れ  せ  よ










母親が花を買いに行ったので、箪笥の中を片付けようと思った。

面倒になったものを全て詰め込んでいたので、これを機に全て捨ててしまおうかと思い至ったのである。
見られて困るものでもないが、見られて嬉しいものでもない。私的な物というのは、時として下品な匂いを帯びるものである。年月がそれを柔らかく腐らせて他人事に変えたとしても、進んで見せたい姿ではない。

扉を開いて最初に転がり出てきたのは、昔好んで食べていたお菓子の袋だった。迷うことなくゴミ袋に入れる。燃えないゴミ。箪笥の暗がりに手を伸ばしてずるずると引きずり出せば、出るわ出るわ。箪笥の中にいくつの宇宙があるのかと呆れ果てれば、熊のぬいぐるみが頬に当たった。燃えるゴミ。
蝉の抜け殻、枯れ枝、紅葉、油、燃える、燃える、燃える。
片端からゴミ袋に詰め込んでいけば、半透明のそれはすぐに一杯になった。口を締めれば季節の悲鳴が聞こえて、静かになる。どうやらまだ生きていたものがいたらしい。そうしてまた、ずるずると箪笥の中から引き出して、ゴミ袋へと突っ込んでいく。
テープ、ペットボトル、空き瓶、ビー玉、燃えない、燃えない、燃えない。

柔らかいキスの感触が出てきて、自分は少し首を傾げて燃えるゴミへと投げ入れた。その後出てきた香水の香りも、ひとしきり悩んだ後に燃えるゴミへと捨てる。燃えるゴミばかりだと思いながら、またしてもいっぱいになったゴミ袋の口を縛れば、か細い喘ぎ声が聞こえた。あまり心地の良いものでは無かった。

いったいいつになったら終わるのだろうとうんざりしつつ、次々とゴミを分けていく。途中から飽き飽きして、もう味わうこともなく目もくれず、無心にゴミ袋に突っ込んでは口を縛った。いくつもいくつも積み上げたゴミ袋からは時折音色が聞こえて、どうしてなかなか、ゴミ袋も居心地が良いらしいと少し安心した。
数十の世界をゴミ袋に入れて、いくつかの宇宙をそのままゴミ箱に突っ込んで、部屋が透明なゴミ袋に飲み込まれたところでようやく箪笥の中は空になった。口を締めるのが緩かったらしいゴミ袋から伸びた管がカーテンを食べてしまったのには閉口したが、概ね順調と言えた。

もう一度確認しようと頭を入れてみれば、奥の方の暗がりが歪に歪んでいる。おや、と思って手を伸ばせば、誘われたように、ごろり、と左腕が出てきた。

はて、誰の腕だろうと思って見るが、いかんせん覚えがない。
もしや自分のものだったろうかと確かめてみれど、右も左も昔から親しんだ自分の腕に相違なかった。ホクロの位置も引っ掻き傷もアザの形もそのままである。両方とも右腕になっていやしないかと確認してみたがそれも無い。こちらの意思など無視して、両腕は、自分が間違えて入れていたゴミを勝手に分別し直していた。

そうか、初恋は、燃えないゴミだったか。

燃え尽きたものはもう燃えないのだと合点して、自分の腕の正しさを確認する。右腕と左腕。
箪笥の奥からも左腕。
やはり計算が合わない。自分の体にもう一つ腕を付ける場所が無いか探してみたが、背中まで撫で回しても見つからない。やはり、自分のものでは無いようだ。
肘の窪みに光がたまる。肌の表面に憂いを含む。どうもまだ生きているらしい。箪笥の奥で生きていたとは驚きだが、他にもいくつか生きていたものがあることを思うと、意外とよくあることかもしれなかった。

