高尾と宮地がツーリングに行く話








「宮地さん、今度一緒に走りに行きません?」



この会話を交わしたのは高尾が免許を取ってすぐだったから、夏だったことは間違いない。大学一年の、夏。なんやかんやとお互いの予定が合わず、結局季節は冬を目前にしている。それは宮地が、「慣れてない奴と走ってもつまらねえだろ」と一刀両断したためでもあるのだが。

そうして今、高尾と宮地は向かい風を受けながらハンドルを切る。曲がりくねる登り坂。都内でも有名なワインディングロード。都心から外れた、交通の便も悪いこの場所は、それでもその道のアップダウンとカーブ、何よりも景色の良さを求めて多くのバイク愛好家が走った道である。連続するカーブと少しざらついた道。紅葉を終えて裸木になった山々は、青空の下連なり延びて、瞬間にも雄大である。遠くにかすむ渓谷に意識を取られれば、すぐにまた厳しいカーブが現れて高尾は身を倒した。
高尾のすぐ前を走る宮地の愛車。ハーレーダビッドソンの105周年記念モデル。美しい流線型と、艶やかに光るカッパーパールのボディ。今はフルフェイスのヘルメットで隠れる宮地の髪色とよく似たそれは、滑らかな音をたてて道路の上を駆ける。

(やっぱ、かっけーな)

目を細めてその背中を見つめる。幾度も幾度も見送った背中だ。たった一年間ではあったけれど、その細く引き締まったラインは同性から見ても眩しい勇ましさがあった。焦がれるというよりは、憧れる。求めるというよりは、追いかけたくなる、そういう風に作られた曲線。
それを覆う黒皮のライダースジャケットは沈黙しか返さなかった。その代わりに耳元でうなるナイフのような風。左のカーブ。シールドの向こうで瞬きをする。





「いそがしーとこスンマセン」

道の途中にある少し開けた休憩所で、二人は自分のバイクに寄りかかって空を向いていた。宮地はポケットから取り出した煙草に火をつけている。細く立ち上る白い煙は、青ざめた自然によく映えた。差し出されたそれを、「いや、まだ未成年なんで」、と高尾が断れば、それ以上押し付けることもなくもとの場所に仕舞う。そういえば、自分たちが大学入学を決めた時開かれた飲み会でも、彼は決して酒を無理強いしなかったと、高尾はここで思い出す。先輩権限だと振りかざせば逆らいようも無かった筈だが、彼ははじめに「飲むか」と一言尋ねただけだった。それに首を横にした緑間に、それ以上勧めなかったことが意外で強く覚えている。勢いで飲んだのは自分だった。この先輩は、そうなのだ。

「スンマセンって、何がだ」
「や、就活じゃないッスか」
「てめーの面倒見る時間くらいあるっての」
「面倒って、真ちゃんじゃないんですから」
「あいつか。あいつの方がうぜえけど、お前の方が面倒くさい」

さらりと当然のように投げられた言葉を聞いて、高尾は少し驚いた。そんなことを思われていたとは知らなかった。だいたいいつだって彼は緑間に怒ってばかりで、高尾に対して何か言及することはほとんど無かった。心の中で、そんなことを、考えていたのか。面倒だ、という言葉に少なからずショックを受けている彼に頓着することなく、宮地は悠々と煙草をふかす。その手馴れた仕草に、高尾はかなわないなとため息をついた。何をしたって様になるのだ、この人は。
昔よりも鋭さを増した輪郭と、バイクの流線型の作る影が高尾の足元に伸びる。ぼんやりと眺める。

「……もう、轢くぞって言わないんすか?」
「あ?洒落になんねーだろうが」

不機嫌そうに顔をしかめて、宮地は自らの愛車を叩いた。

「洒落のつもりだったんすかアレ」
「たりめーだろ」

そう吐き捨てて、宮地は近くの空き缶に煙草をねじ込んだ。乱暴なその動作さえやけに似つかわしくて、握りつぶされた珈琲缶は錆びた屑入れに投げられる。

「おら、残り半分行くぞ」
「了解でっす」

おどけた声で返事をすれば、横腹をどつかれる。その遠慮のない強さに、高尾は本気で腹を抱えた。嗚呼、この痛みも久しぶりだと。





「俺、真ちゃんと付き合ってるんすよ」

たどり着いた頂上。髪を嬲る強い風は、僅かにかいた汗と相まって酷く冷たい。チリチリと刺すような風が肌を撫でる。ヘルメットをハンドルにかけて、高尾は湖を見下ろした。宮地はバイクに寄りかかって、先ほどとそっくり同じように煙草をくわえている。
周囲に他に人はいない。空気も湖も鏡面のように張り詰める。湖面に映った空と湖本来の色が混ざって、幻惑的に世界を飲んだ。そうしてその色があまりにも一人の人物を思い起こさせるので、どうしてもその深い瞳を拭いきれないので、高尾は思わずポツリとこぼす。
後輩が男と付き合っている。その衝撃的な発言を受けて、宮地は眉一つ動かさなかった。

