And But Cause I love you


同じ穴の類は友

言葉になんてするものか



***



退屈な映画だったと思う。何かド派手なアクションがあるわけでもなく、映像技術が駆使されている訳でもなく、夢を見せることもなければ希望に満ちている訳でもなく。
残虐を尽くすこともなければ破壊を叫ぶ訳でもなかった。
ただ、静かな庭で紅茶を飲んで、日が陰って、季節が過ぎて、丸い古びたテーブルと一脚の椅子に座り続ける老人。向かいにある空いた椅子。
そうしてまた、紅茶を飲んで、日が陰って、季節が過ぎて、花が咲いて、散って、若葉が芽吹いて、散って、雪が積もって、溶けて。
そうしていつまでもゆっくりと、紅茶を飲む、しわくちゃで小さくなった手。年を経ても増えたことが判らないくらいに、あまりにもしわだらけの顔。
ただ、その老俳優の目だけが印象的だった。少し白く濁った、明るいスカイブルーの目。無数に走る細かいしわ。年月を重ねたその目は静謐だけを湛える。
退屈な映画だったと思う。
本当に、本当に老人はそれだけの動作しかしなかった。咲き零れる金木星を見て微笑むでもなく、そよぐ風に目を細めるでもなく。鳴る木の葉に手を伸ばすでもなく。
死んだように座って、時折息を吹き返して、紅茶を飲んだ。
そのまま延々と続く。
ただ、映画の終わり、その最後に、最後の最後に、彼は少し口をあけて、幽かに何かつぶやいた。
字幕も表示されなかったし、ずっと黙り続けていたその声は擦れて少しも響かなかったので、何を呟いたのかは一つも判らない。
外人だって聞き取れなかったに違いない。聞きとるも何も、音になっていなかった。口パクで判断できるようなものでも無かった。
呟いたというよりは、ただの吐息に近いその言葉。

「話が長ぇ」
「ああ、すまないね。つい」
「それで、てめぇは何が言いたいんだ花京院」

帽子の下からのぞく目は、怒ってこそいなかったが、少し呆れているように見えた。
そんなに長々と話しているつもりは無かったのだけれど、まあ、きっと彼からしたら冗長だったんだろう。
要点のみを話そうとする彼に比べて、僕はついつい回り道をしたがる。でも、まあ、僕が普通だと思うんだけどなあ。
人間、無駄なことばっかり考えて、その無駄を共有しようとするもんじゃないんだろうか。彼には無駄なんてないのかな。
考えてみれば、彼には確かに無駄な所が見つからなかったので、意外と的を得ているかもしれない。

「言いたいことって言われると困るんだけどね」
「なんだそれは」
「承太郎には判らないかなあ」
「馬鹿にしてんのか?」
「いや、賞賛に近いよ」

石造りの道は、歩きやすいけれど足に固い感触を伝えてくる。両脇に並ぶ街路樹。こんな穏やかな道程は久しぶりだ。
僕等の前を歩くジョースターさん達。左隣に承太郎。思い返せば、こんなに沢山の人と一緒に道を歩くなんてこと無かったな。
友達なんていなかったし、と自分で思うのは自虐が過ぎるだろうか。ただの事実だし、友達を作らなかった自分も作れなかった自分も否定するつもりはない。
そぞろ歩く僕達の足取りは、重くは無いが早くも無かった。陽は少し陰り始めている。隣の承太郎の帽子の中も、陰って少し見えにくい。
ただ、本格的に呆れたような眼をしているのは雰囲気で判った。それが判るようになっただけ、僕も大分彼のことを理解し始めていると思う。

「お前は」
「なんだい?」
「いちいち回りくどい」
「そうかな。割と普通だと思うけど」
「疲れねぇのか?」
「それはそっくりそのまま君に返そうかな」

彼は僕に呆れているようだが、僕は彼に呆れる。必要な物だけを取り出して生きる労力を考えれば、無駄の多いまま過ごす事のなんと楽なことか。
無駄な脂肪を落とす方が大変。ダイエットっていうのはそういうものだろう?
とか言おうかとも思ったけれども、おそらく彼はダイエットなんて経験していないし、幸いにして僕も判らないのでこの不毛なたとえはやめた。
大小組み合わされた足元の石。どれも程度の差はあれど汚れて、すり減っている。石に浮かぶ黒点。雨の跡。
そういうどうでもいいことを気にする僕。足元を見もしない承太郎。

「判らねぇな」
「判らないだろうと思って判らないように言ってるんだからそれでいいんだよ」
「それが判らねぇ。だったら話さなければいいだろう」
「無駄話って言葉知ってる?」

無駄話。そう言えば、彼はなんとなく理解したようだった。ああ、と返事ともため息ともとれない言葉が口から洩れる。
どうして無駄話をするのかはいまいち理解していないようだったけれど。
そんな彼の様子を見て僕は思う。友達がいないのはきっとお互い様だろうな。
きっと、人気はあっただろうけれど。人として付き合うには必要な物が、彼には絶対的に足りてない気がする。
無駄が無くて人じゃなくて人に好かれるなんて、それはもはや信仰の対象みたいなもんだろう。
まあ、そんなことはそれこそ口にするべきじゃないことだ。無駄話無駄話。

