたんだけど。
周りから見ていたほうが、本質は判りやすいってことかな。彼の眼からしたら、そんなのは悩む所じゃないのかもしれない。由香子さんが僕を好きなことなんて。
ぼーっとしている僕の横を小学生の集団が駆け抜けていった。夕日に照らされた頬が赤い。重いだろうランドセルを軽々揺らしてあっという間に道を過ぎる。
ぼろぼろになったランドセルは、きっと乱暴に縦横に世界を駆け回っている証拠なんだろう。勲章のようなひっかき傷が光っている。
集団の後ろをゆっくりと、独り歩く女の子。綺麗で真っ赤なランドセルを背負って、小さい背で世界を馬鹿にしていた。無機質な目。
その揺れる美しい黒髪が彼女を思わせて、僕は何か胸に詰まる物を感じる。彼女には一つも関係無いのに。
そうして少女に別の少女が後ろから追いついて話しかけて、さっきまでの冷たい目が明るく輝いたのを見届けて、僕は安堵の息をついた。
世界の端々に、由香子さんがいるような気がする。彼女を形作る要素が世界に散らばっている気がしている。なんて言ったら、病的に聞こえちゃうだろうか。
ただ、その彼女の原子みたいな世界の欠片一つ一つが、全て幸せであればいいと思う。

「お前ら、こんなとこでぼさっと突っ立ってたのかよ」
「やあ康一君。大変なことになっているみたいだね」

そんなセンチメンタルに浸っていた僕に突然かけられた見知った声。
慌てて振り返ればバイクに乗った噴上君と、その後部座席でふんぞり返っている露伴先生がいた。なんで露伴先生?
噴上君の速さもさることながら、思いもよらない人物の登場に焦る。えええ。ちょっとこれは本当に予想外だ。
混乱する僕をさておいて、何か上から目線で噴上君に話しかけている露伴先生。それを軽く受け流している噴上君。
なんというか、似合わないペアだ。というか、この二人の出会い方からして仲良くなれる筈も無いのだと思うんだけど。
混乱している僕の様子に気がついたのか、ちらりとこちらに目線をよこして、気障な動作で噴上君は告げる。

「由香子の足どり追ってたらよぉー…こいつの家の前通って、気がついたらこいつが乗せろって言って来たんだぜ?意味わかんねぇ」
「御苦労。足としては役に立ったよ」

その偉そうな態度に、なんというか本物だなあと僕は安心した。偽物ではない。偽物?あ、そうだ、彼にお願いしよう。
一つ行動を決めて、腕を組んでこちらを見下ろす露伴先生を見上げる。ヘブンズドアー使ったでしょうと言えばまあねと返された。
「僕を後ろに乗せて落とすなって書いただけだぜ?」なんて嘯くけれど、絶対にもっと色々書いてる。し、状況を把握してる所を見るとちょいちょい読んだらしい。
まあ、迂闊に露伴先生の家の近くでスタンド能力なんて使ってしまった噴上君も噴上君なのだけれど。
いや、今回に関しては僕のためなのだから僕が何か言える立場じゃあないか。素直に感謝だ。

「これ、由香子の匂いが残ってた場所だぜ。恐らくここ二日以内」
「わあ、わざわざ印まで。ありがとう」

受け取った杜王町の地図には三種類くらいのマーカーで線が入っていた。臭いの強かった所と弱かった所らしい。やっぱり、律儀だ。
こういう小まめさが持てる秘訣なのかもなぁとか場違いな感想を抱く。やっぱり、どんだけ気障ったらしくても、モテるにはモテるだけの理由があるんだろう。
気がついて見回してみれば、いつも取り巻きのようにいる女性達は一人もいない。彼も、いないのが当然見たいな顔をしている。
バイクだったからとかそういうことじゃなく、危険かもしれないから置いてきたんだろう。良い男だ。
一人で感心している僕の肩を掴んで、彼はいきなり顔をよせてきた。周りに聞こえ無いように幽かな声でささやく。