「あっそ」
「反応薄くないっすか」
「あ?なんだ言って欲しいのか?気持ちわりいよ」
「……ですよね」
「気づかれてないと思ってたのも今までそういう関係になってなかったのもわざわざこんなところまで呼び出して報告しようとすんのも全部気持ちわりい。そのへんの居酒屋でいいだろうが」
「へ」

呆けた顔で振り返れば、不機嫌そうな顔が出迎える。煙の向こうに見える表情は高校時代となんら変わらない。今すぐお前を轢いてやろうかといわんばかりの、あの顔。笑顔混じりの本気の怒り。
別に報告しようと思って呼び出したわけじゃ、と言い募ろうとした口は、冷気を取り込んでそのまま閉じる。

「わざわざ報告しなきゃみてえな使命感とか、ほんと、電話で済ませろよ」
「いやいやいや」
「だからお前の方がめんどくせえっつーんだよ」

吐き出された煙は風に乗って霧散する。不機嫌そうな瞳も、流される柔らかな髪も、鋭い頬も、美しいバイクも、全て組み合わさって宮地清志を構成する。
焦がれるというよりは、憧れる。求めるというよりは、追いかけたくなる。そんな人だった。男として、理想のような、そんな。
そうです、ホントは俺は、今日真ちゃんのことを報告しようと思ってあんたのこと呼び出したんです。

「先輩、マジかっけーわ。惚れちゃいそー」
「やめろ。うざいキモい。そんな気もねえのに言うな」

だけどもっとホントのことを言うと、俺はあんたの隣に並んで走ってみたかっただけなんです。
追いかけ続けたその凛々しい背中に、並べるだろうかと。
そこまで考えて高尾は笑った。どうも、まだまだのようだと。並んだかと思えば、見えるのはまたその背中ばかり。

「先輩ほんとにかっこいいんですって」
「うざい。キモい」
「いや、そのライダース」
「ああ?!」
「ライダースジャケット、かっこいいなって」
「ふざけんな」

それでも最後に茶化してしまうのは、高尾の身に染み付いた性のようなものだ。決して格好いいとは思わないが、しかしこれ以外のやり方を高尾はうまく覚えられなかった。そうしてそれを悪いことだとも思っていない。

「で?」
「はい?」
「それは本気なのか」
「それ?」
「これ」

宮地が指し示したのは今着ている黒革のジャケット。歪に光る銀のジッパー。シンプルなデザインは体のラインを際立たせる。見ただけで高級なものだと判る作りをしていた。

「あ、はい、マジっすけど」
「あっそ」

新しい煙草に火を点けて、宮地は高尾に目線を渡さない。何の興味も無いかのように、空を見上げる。風は強い。雲の流れも目で追える。釣られて見上げた空に、特筆すべき何物も見つけられず、高尾は視線を宮地に戻した。

「じゃあやるよ」
「え?!いやいやいや、え?!」
「あ?かっけ−っつっただろうが」
「いやいやいや、言いましたけど!おかしいっすよ!」
「おかしくねえよ」

何もない空から視線を戻して、宮地はひたと高尾を見つめた。顔から足元まで。そうしてもう一度、高尾を見て、微かに笑った。

「今のお前なら着れんだろ」

んじゃ、今度はもっとマシな用事で呼び出せよ。
呆気にとられる高尾を他所に、宮地はさっさとヘルメットを被ってハンドルを確かめた。その背中。誰もが憧れるその、追いかけ続けた、背中。それを覆う黒革のジャケット。流線型の美しいバイク。その髪色に、よく似たカッパーパールのボディ。
憧れて、買ったのは自分の髪色と同じFZ1 Fazer。その真っ黒なボディに、あの黒革は似合うだろうか。それに相応しい背中をしているのか、高尾は自分では確かめられない。



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