そこに存在しているというだけで許したくなるような、寒い冬の日に出会いたくなかった







同じ高さの髪を揺らしながら、周防尊と宗像礼司は並んで夕方の歩道を進む。コンクリートを踏みしめる重い音と、重なるように高いブーツの音。頑なに隣の人物を見ようとはせず、真っ直ぐに前を見据えて赤と青の二人は愚直な一本道をゆく。

「実に」

面白いですね。沈黙を破るようにそう告げた宗像の目は、この冬の空気のように澄み渡っていた。青く澄み渡り、酷く鋭く、そうしてガラスのように繊細だった。夕方のやわらかさはそこに欠片もない。十二月の明け方四時、日を迎える直前の夜空のような、透徹な氷のカーテン。それを瞳に閉じ込めて、彼は嫌そうにそう告げたのだった。

「そうか」
「まさか貴方と肩を並べて歩くことになるとは思いませんでした」
「別に、消えていいぜ」
「私はこちらに用事があるので。私も、貴方が消えてくださるなら引き止めはしませんよ」

突風が彼のコートを煽る。ばさりと音を立ててなびいたそれはゆっくりと彼の足元に戻り、何事も無かったかのように静かに揺れた。その隣で周防はつまらなさそうな顔を崩さない。今彼が道を歩いていることも、ポケットに突っ込まれた手も、隣を歩く宗像も、不規則に揺れる青いコートの裾も、全て予定調和とでも言わんばかりの態度で。宗像とは対照的に、燃えるように赤いその瞳は、死すら飲み込むほど静かだった。
寡黙で滅多に表情を変えないこの男の苛烈さを、宗像は嫌というほど知っている。決して口にしないだけで、その内面は非常に荒々しいことを。次に風が吹いたとき、そのコートの裾が彼の腕に触れたとき、彼が笑って殴りかかってこない保証などどこにもないのだ。周防尊とは、どこまでも乱暴で、どこまでも気ままで、どこまでも自由な男だった。
実に面白いと、宗像はひとりごちる。実に面白い。実に不愉快だ。全てが対極にあると言って過言でないこの男は、彼の気に酷く触る。怒りや憎しみなどではない。それはもっとずっと根深く、彼の人生を示している。自分が手に入れなかった全てを手に入れ、自分が手に入れた全てを捨てた男。自分が欲しかったものを手に入れ、自分が手に入れたものをどうでも良いと捨てた人間に、何故好意など抱けるだろう。

「俺も、こっちに用がある」
「ええ、先程も聞きました」

だからこうして、まるで友人のように肩を並べて歩く羽目になっているのだ。相手を置いて走り出すのも、道を変えるのも逃げ出すようで気に食わない。見るものが見れば驚愕し、戦闘が始まってもおかしくない組み合わせは、滑稽なほど順調に道程を同じくしていた。
ビル風に容赦はない。むき出しの頬を、鼻を、耳をナイフのように切りつける風は容赦なく宗像から熱を奪っていく。そうして十二月とは思えない薄着で歩む彼の右隣は、いっそ歯がゆいほどに温かい。周防の持つ特性によるものだろう。彼がいる右半身だけは僅かに風がゆるんでいる。
左右の寒暖差が酷くこたえて、宗像は小さく身震いした。鍛え上げてはいるものの彼の体は決して厚くはない。身長も鑑みれば、男としては華奢な部類である。余分な脂肪を削いでいるからこそ、冷気は彼の骨まで染みとおった。その様子が伝わったのか、目線を交えないまま周防は尋ねる。

「寒いのか」
「寒いに決まっているでしょう」
「そうか」
「まあ、あなたのように原始的な人には判りませんか」

暗に、そんなことにも気がつかないほど愚かだろうと告げる。無視をされるか、何言ってる、と罵声が飛んでくるかと彼は予想した。それでいいと彼は思う。声を発していないと、入り込んだ空気で喉から凍りついてしまいそうなのだ。今日は、とても、とても寒い冬の日だった。
そして返事を待つ宗像の元に届いたのは、想像したものとは違うこたえ。

「いや」

俺も寒い。
その言葉があまりにも淡々と、当然のように告げられたので、思わず宗像はその顔を見つめた。二人が歩き出して初めて顔を見た瞬間だった。視線に気がついたのか蘇芳も首をそちらに向ける。足音だけは変わらないまま、二人は奇妙な視線を交わす。一つも表情を変えない周防の赤色は決して寒さに震えているようには見えない。平坦な顔だった。