「つーかよ、お前らしくねぇぞ康一、由香子の事ほっといていいのか?忘れちまったとは言えてめぇの女だろ?」
「だからだよ」
「あ?」
「彼女は僕の事覚えてないのに僕は彼女の事良く知ってるなんて怪しすぎるじゃあないか」
「まあそりゃ、彼女からすればな」
「由香子さん、結構人見知り激しいんだよ…。無暗に近づいて警戒されたくないし、危険な目に遭わせたくもない。彼女の知らないうちに解決しちゃいたいんだ」

そう言えば、ふーん、と頭を離して解放された。腑には落ちていないが納得はしてくれたらしい。胸をなでおろせばすぐ横で仗助君と露伴先生が喧嘩を始めていた。どうして会ってすぐにこんなことになれんだか、いっそ仲が良いんじゃないかなあと疑ってしまう。
さて、端々から聞き取れる言葉からして、また相当下らない理由であることは判るのだけれど、どうやって止めようか。
なんで生死を争った筈の噴上君と露伴先生はそれなりに穏やかに会話出来ているのにこの二人は犬猿の仲なんだ?
そもそも今大変なのは僕で、恐らく僕のために集まってくれている筈なのに、僕がこの怒涛の展開についていけていない。
どうして僕が仲裁なんてことをしなくちゃいけないのか、「こんな所に居たのか」謎である。って、え?この声。
慌てて振り向く僕と同時に仗助君も凄い勢いで振り返った。皆で一斉に声の方を見る。動じていなかったのと言えば露伴先生ぐらいだった。

「承太郎さん?!なんでここにいるんっスか?!」
「そこの先生から連絡があった。記憶に関するスタンド使いを何か知らないかとな」
「露伴先生、承太郎さんの電話番号知ってたんですか?!」
「驚くのはそこなのかい」
「幾度か取材を受けているから互いの連絡先は知ってる。それでまぁ、俺の所にはまだその情報が何も来ていなかったからな、手伝いついでにここまで来たんだが」

人手は十分なようだな、流石康一君。と一人で納得されて僕は慌てる。先程まで露伴先生に向かっていた仗助君のジト目が僕へと方向を変えた。うわああ。
皆優しくて協力してくれているんですよ。僕が声をかけたからとかじゃないです。そうフォローのつもりでいえば、だから凄いんだと追い打ちをかけられる。
なんだか仗助君の方を振り向くのが怖い。思わず通りを眺めて意識を逸らした。ああ、街灯が灯り始めてるなー。
これはあとで仗助君を慰めなくちゃあなあなんて思って、だからなんで僕が気を使っているのだろうと我に帰った。どう考えてもおかしい。
僕が気を使われるべき立場の筈なんだけどなあ。なんていうか、ここらへんがこの人たちがぶっ飛んでいる片鱗と言うか。なんというか。
考えるのが面倒になってしまったので僕は承太郎さんに一言ありがとうございますと挨拶して話を切ることにした。携帯を取りだす。電話帳を探す。

「あ?どうした康一」
「あ、ううん、ちょっと電話をしようと思って」
「誰に」
「間田君」
「あ?あいつかよ」

仗助君の声にはまぎれも無い嫌悪が潜んでいて僕は苦笑せざるをえなかった。そんなに苦手なのかな。ちょっと気をつけよう。
三コールで出た間田君にお願いすると、二回ほどしぶってからオーケーしてくれた。なんだかんだ最終的に手伝ってくれる辺りが彼らしい。
通話を終えて周囲を見渡せば、仗助君と露伴先生の喧嘩は終結。どうやら承太郎さんが仗助君を抑えてくれたらしい。頼りになるなぁ。
億奏君は噴上君と何やら楽しげに会話していた。全く、皆、なんのためにここに集まったんだか判っているんだろうか。完全に遊び気分だ。
まあ、それくらいの方が僕も気を使わなくて済むと言う物なのだけれど。だって結局は僕のためな訳だから。
そこまで考えてふと見やった通りの先に、見慣れた黒髪を見つけたような気がして僕は目を見開いた。
街灯はもう完全に灯っている。薄汚れた時計のオブジェを見れば時刻はもう段々夜に近付いていた。
真っ赤だった夕焼けは暮れて濃紺を浮かべ始めている。もうそろそろ一番星が見えるんじゃないかってぐらいに。
紺と赤と、その間のエメラルド。美しいグラデーションを背に、風を切って堂々と近づいてくる、人影。見まごう筈も無い。彼女。

