And But Cause I love you


春風に浮かぶ

殴り合いの喧嘩をしたのは何時だったか



***



「おせぇよ」
「心に余裕を持て。苛々してばかりだと禿げるぞ」
「将来俺がハゲようがハゲまいが、仕事中に頭巾被って蒸れるお前がハゲる未来は変わらねぇからな」
「それは困った」

随分と下らないやり取りをしながら、リゾットは俺の向かいの席に着く。オープンテラス。暖かい陽射し。白髪。高級じゃないが清潔な黒いシャツ。骨ばった手。正面にきた顔は相変わらずの無表情。
冗談を言う時くらい笑えばいいじゃねぇか。口の端を持ちあげるのにどれだけの手間がかかる。
俺の冷たい目線をよそに、ウェイターは静かにメニューを持ってきて一礼して去った。

「すまなかったな。思ったより長引いた」
「別に15分くらい構わねぇよ。しかし珍しいな、テメェが時間を読み違えるとは」
「ああ。俺も予想外だ。まさか迷子の母親探しにあそこまで手間取るとは」
「はぁ?」
「あ、エビとバジルのパスタ一つ。」
「おい、リゾット」
「……いや、ワインはいらない。ありがとう」

俺の睨みにも関わらず、メニューを受け取って、さっきと同じウェイターは一礼して去っていく。たいした職業意識だ。褒めてやってもいい。
いや、俺はリゾットを睨んでただけだが。ったく。

「てめぇ、なんで飲まねぇんだよ」
「怒っているのはそこなのか?」
「いいや、何処にも怒っちゃいねぇさ。なぁ、リーダー」
「なんだ」
「その迷子のガキは、テメェが近づいた時、泣きわめいたんじゃねぇか?」
「いや、そんなことは無かった」
「大物になるぜ、そいつ」
「俺をけなすために他を持ち上げるな」

ただの本心さ、そういえば小さく肩をすくめられた。
どうもこいつは、本筋に関係無い所で些細なことに巻き込まれやすい。いや、巻き込まれる、じゃそいつに失礼だ。
周りは巻き込むつもりなんてないってのに。こいつがホイホイと近づきすぎる。
今回みたいに迷子の子供を助けたり、迷子の大人を助けたり、婆さんの荷物を持ってやっていた、とか、ドミノ倒しになった自転車の片付けを手伝っていたとか。
こいつもたいがい、馬鹿。
別に、俺だって道を聞かれれば答えてやるくらいはするし、目の前の奴がハンカチを落としたら拾ってやる。財布が落ちてたら交番に届けてやったって構わない。
ただ、こいつはそういう何やかやの遭遇率が高すぎる。いっそ信じられないくらいだ。そしていちいち立ち止まる。時間は有限で、有限は価値で、価値は権利だっていうのに。
のんきにそれをどぶに捨てて、無表情に誰かを助ける。
そんな最凶の暗殺者。駄目だ、安物の映画みてぇ。

「プロシュート、それじゃあお前は何に怒っているんだ?」
「あん?」
「遅刻したことでもない、酒を頼まなかったことでもない。まさか、迷子を助けたことか?」
「んな訳あるか。別に何にも怒っちゃいねぇよ。」
「そうか」
「さっきまでギアッチョとメローネには説教してたがな。」
「喧嘩両成敗」
「ああ。」

道を歩く奴らはどいつもこいつも陽気な笑顔を浮かべている。たまに口笛を吹いてる奴もいる。実に平和なイタリアの午後だ。
雨の気配はどこにもない。思い出したように来る嵐も今日は来ないだろう。熱帯のスコールはここまで流れて来ない。
なんて穏やかで穏やかな。
陽気な春だ。どうする。飯を食ったら昼寝でもしようか。
そんな、頭のハゲた老人でもあるまいし。
もっとこう、ワクワクするようなガキくせぇ冒険はねぇもんかな。
いや、糞、柄でもない。何考えてるんだ俺は。

「どうした」

いつも通りの退屈そうな無表情でリゾットが問い掛けてくる。別に退屈はしてないんだろうが、こいつの表情筋はかなり職務怠慢だ。さっきのウェイターを見習え。
そよめくシャツ。談笑する声。陽射し。穏やかな春。陽射し。
駄目だ、思考が同じ所を回る。

