And But Cause I love you


白昼夢より確かな未来

「承太郎、君って結構読書家だよね」
「さあな」
「何処で読むのが好きとかはあるのかい?」
「窓際」



***



「花京院」
「おや、承太郎」

珍しく承太郎は驚いた表情で僕を見つめる。驚いていると誰にでも判るような表情で驚いている。まあ、こんな場所にいるとは思わないだろうから、当然か。
図書館の隅、奥まった狭い場所。そんなに人気でもない作家の本や、処分間近のような古い本が固まっているスペース。
そこで僕は、上の本を取るための足場に座って、本の背表紙を眺めていた。僕の好きな作者の新刊があるかどうか探して。
そもそも人の少ない図書室で、この場所は殆ど人が来ない。長方形の形をしている筈の図書室の出っ張りを利用したかのように作られたおまけの場所。
近くに窓なんて当然ある筈も無くて、ただでさえ閉鎖的な図書室で、ここは特に湿っぽかった。
だけど僕はここが好きだった。誰にも邪魔をされること無く静かに本を読める。僕の特等席。
そもそも図書室には独特な雰囲気がある。どんなに五月蝿い人間でも、静かになってしまうような。暴走族だって啖呵を切るのをやめるような、絶対の静けさだ。
本自体が沈黙を発しているかのように、図書室はどんな時だって静謐をたたえている。誰が居てもいなくても。
ただ、それでも、友人同士の小さな小声の会話というのはどうしても存在するもので、あんまり静かだからそのひっそりとした最大限の注意を払った小声だって響いてしまうのだ。
我ながら神経質だとは思うが、僕はそれが気になってしまうタチだった。勿論、流石にそれを注意しようだとかは思わないけれど。
たいていそんな会話なんて言う物は、二言三言のやり取りと、小さな小さな笑い声で途切れるものだし。
まあ、それは本筋にはあまり関係ない。取りあえず僕はそんなわけもあって、図書室のなかでも一等静かなこの場所をとても好んでいた。誰も来ないから。
いや、今、ここには承太郎がいる。そして僕が好まなかった会話をしている。成程、図書室で会話する人間の気持ちが少し判った。少しだけなら許されるだろうと言う、そういう感情。
少しくらい許してくれよという、若干の背徳感とほんの些細な優越感。この静寂の中でも話を出来るくらいに親しい人がいる事実は少し気分を高揚させる。
全く、棚上げとはまさにこのことだ。小さく笑えばいぶかしげな視線を向けられた。そりゃそうだ。まさかこんな所で出会って、いきなり笑いだされたら誰だって意味が判らない。

「承太郎、君普段から此処に来るのかい?」
「図書室には来るぜ」
「ああ、そうじゃなくて、このスペースの近辺ってことさ」
「いや、ほとんどねぇな」

そうか。それじゃあ本当に偶然だった訳だ。とりあえずこの偶然に感謝しておこう。思いがけなく会えたのだし。
まさかだ。まさか会えるとは思っていなかった。いや、会う会わないなんてほとんど意識していなかった。なんてったって、此処はただの図書室だ。
そんな僕の感慨なんて気にも留めずに、承太郎は淡々と訪ねてくる。

「何か、読みたい本があるのか」
「うーん。読みたいっていうか、好きな作者の新刊があるか確認したかっただけなんだよ」
「ああ」

だが、どうやら無いらしい。一通り眺めてそう思う。作者名の近辺に、前作まではあったけれど新作は無かった。まあ、そんなものか。
この場所は図書室の中で全然重要じゃないというか、割と粗雑な扱いを受けている所でちょいちょい順番がバラバラになっていたりするから、他の場所に置かれている可能性もあるけれど。
そうは言ってもかなりの時間この本棚を見ていた気がする。これだけ見て無いのだから無いんだろう。そもそも人気が無いから取り出す人すら少ないし。
別に今取り出して読もうと思っていた訳でも無い。だから全然気にすることは無いんだと笑った。
ただ、承太郎の反応が鈍かったので、少しいぶかしく思う。反応が薄い彼とは言えと、いくらなんでも反応が無さ過ぎだった。

