目を開けてみれば真っ暗な空間が広がって、高尾は僅かに首を傾げた。首を傾げた自分の姿が見えたのでこれが夢だとわかった。真っ暗な空間だが自分がいることはわかる。首を傾げたまま、この夢はどこへ続いていくのだろうと考えた。けれど、眠りについてぼんやりした脳みそで理論的な答えなど出せるはずもなく、彼は此処を遊園地だと結論づけた。何故かは知らない。
彼はここを遊園地だと思った。
彼がそう認識した途端、目の前にはメリーゴーランドが現れた。真っ暗な空間の中でそれだけが柔らかく光を放っている。きっと何処かに観覧車やコーヒーカップや、ジェットコースターがあるに違いなかった。けれど彼の前に現れたのはメリーゴーランドだったので、彼はこれに乗らなくてはいけなかった。何故乗らなくてはいけないのかはわからなかったけれど、乗らなくてはいけないのだと思った。そう思った次の瞬間に、彼は真っ白な一頭の馬の上に乗っていた。
金色の柱が天井から伸びて、馬はゆっくりと回りだす。上下に揺れながらぐるぐると回る。高校生男子が何故こんなものに乗っているのかわからなかったけれど、彼はぼんやりと自分が乗っている馬の背中を撫でた。それは酷くつるつるとしていて、彼はこれが陶器であるということに気がつく。割れてしまわないだろうかと思ったが、馬はぐるぐると回り続けていた。金色の柱。金色の飾り。柔らかい光。音楽が無いな、と思えば、後ろの方で僅かにスピーカーが振動していた。音楽も流れ出したらしかった。
完璧だった。
そうして高尾はぼんやりと、自分以外に誰かいないのだろうかと思った。メリーゴーランドに乗っているのは彼一人だった。ぐるぐると馬は回る。何周したのかもうわからないが、その何周目かで、彼は唐突に、この遊具を眺める人影を発見した。それは、緑色の髪をした彼の部活の相棒で、いつからか高尾のことを眺めていた。じいっと微動だにしない緑間に対して高尾は回り続けている。一瞬しか視界に映せないその姿をよくよく見ようと目を凝らして、彼は緑間の瞳が僅かな寂しさを湛えていることに気がついた。
真ちゃんも、乗ってみなよ。
そう出そうとした声は音声にはならなかった。夢は音声にならない。けれど、彼が心の中で思えば、それは実現するはずだった。真ちゃんも、乗ってみようぜ。けれど緑間は微動だにしない。乗ろうと動き出すこともなければ、この馬が動きを止めることもない。
高尾は唐突に気がつく。
そうだ、緑間が乗ったら、きっとこの陶器の馬は割れるだろう。高尾を支えることはできても、緑間を支えることはできないだろう。だから緑間は乗ろうとしない。馬は止まらない。同じところをぐるぐると回っている。回っている。回っている。







目を開けてみれば見慣れた天井が高尾和成を出迎えた。枕元の目覚まし時計はまだ鳴っていない。時刻を見れば朝の五時を疾うに過ぎていて、何故鳴らなかったのかと彼は首を傾げる。暫く考えて、今日は久々のオフなのだということを思い出した。昨晩、ゆっくり眠ろうと久しぶりに目覚まし時計の電源をオフにしたことも、妹がはしゃいでいたことも。そうだ、今日は家族で遊園地に行こうと、そんな話をしていたのだった。
高校生男子が家族で遊園地とは気恥ずかしいものがあるが、妹が兄も一緒でなくてはつまらないとごねたのであった。そして彼は妹に甘かった。あと数年もすれば、妹は彼の手を離れ、会話もままならなくなる、そんな時期が来るだろう。それまでは、真っ直ぐに自分を慕う妹を可愛がってやろうと思うくらいには兄としての愛着があった。
そもそも妹の言い分もわからなくはない。遊園地の乗り物なんていうのは大体が二人乗りだ。二の倍数で行かなければ常に誰か他人が彼らの間に入ることになる。それに待ち時間、子供一人の大人二人で待つのは退屈だろう。
隣の部屋からどたばたと物が落ちる音がする。普段は昼過ぎまで寝ている妹が洋服を引っ張り出しているに違いない。



「……って、なんで真ちゃんがいるわけ?」
「それはこちらの台詞だ」

気まずさを押し隠して高尾が笑えば、緑間は目線を逸らした。どうやら気恥ずかしいのはお互い様らしいと高尾は悟る。普段ラッキーアイテムなどというけったいな物を持ち歩いているから、羞恥心など存在しないのかと思っていたが、家族といるところを見られて恥ずかしがるという十六歳らしさは持ち合わせているらしかった。まあ、小さな妹を肩車しているところなどを見られたら恥ずかしくもなるかもしれないと彼は思う。服装の地味さも相まって、遠くから見た緑間の姿は完璧に、休日の父親のそれだったのだから。