「ねぇ」
「あ」
「広瀬康一、君?」
「由香子さん?!思い出したの?!」
「いいえ。思い出すも何も、これが二回目の筈よ」

迷い無い足取りで僕の方まで近づくと、周りに居る沢山の人に目も止めずに僕に話しかけてきた。その様子は普段とあんまりにも変わらない。
変わらないからこそ、僕はやっぱりショックだった。彼女が僕を覚えていないと言う現実が突き刺さる。
周りのみんなは、特に何も言う事なく見守っている。そりゃあそうだ、こんな状況で口出しできないだろう。
時間が止まっているかのようだ。時間が止まってしまえばいいのに。そうしたら、状況はこれ以上悪くならないだろう。
このまま何も、良くも悪くもならないまま、彼女と僕の二人きりで世界が閉じてしまえばいいのに。
そんな自分勝手な事を、僕は一瞬考えた。考えて、打ち消した。やっぱり僕は、いつもの彼女と一緒に時間を過ごしたい。
九月の風が頬を撫でる。彼女の髪を揺らした風が僕を通って世界の中へ消えていく。

「ねぇ、あなた、私にとってのなんだったのかしら」
「え?」
「さっき話しかけられた時、初対面の筈なのに嫌な気がしなかった…。というよりも正直に言うわ、一目ぼれしました」
「え、えええええ?」
「片っ端から周りの子に聞いてようやく貴方の名前が判ったと思ったら、信じられる?既に携帯の電話帳に貴方の名前、入ってたのよ?」
「あ…」
「というか着信履歴通話履歴メールの数々。ねぇ、私とここまでお話しが出来るなんて。両親ですらできなかったのに」
「うん…」
「びっくりしたわ。私、こんな文章が書けたのね」

思わぬ話の展開に、僕は阿呆のようにただ突っ立っているだけだ。一目ぼれ?あの時の僕に?
君を置いて現実から逃げだしたあの時の僕に?
信じられなかったけれど、そういえば、そもそも彼女は僕と会話をする前に僕の事を見つけていたんだった。
見付けて、好きになってくれたんだった。くれた、と素直に言うには、少し自分勝手で我儘過ぎる愛情だとは思ったけれど。
僕は、情けない僕は嬉しくなる。彼女は僕の事を忘れても、もう一度見付けだしてくれたらしい。

「『愛してる。貴方のために死にたい。一緒にピクニックに行きましょう』」
「『僕も愛してる。自分のために生きてほしい。そうだね、今度の日曜はどうかな』」
「ええ。返信は全てそうなっていたわ。広瀬康一君」
「何かな」
「私はもう一度、貴方に初恋をすればいいのかしら?」

彼女の眼が真っ直ぐに僕の目を捉えた瞬間に彼女の身体が傾いだ。慌てて抱きとめれば愉快そうな目で僕達を見守る露伴先生。

「ヘブンズドアー」
「なッ、露伴先生何してるんですか!」
「そう慌てるなよ康一君…。別に僕だって好奇心だけでやってるんじゃないんだぜ」
「え?」
「忘れてもらっちゃ困るが記憶って言ったら僕だって専門なのさ」
「忘れてたわけじゃあ、無いですけど…」

好奇心だけじゃないってことは、好奇心が大半を占めているって自分で言っているようなものだ。
そりゃあ、由香子さんの記憶が見たいのは判るけれど、このタイミングで普通割って入って来るかな?先生だから、で済ませてしまえそうな自分が恐ろしい。
仗助君はまた露伴先生にくってかかっていた。やいこらテメェ!今良いところだったのに邪魔しやがって!!
そうして掴みかかろうとしていたのを承太郎さんに押さえられていた、なんていうか、懲りないと言うか、なんというか。
億奏君はぼんやりとをの様子を見守っているし、噴上君は意識を失った由香子さんを見て、やっぱ美人だよなと頷いている。
どう考えてもおかしい。常識人は僕だけかと嘆息してもいいだろうか。皆の個性が強すぎて、この集団を纏められる気がしない。
纏められないんだから潔く諦めて僕は由香子さんに集中させてもらうことにした。露伴先生は何を書きこもうとしたのか、見ようとしたのか。
まさかとは思うけれど、僕はめったなことが起きないように先生を見る。そんな警戒するなよと肩を竦められた。いや、今までの行動を振りかえってください。
もしかしたら僕の能力で直せるかもしれないだろう?という言葉に僕は黙る。仗助君もこちらを覗きこんで先生を見守っている。
頼むから変な所まで読もうとしないでくれよと由香子さんのプライベートが心配になる僕をよそに、先生はかなりのスピードで彼女をめくっていた。

