And But Cause I love you


小鳥と小箱

陽の海に沈むように



***



「ねぇ、ブチャラティ」
「なんだい」
「好きな色はなあに?」
「好きな色?」
「そう」

真っ白な病室だけれど、冷たい印象が無いのはどうしてだろう。
あたしの目の前には、ミイラ男と見まごうばかりに包帯でぐるぐる巻きにされた男がいる。ブチャラティがいる。
ブチャラティが生きている。
ベッドの脇に座って、困ったように笑う彼をひたすら見つめている自分。あたしの隣には大きな窓。繊細な白い装飾がついたその大きな窓は開け放されて、金木星の香りを運んで来ていた。
金木星と、乾いた土、植え込みの向こうの道路から聞こえる姿の見えない子供の笑い声。窓から差し込む春の明るい陽射しは、彼の目には届いていない。
暖かいということは判るよと、陽射しよりも暖かくほほ笑んだ彼の顔を私はしっかりと覚えている。それを見てみっともなく泣きだした私の不格好な嗚咽も。
包帯でぐるぐる巻きのミイラ男。その目までおおわれた真っ白い包帯を、幾度引っぺがそうと思っただろう。
きっとそれを剥がしたら、彼は太陽を溶かしこんだような眼で私のことを見つめてくれるに違いないのだ。
勿論、そんなことは起こりっこないし、彼の怪我が治るためにはこのまま待つしかない。待つしかないって判っている。
ただ、感情と理性は別物だということを、この男は理解してくれるだろうか。感情のままに包帯を引き裂く私の感情を理解してくれるだろうか。
それほどまでに貴方の目に映りたい私の感情を理解してくれるだろうか。
無理だな、と思った。この男にそこまでのデリカシーがある筈が無い。あるならここまで苦労しないというのに。女心の欠片も判っちゃいないのだ。この武骨で実直な男は。
大きな溜息は窓の桟を撫ぜることで誤魔化した。トリッシュ?とやっぱり穏やかな声で私の名前が呼ばれて、意識を戻す。
真っ白い病室。真っ白いベッド。ひとかかえもある真っ白いクッションの上に、上半身をもたれかけさせた真っ白いミイラ男。あたしのヒーロー。
真っ白な世界の中で、色とりどりの花が彼の周りを飾る。匂いが強く無くて、花粉を取り除かれた美しい花。
うずたかく積まれた果物は、ブチャラティがまだ食べることが出来ないからとミスタが全て食べてしまった。叱ろうにもその通りだったので、黙って見過ごすしかなかったのだけれど。
とはいえ、奴が林檎だけ残そうとしていた時は殴った。思いっきり。そんなあたしたちを、咎めるでもなく穏やかに微笑みながら見守っていたブチャラティ。
ああ、目が見えていないのに見守るっておかしい。おかしいけれど、一つも間違っていない。そういう風に、穏やかな笑顔が陽に透けてとても似合っていた。
彼のそんな笑顔をあたしは初めて見たのだ。きっと彼本来の笑顔。ミスタすら目を丸くしていたんだから、よっぽど珍しかったんだろう。
それ以来、果物は姿を消して、花だけが彼の周りに増えていく。それすらもブチャラティはまだ見ることが出来なくて、ただ枯れていくのを待つだけなのだけれど、枯れた花は見当たらない。
少しでも萎れてくると、ジョルノがこっそりと命を与えているのを私は知っている。一つでも枯れてしまったら彼の命も萎んでしまうんじゃないかって、子供らしい不安をこっそりと抱えている。
少し下を向き始めていた筈の雛罌粟は、次の日空を向きながら風に揺れていた。
口に出して指摘したことは無い。ただ、一度、ジョルノが居てブチャラティが眠っているときに思わず呟いた。