「何もねぇさ。何もねぇから何もしてねぇ」
「成る程。判りやすい。」

落ちる沈黙。別に気まずか無い。お互いぼんやりとついたて向こうの歩道を眺めているだけ。平和だ。本当に。

「平和だな」
「そうだな」

穏やかな春の陽気。幸せそうな人。平和。暖かい陽射し。道路を駆けていく子供。
なぁ、おい、どうしようか。
信じられないくらいムズムズと、ドキドキと、腹の奥で何かが騒ぐ。
メローネにあてられたかな。
下らない理由のいたずらで、俺の大事な時間を、権利を奪ってくれやがった大馬鹿野郎。
そんな奴にあてられたってのも気に食わないが。

ふと、本当にふと思ったんだ。お前を待ってた15分の間に。
誰かと喧嘩をしたのは何時だったか。
説教でも殺し合いでも無い、純粋に殴り合う、たいした理由も無い馬鹿喧嘩。
それはこんな穏やかな春によく似合う、子供が戯れるような馬鹿喧嘩。

「お待たせいたしました」

無言を破るのはウェイターが持ってきた皿。湯気をたてて俺の目の前に置かれる。立ち上るオリーブとガーリックの匂い。
こいつが来る前に俺が注文したパスタ。

「…あ」

と、こいつが注文したパスタ。違うタイミングで注文した皿を同じタイミングに持ってくるっていうのがまたいい。できる証拠。
ただ、そう、そうだ、さっき呼び止めようとした理由。

「てめぇ、注文被ってんじゃねぇか。」
「俺のせいじゃないだろう。」

見事に同じ皿が二つ。
別に、女子供がやるように皿をシェアしようとした訳じゃない。好きなもんを好きに食えば良いと思う。遠慮する方が馬鹿らしい。自分のことくらいてめぇで決めろ。
普段の俺ならな、そう思う。今だってそう思うさ。だけど、ああ。
こりゃ、メローネにあてられたかな。完全に。

「いーや。お前のせいだね。」

むずむずする。思いきり走りだしたいような、持て余すエネルギー。思考もうまくまとまらない。ほんと、どうしちまったんだろうな。今すぐ爆発したくなるような浮遊感。成る程。

『だって、春だぜ?』

あの変態、ぶーたれながら、真剣な目で何を言うかと思ったが。
人の時間を奪っておいて、何を言うかと思ったが。
その価値を、権利を。
オーケイ。この件に関しちゃ理解を示そう。少なくとも、安物の映画よりはマシだ。
とは言っても、メローネごときに影響されたってのも気に食わない。
そうだ、そうだな、ああ、そうだ。

春のせいってことにしておこう。

あんまりにも穏やかで平和なもんだから、飛び出したくなったんだ。きっと。

さぁ、そう決まったら、付き合ってもらうぜ。



立ち上がって右ストレート。受け止められた拳を捻って相手の手を振りほどく。その勢いを使って左上段回しげり。バックステップで避けられる。
薄い湯気の向こう。呆れた顔で見つめられた。おい、お前の表情筋、やっと仕事し始めたぜ。おせぇよ。俺に感謝しな。

「……何がしたいんだ」
「判ってんだろ?」
「判りたくない。」
「喧嘩しようぜ、リゾット」
「したくない」
「我が儘だな」
「俺が言うべき台詞だ」
「じゃあ、そうだな、こうしよう」


鬼ごっこだ


テラスと道路を区切る、低いついたてを飛び越える
後ろを振り向けば、唖然とした顔のリゾット。俺が投げ渡した代金を受け取って、深々と礼をするウェイター。
しわの無い紺のベスト。纏めた髪。美しい角度。45。
おいおい、本当にたいした野郎だ。

「あんたのサービス、よかったぜ!」

褒めてやりたいと思ったから、笑顔で言葉を投げた。「またのご来店をお待ちしております」、と返してくる、良い言葉だ。
ようやく現状を理解したのか、リゾットが走って追い掛けてきた。ウェイターにグラッツェと律義に声をかけて、あいつもついたてを飛び越える。遅い遅い。