「あ、こりゃ無理だ」
「おいあんだけ堂々と言っといて無理なのかよ!」
「うるさいぞ東方仗助。もしも『忘れろ』と命令された痕跡が残ってるならそれを消せばいいだけだったんだけどね」
「違うんですか?」
「記憶が空白ンになってる。君との思い出だけ完全に消えてるのさ。いくら僕だって、誰かの体験を一から書くことなんてできない」

まあ、僕の作ったラブストーリーを体験した彼女で良いなら、やってもいいけどね。
書きこもうか?君達、ABCはどこまで進んでいるんだい?刺激的な冒険とかいれとく?
にやにやと、完全に面白がってこちらに告げてくる先生に、冗談でも止めてくださいと溜息をついた。
彼の書く恋愛物語は興味あるけれど、僕と由香子さんの間には一つとしていらないものだ。
冗談じゃあないんだけどねと笑われて、溜息をもう一つ追加する。ここで僕が冗談でも、お願いしますと言ったら彼は本当に書きこんでいたんだろう。
ページを閉じながら、今思い出したとでもいうような調子で、ついでのように露伴先生は僕に向かって告げる。さっきから徹底的に仗助君の方を見ようとしない。

「ただ、男に絡まれてるぜ、昨日」
「あ?男?絡まれてる?」
「由香子さん美人だし、でもこの性格だしで、そういうの結構多いんだよ」
「へぇ」
「場所はどこなんです?」
「記憶に無いな」
「めっちゃ怪しいじゃねぇか!」

にわかに色めき立つ僕等に、先生は鼻を鳴らして答えなかった。お礼を言えば、別に、とだけ返される。
恋愛物のネタにでもなるかと思ったけど、そこを忘れてるんじゃあなんにもならないしな、と意味の無い憎まれ口を叩く彼に苦笑した。
そういうことを言わなければもっと色々変わると思うんだけどなあ。相変わらず捻くれている。
通りの向こうに間田君の影を見つけて、由香子さんは目を覚まして、露伴先生と仗助君はまた喧嘩を始めて、承太郎さんは噴上君に質問攻めにされてて、億奏君は間田君に向かって手を振っていて、この状況をどうすればいいのか僕にはさっぱり判らない。夜が始まりそうな中で、ここだけ昼間のような喧騒。
このメンバー、というか、これだけの人数が集まってろくなことになる筈が無かった。鈴美さんとかいればまとまったかなあと再度現実逃避。
とりあえず僕は間田君にお願いする。約束通り彼はサーフィス人形を持って来てくれていた。ありがとう。そうして僕は地図を渡す。







