僕は知ってる










目が覚めたら隣で真ちゃんが死んでいたので、俺はとりあえず目玉焼きを作ろうと思った。真ちゃんが死んだ日の朝は、目玉焼きにしなくてはいけない。俺はなんとなくそう決めている。実は俺は目玉焼きよりは卵焼きのほうが好きだし卵焼きよりはオムレツのほうが好きだし、言ってしまえば卵自体別にそんなに好きじゃない。だけど真ちゃんが死んでしまったのだから、とりあえず今は目玉焼きだ。俺は慌てて、ジャージがずりさがるのもかまわずに、台所の下の棚からフライパンを取り出す。サラダ油をざっとひいて、冷蔵庫から一番新鮮な卵を取り出して、ぱかりと割る。じゅうーという肌が焼ける音と一緒に、白身が固まっていく。そういえば蓋が無い、と思って、あああの蓋はこの前土に埋めてしまったと思い出して、少し考えてまな板を上からかぶせる。代用にはなるだろう。

さて、俺は目玉焼きなんてくそったれなものひとつも好きじゃないのだが、真ちゃんが死んだからには目玉焼きだ。そうして、俺はくそったれな目玉焼きの中でも固焼きというものを親の敵のように嫌っているのだけれど、今日ばかりは固焼きにしなくてはいけない。そうしなくてはいけないと決まっている。
さあ、真ちゃんが死んだ。俺はいまさらながら、自分が上半身すっぱだかで、下半身のジャージがよれよれなことに気がつく。これじゃあいけない。真ちゃんのお葬式をするのにこれじゃあいけない。俺は急いで家中の箪笥をひっくり返してもっともふさわしい服を探す。ああ、これはあいつと出会ったときに着ていた空色のティーシャツ。あいつがしょっちゅう蹴って来たカーキ色のカーゴパンツ。これでいいだろう。裸足なのは勘弁してほしい。
世界の終わりを迎えたみたいな自分の部屋のドアを閉じて、俺は急いでフライパンのもとへ向かう。そろそろと、蓋代わりのまな板をはずす。卵の端は少し色づいてきているが、まだまだだ。今取り出したって、まだまだ黄身の柔らかい生ぬるい目玉焼きになるのだ。
じゃあその間にテーブルのセッティングだ。俺の向かいに、死んでしまった真ちゃんが見えるようにして、俺は真っ白い皿と銀のカトラリーを準備する。コップには何も入れないけれど、体裁のために透明なガラスのコップを置いておく。
さあ準備ができた。もう一度フライパンの様子を見に戻ってみたら、目玉焼きは底が黒く焦げ付いて、油はどこかに消えてしまっていた。上出来だ。がりがりと底を削りながら皿に移す。固く固くなった目玉焼き。
手を合わせて、目を閉じて、よくわからない神様に祈って、俺は目玉焼きに取り掛かる。真っ黒に焦げた白身を切り離して、口の中にいれる。パサパサしているというか、正直ただの炭に近い。だけどこれがお前に対する弔いなので、俺は口の中が乾いていくのを堪えて食べていく。コップの中に水は無い。
そうしてはじから順番に食べていくと、真ん中の黄身にたどり着く。それがまた、ずいぶんと硬くなっているものだから、ナイフでさっくり切ることができる。乾きすぎて、まとわりつくことすらない。そうしてそれも口に運ぶ。味がついた、炭だ。まずい。最高にまずい。この世のものとは思えないくらいまずくて、俺はそれでも黙々と食べる。吐き出しそうになるのを堪えて口に運ぶ。途中で俺は自分が泣いてることに気がついて、だけどこの神聖な食事をやめるわけにもいかなくて、ぼろぼろ泣きながら真ちゃんを食べる。まずい。本当にまずい。この世のものとは思えないくらいまずい。
そして黄身を乗り越えたと思ったら、また白身が待っている。もう俺は今すぐにでももどしてしまいたいくらい気持ち悪いんだけど、俺はこれをやめるわけにはいかなくて、その炭になった白骨を食べる。黙々と食べる。ちょっと塩味がするのは俺の涙のせいである。
そうして全部食べ終わって、俺は鼻水と涙まみれの顔で目を閉じて手を合わせてよくわからない神様にお祈りをする。
さてこれ以上真ちゃんに情けない顔を見せるわけにはいかないと、俺は真ちゃんが大好きだった空色のティーシャツで鼻水とか涙とかをぬぐって、真ちゃんを埋める。ざくざくと埋める。そのために広いベランダのあるアパートの一階に住んだのであって。真ちゃんがさびしいだろうと思って、俺は今日のラッキーアイテムであるところの達磨の人形を一緒に埋めてやる。そうだ、この前はそれがフライパンの蓋だったものだから、俺はそれを一緒に埋めてしまったのだ。
一連の流れが全て終わったので、俺は白い皿を洗って、銀のカトラリーも洗って、丁寧に布巾で拭いて棚の上に戻して、焦げ付いたフライパンも、たわしでガシガシと洗う。洗剤をバンバン振り掛けて洗う。まな板もすすぐ。全て洗い終わったら部屋に戻って、全ての洋服をもう一度箪笥の中に入れる。そうしたらもう、全部元通りで、真ちゃんが死んだ朝はいつもどおりになる。

開け放たれた白いカーテンがさわやかな風に揺れる。俺は泣きはらした瞳で、椅子に座ってそれを見つめている。口の中はまだざらざらしている。玄関でひどく軽いチャイムの音が鳴るので、俺は開いてるよー、と間延びした声で答える。

「無用心だな」
「んー、どうせこんなしがない一人暮らしの家に誰も来ないっしょ」
「…………、どうしたんだ、その顔」

あきれた顔で入ってきた真ちゃんは、俺の顔を見て嫌そうな表情を浮かべる。それは嫌なんじゃなくて心配しているんだと気がついているから俺はとくに何も言わない。

「………もしかして」
「うん」


いつも家に来るたびに足にまとわりついていた奴がなかなか出てこないから、真ちゃんも気がついたんだろう。俺は主語のない言葉を肯定する。真ちゃんはもっともっと嫌そうな顔をして、俺のことを見て、そうか、なんて呟いて、俺の向かいに腰を下ろす。真ちゃんが死んでいたその場所に腰を下ろす。

「毎回毎回、そんなに落ち込むのなら、飼わなければいいのに」
「そうだね」
「かわいがるくせに名前はつけない。お前はどうしてすぐになんでもかんでも拾ってくるんだ。このアパートにしたのだって、前の場所を追い出されたからだろう」

素直に心配できない真ちゃんは俺に対して怒ることしかできないので、俺は笑って体を伸ばして、テーブルの向こうの真ちゃんに口付ける。慰めになるのならと真ちゃんは抵抗しないで目を閉じている。俺はそれを眺めている。からめた舌から焦げた目玉焼きが伝わったのか真ちゃんは嫌そうに顔をしかめる。真ちゃんは、焦げた真ちゃんを、俺を通じて食べている。ねえ真ちゃん、真ちゃんが、死んでしまった。俺は真ちゃんのために真ちゃんを食べた。俺はなんだか凄く悲しくなって泣いてしまう。俺はこうやって、真ちゃんが死んだときの練習を繰り返しているのだけれど、真ちゃんが死んだら誰も俺とキスをしてくれないのだ。悲しいね。










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