「おい、プロシュート!」
「どうかしたか、リゾット!」

呼びかける声に、それでも後ろを振り返らない。走る。俺もあいつも全速力。全速力。全速力。

「財布!!」
「どうした?落としたのか?何処に落としたんだ?一緒に探してやろうか?俺もその程度には優しいぜ!」
「白々しい!返せ!」

煉瓦が敷き詰められた下り坂を駆け降りる。街路樹の木漏れ日が流れて流れる。街行く奴らが振り返る。
こんな風に注目を集めるのは何時ぶりだろう。隠れて消えてばかりいた。
飛ぶように駆ける。驚いて振り返る通行人。子供がポカンと見上げてくるから振り向きざまに手を振った。振り返してきた。素直な子じゃねぇか。小さなレディ。
隣の母親が顔をあからめる。おいおい、あんたにやったんじゃないぜ。
後ろをちらりと見遣れば、相変わらず無表情のリゾットが追い掛けてきていた。

なんだ、やっぱりお前も楽しんでるんじゃねえか。
ホイホイ着いて来て巻き込まれやがって。
煉瓦が敷き詰められた歩道。街路樹。木漏れ日。チラチラとキラキラとさざめく影と風。下り坂。

翔ける。
浮遊感。

春ってのはすげぇ。空を飛ぶのなんてガキの頃以来だ。
ピーター・パンにティンカーベル。夢の国。信じた瞬間なんて無かったが。は。
信じていなくても、あの頃俺は、俺たちは空を飛べた。いつの間にかこのザマだ。
酸素と一緒に山みたいなゴミを吸い込んで、二酸化炭素と一緒に吐き出し損ねた。重い重い体。
そうしていつか、重く重く重くなった体は地面を抱いて眠る。
美しい角度。180。
それでも今は何も無い。何も無い春だ。からっぽの身体。飛べ!

「なぁリゾット!」
「……なんだ!」
「楽しいな!」
「楽しくない!」

意地はりやがって。堅物め。まったく世話がやける。どいつもこいつもマンモーニだ。
勿論俺を含めて。
子供だけが飛べる空。せっかく良い天気なんだ、でかいでかいマンモーニが混ざったって構わないだろうよ。
広い広い空。
少し余裕をこきすぎたか、リゾットが追い付いてきた。来た瞬間、視界の端で白髪が沈む。

「おっと」

しゃがんで回転しながらかけられた足払い。跳んでかわす。上目で睨んでくる一対の目。見下ろす俺。ほら、その目。その目。無関心なその目。
楽しい事を楽しいと伝えない。呆れた顔はすぐにする癖に。大人ってのは嫌だね。まったく。

「しゃがむなよ」
「跳ぶな」

短く会話を交わすと同時に飛んでくる拳。
左。
右によける。風を切る音。おい、避けなかったら鼻折れてたぞ。
愉快だ。

「左かよ」
「右にいくな」

お互い相手に文句を言って、それでも止まらない動き。今度は上段回し蹴り。
下にしゃがんでよける。
愉快だ愉快だ。

「しゃがむな」
「飛ばすなよ」

静止。走り続けて高鳴る鼓動。さてさてさて。
愉快だ愉快だ愉快だ。
無感動に睨みつけてくる一対の眼。おいおい、ちびっこが泣くぜ。
リゾットは、そんな俺の感想に気づくことも無く、「つくづく、俺とお前は」と前置きをして言う。

「逆だ」
「いいや、おんなじさ」

答えた瞬間に走る。振り切って最後のカーブ。下り坂の終点。行け行け行け。
アイツも走り出す。ほらみろ。やっぱり俺は正しい。おんなじだ。俺もお前も。



「眩しいんだが」
「木陰があるだろうが」

「暑い」
「醒めた顔しながら何を言ってんだ」

「やっぱ俺が正しいだろ」
「どう考えても間違っている」

「中へ行け」
「外に出ろよ」

「長ぇ」
「短い」

「黒な」
「白だ」

「おい、リゾット」
「なんだ、プロシュート」

「楽しいか」

向かい合う。たどり着いた坂の下の公園。きれた息。整わない呼吸。緩い風。靡くシャツ。穏やかな日差し。
こらえきれずに砂場に倒れた。広い広い空。青い青い春。

「そうだな……」

やっと働く表情筋。おせぇ。おせぇよ。俺に感謝しな。
リゾットも隣に倒れこんだ。せっかく動き出したってのに見えなくなる表情。は。

「良い気分だ」

デカいマンモーニが二人。飛び疲れて重く重くなった身体。酸素を吸い込む。砂場にたまった日差しの温度。背中の感触。
美しい角度。180。空を抱く。
笑う。笑う。二人して。同じように。
ほらみろ。
やっぱり俺は正しい。



***



「どうしていきなりこんなことを」
「だって、春だぜ?」

実に平和で正しい喧嘩だ

inserted by FC2 system