「どうかしたの?」
「てめぇが探してる本ってのは、これか」

承太郎の身体に隠れて見えなかった一冊の本。それなりに質量のあるハードカバーの筈なのだけれど、彼の前だとなんだか新書みたいな感じに見えるなあとか関係ないことを思った。
凄く時代遅れな、ダサい色とデザインの装丁を見て、僕は題名を見る前から確信する。絶対にこれだ。間違いない。
そして案の定。だった。成程。彼が借りていたから此処に無かったのか。それはまた、随分と面白いことだった。愉快だ。凄く、とても、愉快だ。
今度こそこみ上げてくる笑いは、彼にも伝わっただろうか。その理由が。僕が思わず笑ってしまったその理由が。
だって、彼がこの本を借りたその理由を考えれば、明白だ。どうしよう、今僕は思っていた以上に嬉しいらしい。愉快だ。愉快だ。
彼は顔をしかめて僕を見ていた。僕が笑っている理由に気がついたんだろう。彼が借りた理由を僕が気付いたことに気づいたんだろう。
相変わらずの帽子を触って、やれやれだぜ、なんてお決まりの一言を呟く。

「でも、それ、借りたのにどうしてまたこの場所に来たんだい?」
「違う。返しに来た。後は帰るだけだ」
「成程。でも、それって図書委員の仕事だろう?」
「この本一冊のために此処まで来るのは面倒だから戻しておいてくれだと」

それはそれは。僕の好きな作者とこの場所は、相変わらずの扱いを受けているらしい。酷いな。
まあ、確かに、他の本とまとめてしまうならともかく、たった一冊の本のために外れたこの場所まで来るのは面倒臭いだろう。その気持ちは理解できる。
ただ、はて、目の前の友人は、そういう職権乱用と言うか、仕事放棄と言う物が好きではない筈なのだけれど、よくもまあ引き受けたなと思う。
図書室にはよく来ていたから、図書委員の顔触れは覚えているが、ふむ、確か女子がとても多かった。誰か気になる子でもできたかな。
あんまりにも「気になる子」という響きと承太郎がマッチしなくて、また笑いそうになってしまった。いやいやいや。流石にこれは失礼だろう。
僕ってこんなに笑い上戸だったか。こんな所で意外な発見だ。少なくとも図書室で発見するべきでは無かった。

「よく、それで君が素直に戻しに来たね」
「どういうことだ」
「怒りそうなもんじゃあないか。『それはテメーの仕事だろ』とかさ」
「お前、物まねが壊滅的に下手なんだな」
「それはその通りだけど、君だってどうせ最低レベルだろう」

違い無い。そう言って承太郎は少し愉快そうに眉を上げた。人のこと言えないどころか、間違いなく彼の方が向いていない。
「モノマネ」と「承太郎」も随分と取り合わせの悪い言葉だと思う。いや、彼に似合う言葉の方が少ないのかな。世の中には。
そもそも、モノマネだって?あの空条承太郎が?彼が、彼以外になれる筈が無いのに、だ。承太郎は承太郎以外の何物にもなれないだろう。
彼が他の何かに成りたがっている所なんて想像がつかない。彼も誰かしらに憧れたりするのだろうか。完璧超人に近い彼が?
なんていうか、それはまた随分とリアリティの無い想像だったのですぐに打ち消した。無い無い。良くも悪くも彼の自我がそんなこと許すはずが無いのだ。
いつか遠い未来。数年後か数十年後か判らないけれど、彼が彼じゃなくなる瞬間なんてきっとこの世界には訪れないだろう。
どれだけ時間が経っても、だ。そこまで考えて、そうだ、今、どれだけの時間が経ったのだろうと思った。結構長い時間話しこんでいるような。
少なくとも、二言三言じゃ済まないぞ。しまった。いくらここが奥まっているとはいえど、ここまで話していれば声は漏れているだろう。
図書室は静かに。自分がされて嫌なことを人にしてはいけません。小学生に言い聞かせるように自分に伝えた。

「そもそも」
「うん?」

一人で納得していたら、彼の話はまだ終わっていなかったらしい。慌てて意識を彼に戻す。
ええと、なんの話だったか。うっかりしていた。そう、そうだ、彼が本を戻しに来たこと。文句一つも言わずにこの場所に来たこと。
慌てる僕が彼にどう見えているんだかは判らないけれど、彼は特に気にした風でも無く言葉を続けた。

「図書室は静かにするものだろう」

その言葉は、たった今の僕の思考を読んでいたかのようにあまりにもタイミングがよくて驚く。驚いた。驚きのあまり固まってしまった。
数秒後に理解して、やっぱり笑いそうになる。僕は今日この時間だけで、どれだけ笑いそうになっていると言うのだろう。落ちつけよ。自分。
ああ、本の力は偉大だ。この格言、言った人の意図とは違うだろうけれど、僕もそう思う。本の力は偉大だ。
大量に沢山の、山のような本が集まった場所なんかは、特に。本は静寂を持っていて、それを背表紙から静かににじませ続けている。
その通り。彼の言うとおり。図書室は静かにするものだ。喧嘩する場所じゃあ無い。言い争う場では無いし、お喋りをする場でも無い。
だから、そう、これ以上ここで会話していたら、きっと本に怒られてしまう。そして何より、僕はともかく承太郎がかわいそうだった。