「それじゃあテメェが唐突に話しだした映画の話は結局意味が無いんだな」
「そうだね。本当に、ふと思い出して話したくなっただけだよ」
「どうして話したくなったのかが聞きたかったんだが」
「そこは考えてなかった」
「考えろ」
「ええ、今から?」

仕方ない。仕方ないので考えてみる。そうだな、どうして僕は唐突にあんな話をしようと思ったんだろう。
とは言われても、説明できる理由なんて無いんだ。彼のように、何もかもに理由を持って行動するような人間じゃあ無いんだよ僕は。
ただ、そんな理屈は彼には通じなさそうだったので必死に考える。空回りする音しかしない。
というか、理由、ねえ。あの時の僕の思考回路を僕はしっかりと覚えているわけだけれど、それは言葉にできるようなものじゃあないんだ。
どうするかな。
考え事をしていたら、前方のジョースターさん達から少し遅れてしまっていた。慌てて歩幅を広げる。
広げるついでに、もうちゃっちゃか降参することにした。ごめんよ。

「理由はあるんだけどさ」
「ああ」
「言葉に出来るようなものじゃないんだよ」
「どういうことだ」
「そのまんまさ。言葉に出来ないから言葉に出来ない。以上」
「お前」
「何かな」
「疲れねぇのか」
「いやあ、だからね、」
「少なくとも俺は、言葉に出来ない物を伝えようだなんて思わねぇぜ」

驚いて彼の顔を見れば、本当にいぶかしげな瞳に迎えられて驚愕する。本気か。これ。
なんていうか。

「君って、本当にコミュニケーション不全だよね」
「初めて言われたな」
「言う人がいなかったってことだろう」
「成程」

僕の認識だと、人間ってのは、伝えられない気持ちを伝えようと、昔からあくせく四苦八苦しているもんだと思ってたんだが。
その伝わらないもどかしさにもだえるもんだと思ってたんだが。
っていうか、そうじゃなかったら芸術作品とか一切生まれない気がする。あれは全部言葉の代用品じゃないのか?
伝わらないって知りながらも必死に伝えようとした結果じゃないのか?
ぐるぐる悩む僕を尻目に、彼は一つ納得したようだった。成程。ともう一度繰り返す。

「確かにそれは不全だ」

そう言って幽かに皮肉気に、若干楽しそうに笑った。指摘する奴もいないとは、確かにそうだ、と。
僕もこれ以上は何も言わない。というか、本当は僕も人のことを言えたもんじゃないんだが。
少し離れて、前方の三人が僕等を呼ぶ声がする。また少し離れてしまっていたらしい。
慌てて、いつの間にかゆっくりに戻っていた歩調を速足に変える。悠々と隣を歩く彼。糞、足が長すぎるんだ。

「承太郎」
「なんだ」

なんだろう。こういう、誰かが僕のことを待っていてくれて、僕の名前を呼ぶというようなこと。
道を一緒に歩く友人がいて、無駄話に相槌をうってくれる人がいてさ。いや、遮られちゃったけどね。
陽は陰るし、雲は紫金にたなびくし、毎日のように日本でも見ていたそれがなんだかひどく胸を締め付けるし。
風は緩くぬるく吹くし梢は揺れるし鳥が横切るし。
そういう何もかもが凄く胸に迫って、なんで胸に迫るのかも判らなくて、でも気分は良くて。
結局僕は今幸せなんだろうけれども、この感情を幸せの一言で片づけるのはあまりにも勿体無くって。
言葉にしちゃったらその瞬間にこの気持ちはその言葉に固定されてしまう訳で、それがどうしようもなく嫌で。
そういえば、言葉の無い映画を見たことがあったなと思いだして、そうか、あの老人はきっと言葉にするのが嫌だったんだなと今更思ってさ。
向かい側、人の欠けた椅子と一緒に、きっと世界を愛していたんじゃないかなとか思ったんだ。
彼は咲き零れる金木星も、そよぐ風も鳴る木の葉も全て愛しくて、でも愛しいっていう言葉じゃ全然足りないから喋らなかったんだろう。
だから最後も、そっと、誰にも聞こえない言葉にならない溜息をもらしたんだろうな、なんてことを思って。
でも、それじゃあ結局誰にも届かないよな、と思ったらまたなんだか寂しくなって承太郎に話しかけてしまったんだけれど。

「なんでもないよ」

準備していた言葉を、考えていたこと全てを飲みこんで、ただ笑いかけた。
きっと、この説明を全て話したらまた彼に、話が長いと呆れられてしまうんだろうなというのは判っていたので。
僕の笑顔を、意味が判らないという顔をしながら受け止める彼を見て僕はまた笑みを深くする。
言葉になんてしてやるものか。僕の今のこの気持ちを、言葉なんて安易な物で伝えてやるものか。

「結局テメェは何がしたかったんだ」
「お喋りしたかっただけださ」

この時の僕の顔は、きっと沈んだ太陽で見えなかっただろう。



***



「なあ、承太郎」
「なんだ」
「日本に帰ったら映画を見に行かないか」
「何か見たい物でもあるのか」
「いいや。でも、とびっきり退屈な映画を見に行きたいんだ」
「退屈なモンを見ると、俺は途中でイライラして出ちまうんだが」
「君、無駄が嫌いにもほどがあるよ」

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