別に、作戦らしい作戦なんて僕に立てられる筈も無い。僕は至って普通の凡人で、凡人だから、誰もが思いつくようなことくらいしか思いつかないんだ。
承太郎さんが来てくれるとは思っていなかったので、もしかしなくとも作戦は彼にお願いした方が良かったのかもしれない。
僕が考えた作戦なんて、本当に幼稚で単純だ。由香子さんに化けたサーフィスに、噴上君の持ってきた地図の場所を歩いてもらうだけ。それだけだ。
犯人が誰なのかなんて僕はさっぱり判らないけれど、絶対にもう一度由香子さんに接触するだろうと思った。
人の記憶の一部分だけ消して、自分に何の得も無い事をしてそれだけで終わる人物なんているだろうか?僕はいないと思う。
それに、由香子さんの性格からいって、こういうのもなんだけど、絶対に犯人から恨みを買っているような気がするんだよなあ。
根拠のない自信がもとだ。それでも結果的に言って成功したようなので僕は安心する。
サーフィスの後ろをぞろぞろと歩く訳にもいかなかったので、エコーズを飛ばして様子を見ていたら、途中から由香子さんをつける怪しい人影を発見、急いで接近。
噴上君が臭いでその人物を特定、で、その男の人が由香子さん(サーフィス)に襲いかかった所を承太郎さんが時間を止めて殴り飛ばして、億康君が空間を削って一気にこっちに持ってきて、仗助君が押さえつけた所で露伴先生が「抵抗できない」と書きこんで終了。僕の出る幕なんて無かった。
目の前、仗助君のスタンドに押さえつけられて呻く男性。僕に見覚えは無い。この街の人じゃあ無いのかな。来たばかりなのかもしれない。
夜になって薄暗い道。電灯の下で、地面に押さえつけられる男とそれを取り囲む集団なんて、一歩間違えれば僕達の方が通報されてしまいそうだ。
まあ、サーフィスに、由香子さんに化けたサーフィスに襲いかかってきた時点で犯人であることは確定なのだろうけれど。
ここまでのぐだぐだとした様子からは一転、皆動き出してからはなんというか頼もしくて仕方が無かった。
なんというか、あまりにも鮮やか過ぎて僕はこの人たちを絶対に敵に回したくないなと思う。本当に。
状況は混沌に陥るけれど、これだけの人数揃って頼もしいことこの上ない。

「くっそ、くそ!なんなんだよ!!昨日からよぉ!!どいつもこいつも俺を馬鹿にしやがって!」
「こいつの能力は、人の記憶を無くすことか?」

抵抗はしないけれどひたすら罵詈雑言を吐くこの男を一顧だにせず承太郎さんは露伴先生に尋ねる。
男を捕まえた時にお礼を言った僕に対して、彼は短く「後処理はこちらでやるから」と答えただけだった。頼りになるにも程がある気がする。

「『一番大切な物だけ忘れさせる能力』、らしい。なんていうか、性格のゆがみが伺えるね。まったく」

その点、サーフィスで近づかせた康一君の判断は正しかった訳だ。人形だからね。
判っていたんだろう?そういう能力である可能性。それに、最初からこうやるつもりだったんだろう?この男の存在を知る前に君は間田君を呼んでいたからね。
いやはや、そう言う所が君は流石なんだよ。君は何もしていないと言うけれど、君が何もしなくても周りはどんどん君の方へ集まって来る。
僕等は一人でたいていの事ができてしまうから誰かに頼る事が酷く苦手だけれど、君はそんなことは無いだろう?
君は助けの呼び方を知っている。そうして、助けを求める声をよく拾う。だから皆君のもとに集まるし君の事が好きだ。
そんな、露伴先生の長弁を僕はなんとなく落ち着かない気持ちで聞いているだけだった。
そんなたいした人間じゃあないですよ、僕は。そう一言言えば、たいしたことないから凄いのさと、若干失礼な返事。
僕たちが男の叫びに耳を貸さないのに気がついてから、彼は叫ぶのをやめて、ひたすらぶつぶつと何か呟いている。

「普通は、死ぬんだぜ。普通は、死ぬんだ。人間、一番大切な物を忘れたら死ぬんだぜ」

その物騒な台詞に僕は思わず眉をひそめた。それは、由香子さんが死んでもおかしくは無いと言う事で、こいつは由香子さんを殺そうとしたってことだろう?

「普通なら呼吸を忘れるんだ身体を動かす事を忘れるんだ生きる事を忘れるんだ。人間は自分の事が一番大切で大切だから忘れて死んでく。俺の事馬鹿にした奴は全員そうやって死んでったんだ俺の前から消えてったんだ。それをなんだ?あの女一つも変わりやしねぇ化け物だあいつはあいつはあんな化け物は生きてちゃいけねぇお前ら邪魔しやがって畜生あの女ぶっころさねぇと」

なんとなく僕は判って、その判った内容が反吐を吐きたくなるようなものだったのでそれ以上聞くのを止めた。
ただ、黙って僕等の行動を、というよりは僕を見続けていた由香子さんの方に向き直る。