「そうだね。図書室は静かにするものだ」
「ああ」
「暴走族だって、学校一の不良だってね」
「なんでそこで暴走族が出てくるんだ」
「それじゃあ行こうか」
「何処へ」
「どこへって」

まさか自分の言った台詞を忘れたわけじゃあないんだろうけれど、あんまりにも僕の台詞が自然だったので良く判らなかったらしい。
苦笑する。彼にしては間抜けな台詞だと思ったが、それも仕方のないことかもしれない。からかうことも無く、さっきの彼の台詞をそのまま投げる。

「あとは帰るだけなんだろう?」

無言で図書室のドアを開けて僕を先に通したあたり、彼は不良でありながら紳士だなと、随分と矛盾したことを思った。
「紳士」と「承太郎」。思いのほか、違和感のない組み合わせ。
ありがたく彼の開けてくれたドアを通って外へ出る。風はすっかり秋に染まっていた。







ゆっくりと歩く放課後。彼の歩幅は大きいので実際進む距離は遅くも何とも無いのだけれど、踏み出す一歩は実にゆっくりとしたものだった。
まあ、あんまりせかせか歩くっていうのも似合わないか。走るっていうんならともかく、競歩は似合わない。
街路樹の葉が風にゆれてさらさらと鳴る。幾枚かは落ちる。陽は西日で随分と深いオレンジ色だった。
車道を通る車は、さて、帰宅する会社員のものでは無いだろう。時間が早すぎる。買い出しのお母さんとかかなあ。
下校する生徒で、それなりにある人通り。誰にもぶつからないように歩くのがひと苦労だった。

「どっか」
「うん?」
「寄りたい所とかねぇのか」
「おや」

付き合ってくれるのかい?と聞けば返事は返ってこない。まあ、よっぽど変な場所じゃない限りイエスってことだろう。わざわざ聞いてくれたんだから。
寄りたい場所。いくつか思い浮かぶ場所が無いでもないし、向かわなくちゃいけない気もしたが、考えた結果、僕は首を振った。

「いいや。特に無いよ」
「そうか」
「うん」
「承太郎は?ああ、帰るだけだったっけ」
「そうだな」

そう言った彼の足取りは迷い無い。迷い無いけれど、おや、と思う。彼の家はこっちの方向だったろうか。
さっきの道をまっすぐだと思ったのだけれど。とはいっても、彼の家に行ったことなんて一度くらいしかないから確信なんて無い。
そもそも、彼が自分の家を間違える筈も無いのだから問題ないだろう。僕の家は彼の家より先にあるから、彼の家までは一緒に行けばいい。
ゆっくりと歩く。街路樹は途切れて、ただ車道に白線が引いてあるだけになった。コンクリートの凸凹が光る。
ブロック塀に生えた苔は秋に染まることなく深い緑を保っていたけれど、世界はほとんど秋を迎えていた。

「それにしても凄く良い天気だね」
「ああ」
「風も適度に爽やかだし。秋はいいね」
「秋が好きか」
「春も夏も冬も好きだよ。季節は美しいだけだから」
「そうか」

ゆっくりと歩く。彼はいつになくゆっくりと歩く。傍から見たら普通かもしれないが、僕には判る。なんてったって、ずっと一緒に歩いて旅していたんだから。
彼の足取りは遅かった。まるで、何処にも辿りつきたく無いとでもいうように。歩き続けていたいかのように。
それでも彼は歩みを止めない。家の数が段々とまばらになってきた。もう確実だ。確実に彼の家はこんな所に無い。勿論、僕の家だって。
となると、彼が行こうとしている場所は一つくらいしか思いつかなかった。ある種の確信を持って僕は思う。きっとこの予想は正しいだろう。

「良い天気だね」
「そうだな」
「風も気持ちいい」
「そうだな」
「秋はいいね」
「秋が好きか」
「そうだね。秋が好きだったよ」

そして彼のゆっくりゆっくりとした足取りはついに立ち止まった。そして僕は此処に来たことは無い。初めてだ。
目の前に広がる、墓地。とても静かで静かな空間。静寂と静寂。ただ、さわさわと木の葉が揺れる音だけがしていた。
ついさっきまで、住宅地にいたのに、まるでこの空間だけ隔離されているかのようにあんまりにも静かだった。時間が止まっているかのように。
そこに並ぶお墓の一つ一つが静寂を発しているかのように。ああ、その点じゃ、図書室と少し似ているなあなんてこじつけみたいにそれでも素直な感想を抱いた。
お墓の間を、僕の好きな秋風が流れていくのを感じる。寒くも暑くも無くて、ただ頬を撫でる柔らかい陽射しの香り。