「しっかし真ちゃんが肩車して怖くないって、お前の妹ちゃんなかなか肝が座ってんな、二メートル超えの景色だろ」
「せがまれるんだから仕方ないだろう」
「マジか! 好かれてんのな。いやー、うちも妹ちゃんがどうしても一緒に行くってきかなくて」

彼らの後ろでは二つの家族が偶然に驚きながらがやがやと会話をしている。いつもうちの子がお世話になっています、いえこちらこそうちの息子が、という会話が聞こえてきて二人は同時に顔をしかめた。世話をされているつもりは無い、という意味をこめて。そんな息子の様子に気が付くことなく、双方の母親は立て板に水、それも大量の水を延々と流し続けていた。
渋い表情でそれを眺めている緑間を、高尾は少し意外な面持ちで眺める。緑間真太郎と、家族、遊園地、その言葉の取り合わせのちぐはぐさに彼は笑えばいいのかもわからない。

「和成、そういうことだから」
「へ? なに?」
「聞いてなかったの?」

あなた達も家族でいるより友達と一緒のほうが楽しいでしょ? 好きにしていいわよ。
つづけられた言葉に、高尾は思わず妹の方を向いた。一緒に来てくれとごねたかわいい彼の妹は、年の近い新しいお友達に夢中である。緑間も感じたことは同じだったようで、二人、見合わせた顔はよく似ていた。



「ほらほら真ちゃん、寂しそうな顔すんなって!」
「していない! お前こそ惨めな顔をしているぞ」
「ブハッ、惨めって何よ惨めって」

取り残された二人の間に流れる微妙な空気を笑い飛ばそうと、高尾は敢えてそれを話の種にする。

「まあ、ふられちゃったモンどうし一緒に回ろうぜ」
「ふられていない」
「認めようぜお兄ちゃん。俺たちお役御免だって」

渋々と頷いた緑間に、どうやら妹のことをずいぶんとかわいがっていたらしいと高尾は察した。真ちゃんの妹ちゃんの結婚相手、ご愁傷様です。将来現われるであろう人物に心の中で手を合わせる。

「しっかし思ったけど」

道の真ん中に突っ立っているわけにもいかず、かといって遊園地まで来てベンチで談笑するのもおかしな話だと、二人は手近なアトラクションの列に並んでいる。休日だからか園内は混雑を極めており、並んでから十数分、距離は数メートルしか進んでいない。そしてその間に彼らに投げられる視線の数。

「俺たちって目立つ?」
「男子高校生二人組はな……」

どうやらそれは緑間も感じていたらしく、疲れた溜息の形は彼らを取り巻く音楽に似つかわしくなかった。そしてまた、列の横を通り過ぎる女子高生がちらりと二人に視線を投げる。

「あー! 大人数なら気にならねえんだけど! 二人って! デートか!」
「くだらんことを言うな」
「サーセン」

軽い調子で謝る高尾に緑間は鼻を鳴らす。緑間がくだらないと切り捨てた言葉を、高尾は真剣に考えている。
高尾和成は、緑間真太郎のことが好きである。けれどその好きが、友愛なのか親愛なのか、それ以外の何かの意味を持つのか、彼自身が図りかねている。

「それよりも、これの後にどこに行くかだ」
「あれ、真ちゃん結構ノリノリ?」
「練習もしないでここに来ているんだぞ。それに、チケット代は親に払ってもらっている。ならば全て回らなければ失礼というものなのだよ」
「お前の理論よくわかんねえわ」

真剣な表情で園内パンフレットを眺めながら順路を模索する緑間は、高尾にとって愉快な存在である。彼の前後にいるのが小さな子供連れの家族でなかったら、きっと彼は腹を抱えて笑っていただろう。
一時間の待ち時間が長いのか短いのか、そもそもどれだけの時間が経過したのかの感覚も麻痺した頃に、ようやく次が彼らの順になった。四人掛ける六列の巨大なボートに乗り込むために並びなおしながら、緑間は係の女性へと近づいていく。

「すみません」
「ハイ! なんでしょうか」

明るすぎる笑顔は作られたものかもしれないが、この空間には完璧に溶け込んでいた。対照的に静かな声で、緑間は言葉を続ける。

「申し訳ありませんが、一番後ろにしていただけませんか」

その女性スタッフは笑顔のままわかりましたと答えた。高尾がプロだと思ったのは、その返答の速さではなく、視線である。そのスタッフは、緑間の後ろに並ぶ小さな子供を確かに視界に収めていた。

「でっかいお兄さんは邪魔だもんねえ」
「うるさいぞ高尾」



「え、真ちゃんここもいくの?」
「…………」
「多分真ちゃんから言うの嫌だろうしここで意地張って行くとか言われても困るから和成くんが素直に本音を言うけどいくらなんでもこれ男二人はきっついし多分小さい子供の邪魔になると思うので全て回りたい真ちゃんの気持ちを無碍にして申し訳ありませんが普通にやめませんか」
「…………そこまで言うなら仕方ない、やめてやるのだよ」

