悪夢













真夜中に目を覚まして、いや違う、真夜中になっても寝付けなくて、俺はベッドから起き上がった。
口の中が粘ついている。喉が乾いた。そう思っても立ち上がることすら億劫に感じる。結局暗闇の中、安く光るデジタル時計の文字盤を眺めるしかなかった。
午前2時17分。
起きていて良い時間じゃあない。明日の朝にだって練習はあるし、明日の朝にだってあいつを迎えに行くのだ。早く寝ないと。
そんな言葉が浮かんで、そうして泡より呆気なくはじけて消えた。そんな現実を、俺は今、求めていない。

夢を見ていた、いや違う、起きていた。目を閉じて瞼の裏の景色に苦しんでいただけ。それはもう夢だろうか。眠っていなければ夢じゃないだろうか。判らない。
靄がかったようでいて、玲瓏に目覚めているような気もする。脳も自分の状況を把握できていないらしい。なにもかもが中途半端で曖昧だ。
何故目覚めてしまったんだろう、いや違う、何故寝付けなかったのだろう。
耳元で聞こえる自分の呼吸がうるさくてうまく考えがまとまらない。
なんの気無しに、自分の喉に両手をあてて力を込めてみた。少しずつ苦しくなる呼吸に、すぐに手を離す。馬鹿馬鹿しい。馬鹿馬鹿しい。馬鹿だ。
馬鹿馬鹿しいと判っていながら、俺はそれを何度も繰り返す。力を込めて、ホンの少し苦しくなったらすぐに離して、そうしてまたもう一度。
三秒止めて、離して。五秒止めて、離して。八秒止めて、離して。
喉が痛む。痛むから生きている。随分と当たり前のことだった。

どうしてこんなことをしているのか、俺にだって分からない。馬鹿馬鹿しいと、そう感じている自分を確認するためなのかもしれない。そう感じている自分に、安心したいだけかもしれない。だって、実際、そうだろう。

恋のために死ぬだなんて、馬鹿らしい。

一時の、気の迷いだ。おかしな勘違いだ。心中も心中で意味が判らないが、一人、恋のために死ぬのも判らない。その点心中の方がまだ理解できる。一緒に死ねば、少なくとも、生きているあいだは一緒にいられたわけだから。
しかし一人で死ぬってなんだ。意味が判らない。何がしたいのか判らない。さっさと諦めて次の相手を探すか、ずるずるとひきずって時が解決するのを待つか。どちらにせよ未来ある話だ。人間、死ななければあとは何やっても大抵は何かになる。なんとかなるかは知らないが、何かにはなるのだ。うまいこと世の中はできているもんだから。だから俺がこの恋心を持て余していても、いずれ何かにはなるのだ。生きてさえいれば。
俺は緑間真太郎に恋をしている。いますぐにだってあいつの家に行ってその全てを奪い去ってしまいたいと思うくらいには。

けれどそれのために死ぬだなんて、馬鹿らしいじゃないか。

結局俺は六回くらい自分の行動を馬鹿にして、もう一度ベッドに潜り込んだ。寝ないと明日に支障が出る。時計の長針はもう数字二つ分進んでいた。
布団の中で両手をすり合わせる。首の熱に触れていたとはいえ、夜の冷気に囲われた指先は冷え切っていた。まるで死人みたいに、なんて比喩を思って、そのシャレにならなさに笑う。死人みたいに、死んでしまえば楽になるだろうか。
恋をしている。終わりのない拷問のような恋をしている。







目覚めてみれば寝不足ではあるものの割と頭はすっきりしていた。白いカーテンを引けば窓の外は快晴で、昨晩のことが夢のようである。いや、もしかしたら夢だったのかもしれない。目を開けていただけで、あれは夢だったのかもしれない。
自分の呼吸をうるさく感じたことも。自分で自分の首を絞めたことも。
あいつを好きだと思ったことも?


「真ちゃん、おはよ!」
「遅い」
「え〜〜、これでもダッシュで来たんだぜ?」
「二分遅刻なのだよ」

淡々と返事をする真ちゃんに、俺もいつも通りの答えを返す。いつも通りの、よく晴れた、澄み渡った現実。
ジャンケンに予定調和のごとく負けた俺は、真ちゃんに背を向けてサドルに跨ろうとした。その瞬間に、「おい」と呼び止められる。

「へ、なーに真ちゃん」
「後ろ」

自分の髪を指差しながら、ああ、その顔が少し微笑んでいるように見えるのは気のせいだろうか。やめてくれ。そんな顔をしないでくれ。いつも通り、いつも通りお前は仏頂面で、俺のことなんてどうでもいいって顔で、俺になんて興味無いって態度で、いてくれよ。
夢を、見てしまうじゃないか。

「寝癖がついてる」

どれだけ慌てていたのだよ。そう言って小さく笑った真ちゃんに、俺は、マジで?ガッコ着いたら直すわ、なんて、そう、返そうとして、そう、言おうとして、そう、言おうとした、筈なのに。

好きだ、と溢れそうになる言葉に、俺は自分の喉を抑えた。強く。痕がついても構わないと思うほど、強く。
死んでしまっても構わないと思うほど、強く。

恋のために死ぬだなんて馬鹿らしい。だからこの感情だけは知られたくないのだ。この感情だけは伝えてはいけないのだ。どろどろに煮詰まって、現実にまで侵食してきたこの夢だけは。
好きだ、と、そう、一言、告げてしまいたい。いや違う。言いたくない。告げたくない。言ってしまいたい。この現実を終わらせてしまいたい。
嗚呼、誰か俺を粉砕機に入れて、粉々に砕いて溶かして混ぜてコンクリートにしてくれないだろうか。そうして物言わぬ道になりたい。染み込んだ血は君の足音に愛を叫ぶだろう。





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