「花京院」
「此処に僕のお墓、あるのかい?」
「ああ」
「そっか。この街に越してきたばかりだったからね。こんな所にお墓が有るなんて知らなかったよ」
「花京院」
「承太郎は、本当に承太郎だなあ」

僕の台詞が予想外だったのか、彼は不機嫌そうな顔になった。自分の話を遮られたのが嫌だったのかもしれない。
それでも僕は気にせずに考える。本当に、彼は強いなあと思う。全く。図書室で僕に出会った時のあの冷静さはなんだいったい。幽霊なんだからもう少し怖がってくれないと。
こっちも凄く普通に応対してしまったじゃないか。まあ、なんであそこにいたのか自分でも判っていないんだけど。

「花京院」
「しかも、それで僕をお墓に連れてくるかい普通」

訳を尋ねるでもなく、理由を追及するでもなく、ただ黙ってお墓まで一緒にやってきた。彼の真意は判らないけれど、普通の人間に出来ることじゃあない。
何も尋ねないなら、何も尋ねないまま別れてしまえばよかったのに。最後まで追求しないと納得しない性分は変わらないようだった。
本当に面白い。泣いてすがりついてくるとか、声高に叫ぶだとかする訳でもなく、偽物だといぶかしがるでも無く、僕の存在を受け入れて、そうしてまた、別れると知って此処に連れてきた。
「泣いてすがりつく」と「承太郎」。これもまた、随分と似合わない取り合わせだ。
それにしたって、彼は寂しく無いのだろうか、とか考えてちょっと悲しくなる。僕とすぐに別れてもいいと思っているのだろうか。判らない。
何も尋ねないなら、何も尋ねないまま別れてしまえばよかったのに。こんな所に連れてきて、決定的なものを見せなくったってよかったのに。
そうしたら、もしかしたら、僕は今日をふらついてうろついて、明日もう一度君に会えたかもしれないのに。
そうやって、時が止まった僕も、君と一緒に季節を眺められたかもしれないのに。知らんふりをしていれば。
曖昧な物を曖昧なまま、あやふやな関係をあやふやなままにしておけない彼の性分は、随分と厄介で生きるのが大変そうだと思う。
でも、それはとても彼らしくて、僕はそんな彼の事が好きだった。彼になりたいと思ったこともあった。
僕は笑う。本当に楽しくて笑う。この墓地に響き渡るけれど、静寂を裂いてしまうけど、どうせ承太郎にしか聞こえないんだ。少しくらい許してくれよ。
許してくれよ。友達との最後のお喋りくらい。
あんまりにも楽しくて嬉しくて、笑い過ぎて目じりに涙が浮かんだ。僕は君になりたいと望んだことがあった。勿論、僕は僕のままなのだけれど。
目を閉じて思い出す。彼が返しに来た本。僕の好きな筆者の新刊。僕が読むことの叶わなかった、彼の大嫌いな、僕の大好きな作家の、新刊。

「承太郎、君は僕にはなれないよ」
「別になるつもりもねぇよ」

こんな時でも彼の答えはクールだった。その通り。僕になるつもりなんて彼には無いだろう。そんなこと、僕にだって判っていた。
花京院。そう、もう一度名前を呼ばれた。なんだい?この場に似つかわしく無いくらい、いたってお気楽な調子で僕は答える。

「ただ」
「うん」
「ただ、会いたかっただけだ」

なんだかその台詞はあんまりにも空条承太郎らしく無くて、でもそんな言葉を言ってもらえたことが凄く誇らしくて嬉しくて気分が高揚してそして悲しかった。
何か言おうと思ったのだけれど、言葉はうまく形にならない。僕の声はもう空気を震わせられない。
でもやっぱり彼のその台詞はとても嬉しくてなんだか愉快になってしまったので、僕は精一杯大きく笑った。
その笑顔は彼に届いただろうか。僕の視界には、ただトレードマークの帽子の下。大きく顔をゆがめた彼の、いつも通りに皮肉気な泣き笑いだけ残った。



***



バイバイ、ばいばい、バイバイ
さようなら
僕のいない未来で君はひたすら君であり続けるんだろう

ヤス様リクエスト、「JOGIOで花承のお話」でした!
この作品はヤス様のみお持ち帰り可とさせていただきます。リクエスト、本当にありがとうございました!

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