プリンセスの家と銘打たれた建物は、年齢制限こそないものの、名前からして一定の層を拒んでいる。女子高生ですら躊躇うものを、何故身長百九十五の男子高校生が迷うのか、高尾には理解できない。理解できないが、面白いと思う。少しばかりかわいいとも思う。そう思うことは、友愛の範疇内なのかも理解できない。

「おい高尾、何を呆けている。次に行くぞ」
「へいへい! なあお前さ」
「なんだ」
「いやせっかく来たからにはとか、お金払ってもらったからにはとか色々言ってたけど、ぶっちゃけ普通に楽しんでるだけだろ」
「…………」

図星だったのか、勢いよく逸らされた顔に高尾は笑う。今日一日、笑ってばかりだと彼は思う。しかし笑われている側の緑間としては腑に落ちないらしい。不満げな顔で高尾の頭を押さえつける。

「お前は、楽しくないのか」
「いや、楽しいよ」

それは間違いない、と高尾は笑う。そのことはちゃんと理解している。



「なあ真ちゃん、俺たちどこ通ってんの」
「道だが」
「いやそりゃわかるけど、次に行くの、ここのジェットコースターじゃねえの? 逆じゃね?」
「フン、だからお前は駄目なのだよ」
「久々に聞いたわそれ」
「見ろ」

緑間が本来の道の方向を指さした時、高尾は丁度園内に流れる音楽が変わったことに気がついた。遠くの方に、移動する巨大なオブジェ。

「え、あ、もしかして」
「パレードだ。しばらくあそこの道は封鎖される」

無表情の裏に自信に満ちた気配を感じとって高尾は溜息をついた。真ちゃん、楽しいにしても把握しすぎっしょ。

「人事を尽くしたまでなのだよ」
「いや、それにしてもさっきから混雑してるアトラクション綺麗に避けてるし、パレードの時間はともかく道までわかるとかおかしくね」
「人事を尽くしたと言っただろう。事前のリサーチは完璧なのだよ」
「え、まさかお前これ昨日のうちから調べてあったの」
「そうだが」

何を当然なことを。そう言わんばかりの瞳で見つめられればこれ以上高尾は何も言うことができない。ただ引き攣る呼吸と溢れ出しそうな笑い声を堪えるばかりである。その表情をどう勘違いしたのか、緑間はいつもの動作で眼鏡を押し上げた。

「問題ない。父親と母親にも調べた内容と効率的なコース、子供でも大丈夫なアトラクションはプリントアウトして渡してある」
「遠足のしおりかよ!」

今頃自らの家族と一緒に回っているであろう緑間一家が、息子の作った紙を手にああだこうだと話している図を思い浮かべた高尾はついに堪えきれずにふきだした。抑えていた分溜まっていた笑いは一度溢れると止まらない。緑間は不機嫌そうにそれを眺めている。何故笑われているのか心底わからないといった表情だ。
ああ、好きだなあと高尾は思う。



「申しありませんが、一番後ろにしていただけませんか」

この日何度目かの台詞は問題なく受け入れられ、彼らはジェットコースターの一番後ろの座席に並んで座る。

「ねえ真ちゃん」
「なんだ高尾」
「ちらっと見たけど、これの角度おかしくなかった」
「最高時速五百キロ、最大落下角九十度、小さい子供向けのアトラクションが多い中で『親殺し』とも呼ばれているらしい」
「全然夢を与えてもらえねえよ」

ガタガタと不穏な音を立ててジェットコースターは登っていく。説明する緑間の声が僅かに震えているような気がして、高尾はそれを笑い飛ばせなかった。返事をした自分の声も、同じように震えていたからだ。怖いものは、怖い。それは彼の持論である。

「真ちゃん怖かったら俺の手つかんでても良いぜ」
「そうだな、怖かったらお前が俺の手をつかんでも良いのだよ」

二人は運ばれていく。頂点へと運ばれていく。かわいげの無い言葉を吐く緑間のことを、高尾はかわいいと思う。
好きだなあと思う。
次の瞬間、彼の前の座席が消えうせた。

ああ、空が広いと思う。

思った時には、彼の体は落ちていた。本能的な恐怖が彼を襲う。死ぬ、という言葉が心臓のあたりで跳ねている。跳ねた勢いで心臓が口から飛び出していく。落ちている。思わず横を見れば、その瞬間に緑間も高尾を見た。
緑間の表情は引きつっていて、真下からの強風に煽られて普段は前髪で隠された額まであらわになっている。その顔があんまりにも滑稽で、高尾は体から飛び出す心臓を引きちぎって笑った。きっと高尾も同じような表情をしていたのだろう。緑間も笑った。位置エネルギーに引っ張られておかしな顔で笑った。同じような顔で笑った。思わず握り締めた手は汗ばんでいる。
空へと飛んでいった筈の心臓はいつの間にか二人の手の中に移動していた。高尾の右手と緑間の左手が重なって、二人の真ん中でドクドクと音を立てている。

そうして二人は落ちていく。


落ちていく。
















inserted by FC2 system
 垂

遊直

園落

地下