「此処は、時が止まっているみたいね」
「そうですね」

世界の真理に逆らって、時間を止めている物があるのだとしたら、それはきっと僕等の執念なんでしょうね。
そんな、ジョルノらしくもない安直で諧謔的な言葉に、空気よりも軽く、そうね、と返した。そうね。そう。その通り。
それ以来、この話題には触れていない。新しいボスとして走り回る彼はなかなかこの病室には来れない。それでも必ず数日に一回、ひっそりと訪れる。
そうやって花は枯れないで、日に日に姿を増やして、彼の目に映るのを待っているのだ。暖かい日差しのような目に映るのを待っている。私とおんなじように。

「俺の好きな色か?」
「ええ。貴方の好きな色」
「なんでまた、いきなり」
「そうね、貴方の事全然知らないから、これを機にと思って」

お墓に何色の花を添えればいいのかも判らないなんてまっぴらだった。
そもそも彼が死ぬだなんて、私は全く考えたくも無いのだけれど、実際彼が死んだかと思った時に考えてしまったんだから仕方ない。
私は彼のことを何も知らなくて、彼は私のことを何も知らないのだ。そんなの、そんなもの、なんて言えばいいのか判らないけど、糞くらえだった。
昔、さよならだけが人生だ、なんて、知ったような顔して言ってきた酔っ払いがいた。あたしだってそれくらいしっているわと突っぱねたけれど。
でも、だからといって、そうなるくらいなら出会わなきゃよかった、なんてふざけたことを言う奴は馬鹿だとしか思えない。
あたしは、あたしは、ぼろぼろになるくらい傷ついて、私の心が包帯でぐるぐるのミイラになるまで、傷をつけていってほしい。
その傷があれば、何時だってあなたを思い出せるから、とか、子供っぽすぎるだろうか。
ねえ、ブチャラティ、あなたが死んでしまったと思ったときの私の気持ち、あなた絶対わからないでしょう?
そんな形で自覚する羽目になった私の恋心なんて分からないでしょう?
あなた、特大の傷を私に遺していくところだったのよ。治し方も分からないような、飛びっきりたちの悪いやつを。
辛くて辛くて苦しくて痛くて悔しくて息の仕方も分からなくなって自分が誰なのかも分からなくなるようなあの感情の坩堝。あたしの致命傷。
だけどそれすら愛しかった。あなたが息を吹き返した時、それ以上に嬉しかった。幸せだった。
どんな言い訳をしたって、恥ずかしくなるくらいに、私はただの恋する乙女だった。大人ぶったって隠しきれやしない。
でもいいの。と何度目か判らない自分への肯定。だって私はまだ15歳の子供で、子供なのになんだか色んな経験をして、随分と苦労を重ねちゃったりしたのだから。
だから、そう、子供らしい我儘を言ったって、許されたっていいじゃない。いいかげん、自分に正直に生きていいじゃない。だってこいつ、そうでもしないと判らないくらいに鈍いんだから。
あのナランチャでさえ気付いたっていうのに!

「ねえ、だから、好きな色を教えて頂戴」

少し考え込む彼の答えを静かに待つ。待ちながら考える。夢を見る。
彼の包帯がほどけて、その眼が開いた時に、真っ先に飛び込むのは彼の好きな色だと良い。この病室を、彼の好きな色で埋めよう。そうしてその中で静かに待とう。
彼が目を開けたら、にっこりと綺麗にほほ笑んで、気のきいた言葉をかけよう。子どもらしく素直に、鈍い彼にも分かるような単純で暖かい言葉。
きっと、きっと、ここに差し込む陽射しが、夏の激しく燃える炎になるまでには、彼はきっと目を開くだろうから。そして海へ行くのだ。海辺の家へ。
彼の答えを待つ。随分と悩んでいるようだけれど、彼は自分の好きな色さえ考えたことが無かったんだろうか。本当に、もう、呆れた男だ。

「そうだな」
「うん」

春の日差し。金木星の香り。美しい花。彼の好きな色。私の好きな彼の眼。
柔らかな病室で、彼になんと声をかけようか。私の心の傷も、ゆっくりゆっくりいやされて、彼が目を開けたときに呼吸を始める。
だから、そう、それまでに、泣き腫らしたこの真っ赤な目を元に戻そう。



***



とろけるような輝きが今を包む

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