「自分の命よりも僕の方が大切だったんだね」

由香子さんは答えない。無表情の中に、僕は、叱られるのではと恐れている小さな女の子の影をみつけた。
言いつけを破ってしまって、怒られて、嫌われるんじゃあないかって心配してる幼い子供のような表情。
僕は苦笑する。僕が彼女の事を嫌いになるなんてことあるはずが無いのに。

「自分のために生きてほしいって言ったんだけどなあ」
「仕方ないじゃない。貴方が好きなんだもの」
「ありがとう。僕も君が好きだよ」
「ええ。知っているわ」

記憶を無くしている筈の彼女は、ためらうことなくそう言いきった。本当に、ぶっ飛んでいる。記憶を無くしても彼女は相変わらずぶっ飛んで僕の事が好きだった。
世界はすっかり夜で風が吹き抜けて肌寒い。誰かが僕等のお話を書いたりしなくったって、これだけで十分刺激的な世界だ。

「さて、康一君。こいつの能力の解除方法だが、普通にこいつの意識を落とせばいいみたいだぜ。どうやらやっこさん、彼女に能力かけてから一睡もしてないみたいだな。こいつは笑える。さて、どうする?」

僕が眠れ、って書きこんでも良いけど。そう言ってにやにやと笑う露伴先生に、ありがとうございますと一言声をかけた。
僕は考える。考えたけれど、僕の中で結論はとっくに出ていた。僕の凡人性。
ぶつぶつと何かを呟き続ける男の人の前にしゃがみこむ。目を合わせる。僕は。

「悪いけど、っていうのもおかしいかなあ。僕は凄く普通の弱虫な人間で、ええと、だから、穏やかに済めばそれが一番良いって思ってるし、不必要な暴力は悪い事だと思うからどうしてもちょっと謝りたくなってしまうんだけど、でも、だけどね」

名前も知らない彼の眼が僕を捉えた瞬間に、大きく振りかぶった。喧嘩慣れしていない小さな手。

「好きな女の子に手を出されて頭に来ないような人間じゃあないんだよ」

思いっきり、殴った。ドギャン!という音を付けて。
気を失った男の人と、ちょっと痺れている僕の右手。人を殴るってけっこう痛いんだなあって思って、やっぱり僕は仗助君とかみたいにはなれないなあと感じた。
別に、由香子さんが好きでいてくれる僕でいられればいいので、僕はこのままでいいんだけどね。
僕を呼ぶ声。振り返れば、僕の好きな女の子が笑顔で泣いている。泣いてるもんだから僕は物凄く動揺する。ええええええ。
気がつけばあれだけ騒ぎたてる皆がいつの間にかいなくなっていて、どうやら噴上君や承太郎さんが気を利かせてくれたらしいと察した。

「ええっと、由香子さん」
「思い出したわ。思い出した。ごめんなさい康一君」

思い出せた事が本当に嬉しいのだけれど、どうしても止まらないのよと彼女は泣く。その姿があんまりにも綺麗で僕は言葉を失う。
今、彼女がどういう気持ちでいるのか、僕は完璧に察してあげることなんてできなくて、ただ、彼女の眼が僕を見つけてくれていることが嬉しかった。
僕との今までを持って、僕の事を見つけてくれた事が嬉しかった。何を言ってるのか自分でも判らないけれど、ただ僕は彼女の事が好きなんだと思う。
結局はそういうことで、だから、僕は。

「ねぇ、私、康一君のことを忘れても生きていたのね。よくものうのうとこの一日生きていたものだわ。あさましい」
「それで良いんだよ。僕は君の心臓じゃあないんだから。君のために生きて、君のために僕を好きになってよ」

そうして僕等は、僕等の記憶の、一番最初のキスをした。



***



そうやって積み重ねた僕等をいつか僕等自身が忘れてしまっても
君の眼の中に今日も僕は生きている

きう様リクエスト「JOGIOで康一君と記憶喪失になった由香子さんのお話」でした!
こんな作品ですが、きう様のみお持ち帰り可とさせていただきます!リクエスト本当にありがとうございました!

inserted by FC2 system