「……貴方も、寒い、ですか」
「ああ」
「……そうですか」

意外でした。その言葉は溢れることなく胸にとどまった。



宗像は、責任感が強く、それに伴うプライドの高い男である。彼は自らに恥じるところなく、世界に怖じるところなどない。そのように生きてきた人生を後悔などしていない。
けれど、突然に、ふとした瞬間に、彼は自由に焦がれた。何一つ背負うことのない奔放さを夢見た。鏡の中の自分と目が合った時、椿の花が落ちたとき、囲炉裏の火が音を立てたとき、日々の隙間隙間で、彼はふと自由を見た。幾度人生をやり直すとしても、きっと自分はその道を選ばないだろうと判っているからこそ、ただただ遠く憧れた。
落としてしまえば壊れそうな物を、鎖で自らの背中に縛りつけ、そうして宗像はその重みに喘いでいる。そうして未だ手放せないでいる。
望んで選んだ、道だった。
自ら望んで、選んだ道だった。
けれどないものをねだらないで、何をねだれというのだろう。

「貴方は」
「なんだ」
「……いえ」

周防は自由なのだと思っていた。彼はただ力のままに生き、力のままに息を吸い、いつかそのまま死んでいくのだろうと、そんなことを勝手に思っていた。自らを焼き尽くして膨らんで、いずれ爆発して消える。あまりにも乱暴な、地上に落ちてきた太陽のような男だ。その引力に人は吸い寄せられ、その熱に手を伸ばして、あるものは届かずに炭になり、あるものは傍でその炎を身にまとう。彼は何物も背負わない。誰を守るでもなく、誰をかばうでもなく。壊れるものなど最初から手にも取らず、壊れたものなど見向きもしない、そんな男だと。
けれど、そんな彼が、寒いという。それはとても当たり前のことのようで、現実的なことのようで、それでいて宗像には驚くほど真実味がなく聞こえた。彼は決して信じられなかった。

この男が、自分と同じように、孤独の冷たさに喘いでいるだなどと。

「貴方のことが嫌いだなあと、そう思っただけです」
「そうかよ」

宗像の隣の気配はホンの僅かに荒れて、そうして元に戻った。それ以上でもなく、それ以下でもなく。
ないものをねだらないで、何をねだれというのだろう。手に入らないものを夢見ずして、何故手に入れたものを知るだろう。
彼はずっと心のどこかで希求していた。落としても壊れず、触れても逃げず、力を込めても握り返してくるあつい手のひらを。血の通った熱を。
それを持つ男が、今自らの隣にいるというその事実が、こんなにも厭わしい。

そのことにこの男は気がついているのだろうか。僅かによぎった疑問に宗像は首を振った。何食わぬ顔で歩く彼は恐らく気がついていないのだろう。あまりにも自らの熱が大きすぎて、自らの孤独にすら気がつかない。ただ例えようのない冷たさだけを心に抱えている。
二人、同じ孤独と冷たさを持って、それでいて、二人の間で熱など生まれない、そのことがとても喜劇的で滑稽だった。宗像は直感的に悟っている。この男こそが、きっと、自らが焦がれた存在だろうと。酷く不愉快で我慢のならないこの男だけが、自分に熱を与えられるのだろうと。そうして周防は気がついていない。ただ喉元に差し込まれた氷を、自らの熱で誤魔化して、燃え盛る孤独の海をわたっている。
王として選ばれた、その日から。

二人の距離は一メーター足らず。どちらかが手を伸ばせばそれだけで崩れる壁を、決して二人は超えない。宗像は自らの誇りゆえ。周防はその壁に気がつかないゆえ。
人生でただひとりの相手が、そこにいるかもしれないというのに。
きっと今の状態で、宗像から手を伸ばすことなどない。自分だけが熱を求めているなどとは認めたくなかった。まるで、母親にすがる幼子のようではないか。
いつか周防が気がつけば、その時は二人、手を伸ばし合うことがあるのかもしれない。悪態をつきながら。お前など嫌いだと言いながら。けれどこの太陽は、気がつくことなどないのだろう。致命的な何かが彼を突き動かさない限り。彼の燃え盛る炎が失われない限り、きっと彼は気がつかない。それまでは、自由を片手に生きる。

「ああ、私は、ここで折れますので」
「……」
「どこかでお会いすることがあれば、また」

二人分の孤独は世界をたやすく飲み込んで、美しい夕焼けを夜へと変えていく。町並みは霞んで萌える赤。頭上からじわりと染みる青。切りつける風が二人を裂いた。

「……おい、宗像」
「なんです」
「……いや、俺もお前が嫌いだと、そう思っただけだ」

宗像は静かに笑った。自らと、世界と、相手と、全てをその背にくくりつけて、鎖でがんじがらめになった体で笑った。何も持たない男はその様子を不思議そうに、けれど興味なさそうに見守っている。夜の瞳と太陽が互いを反射して、鏡に映った己が嫌いだと告げる。
絡んだ瞳を、一度の瞬きであっさりと外して、周防は退屈そうに空を見上げた。高く煌々と登った月を見る。夜が始まる。夜明けは遠い。








いつか自由の狼煙を上げろ





奇跡のように手を取り合えば、孤独は熱を帯びるだろうか



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