いや、しかし左腕が出てくるというのは、どうだろう、よくあることだろうか。

もしや間違えていたのだろうかと、自分の左腕を取り外して、箪笥の中の左腕と取り替えてみた。
はじめは冷たかったそれは段々と熱を帯びて、自分の血がその腕を巡り始める頃には生き生きと動き始める。
随分しっくりと馴染むもので、下手をしたら自分の腕よりも熱いかもしれない。燃え上がるようなそれは唐突に歌いだした。左腕が歌うとは随分おかしなことだけれど、自分の口で歌っていない以上これは左腕が歌っているのだろう。いくつかのゴミ袋の中から共鳴するような声が聞こえてくる。ちょっとした協奏曲のような有様だった。

はじめは愉快に思っていたが、段々と恐ろしくなる。歌はやまず、どころか段々と悲鳴じみてきていた。何を訴えかけているのか判らないが、いつのまにか腕は燃え上がっている。それに反比例するように、転がしておいた自分の左腕が冷えていくのを感じた。
このまま自分の腕が消えてしまうような気がして、慌てて箪笥から取り出した左腕を外して自分の腕に付け直す。何故か付けた時とは違い、なかなか外れないので最後は半ば無理やりだった。付け直した自分の左腕はすぐには熱が戻らない。しばらく不安の目で見つめていたが、段々と脈を取り戻して動き始めた。
一息をついて、部屋の中が未だゴミ袋だらけなことに気がつく、先ほどの声でゴミ袋から飛び出した物がまた部屋を食い荒らしていた。壁が一枚消えている。随分と開けた部屋は、先ほどまでの合奏が嘘のように今はもう静かだった。

ゴミ袋は全て路地へと捨てた。



さて、一通り片付いたところで、ではこの左腕を持ち主のもとへ返さねばならないと思ったのだけれど、さっぱりアテが無かった。左腕といえば相当重要な部位の筈で、そんなものを預けるくらいなのだから自分とある程度親しい筈である。
しかしいかんせん思い出は全てゴミ袋に詰め込んでしまったばかりだ。これはしまったと思うが、今更一つ一つ開けるのは億劫である。
こうなればなんとか自力で思い出すより他にないと、必死に記憶を探ればどうやらそれらしき名前が二つ出てきた。名前がわかればあとはどうとでもなるだろう。問題は、どちらがこの腕の持ち主なのかということである。
ふむ、この二人はどういった人物だったか、探れども探れども自分にはよく判らない。それほどまでに離れがたく結びついているのである。
考え悩んでいるうちに目が片方飛び出してしまった。ころころと転がっていくので慌てて探すも、ゴミ袋に紛れて消えてしまう。しばらくは諦め悪く探していたが、どうやらこの部屋から出ていってしまったようだった。誰かの箪笥の中に行ってしまったのかもしれない。
まあ右目が無くとも左目があれば十分だろう。そうして幸いなことに、目が取れた衝撃で自分は大切なことを一つ思い出した。
二つの名前のうち、ひとつは自分の名前であった。どうやら絡み合った思い出と共に捨ててしまったらしい。
これは困ったことになったと思い首をかしげていれば、軽快な音と共に母親が帰ってきた。これ幸いと自分の名前を尋ねてみれば、「あなたが捨てたものを私が知っている筈ないでしょう」と笑われる。それもそうだと合点して、また頭を抱える羽目になってしまった。

はて、どちらが自分の名前だったか。

悩んでいれば、母親が買ってきたらしき花が目に付いた。橙色のマリーゴールド。なんとなく気に入って手にとってみれば、その色はやけに自分に馴染む。空になった箪笥の中にそうっと置けば、それは暗がりの中で見事に花開いた。
片目でそれを見つめて、満足した自分は、もう冷たくなった左腕をそっと風にくるんで窓際に置いた。瀬戸物のようにゆっくりと。カーテンが食べられて寒々とした青い窓に、その腕はあつらえたようによく似合った。

いつか誰かが取りに来るだろう。その時に名前を聞こうと思う。この腕の持ち主と、そうしてそれから自分の名前を。





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