君だけが聞いている/(会話する赤緑)








細く伸びる廊下の床は、昨日の掃除をサボった生徒のために埃汚れが目立つ。そんなことを意にも止めず、天鵞絨の絨毯の上を歩くような優雅さで赤司は歩みを進める。校舎の三階、三年生の教室が並ぶ昼休みの廊下はごった返しているが、自然と彼の前で人は避け、結果彼は一直線に板張りの廊下を進んでいた。その半歩後ろを、僅かに眉をひそめながら緑間は付いていく。目指すは職員室である。大きく開け放たれた窓からは風が吹き込み、二人のシャツを嬲った。抜けるような青空が秋を吸い込んでいく。

「真太郎、この前の遠征費だが」
「桃井から領収書は受け取っている。顧問印があればあとは降りる」
「じゃあそれは今から貰ってコピーを取っておくか」
「あとは日曜の」
「ああ、休日の体育館使用申請か。それももう出せるのか?」
「ああ。そろそろ引き継ぎの時期だからこれもコピーをとった方が良いと思うが」
「そうか。それじゃ、それも任せよう」

矢継ぎ早に会話は進んでいく。赤司の声は終始余裕を含んでいるのに対し、緑間の声はいささか不機嫌さを隠しきれない。そのことに気がついているであろう赤司は、微笑みだけでそれを躱して次の話題へと進んでいく。

「そうだ、二軍編成なんだが」
「?この前変えたばかりだろう」
「ああ。だがどうも以前より効率が悪い」
「そうか?」
「まだ勘だけどね。ちょっと桃井のデータ洗っておいてくれないか」
「構わないが、あいつがそうそう能力を見誤るとは思わないのだよ」
「勿論僕だってそう思う。多分、下手でも慣れ親しんだ奴のほうが、上手くとも馴染みのない奴よりもうまくいくということだろう」
「それは」

人事を尽くせていないな。
そうあっさりと告げた緑間に赤司は笑った。きっと緑間には判らないのだろう。どのような時でも実力を発揮できるよう努力することが当たり前の緑間には、相手によってパフォーマンスが変わる凡人の悩みなど判らない。赤司にだって分からないが、少なくとも彼は理屈を理解できる。そういう人間がいるのだということを理解できる。どんなに人事を尽くそうが、どうにもならない人間がこの世の中には多いことを、赤司は認識している。

上履きは音を出さない。二人の揃わない足運びは同じ方へと向かい続ける。廊下の突き当りで左に折れる。階段を降りる。後輩がすれ違いざまにお疲れさまです!と挨拶をしたのに赤司は鷹揚に返した。二年の階は騒がしい。軽やかに下っていけば、喧騒の中に無数の笑い声が混ざる。

「それで、今日の練習メニューだけど、見た?」
「ああ。桃井にしては随分ゆるいと思ったが」
「そりゃあ、僕が作ったからね」
「……はあ?!」

ここまで一切歩みを止めなかった二人だったが、この赤司の発言に、僅かに緑間の足が鈍った。揃って降りていた階段が一段ずれる。すぐに追いついてかけられた声はとげとげしい。

「何を考えてる」
「なんだと思う?」
「知るか」
「考えなよ真太郎。思考放棄はよくない」
「……できる練習をやらせないなど俺には理解できん」

一拍置いて返された返事の、その緑間真太郎らしさに赤司は笑みを深くした。
判らないのだろう。努力することが当たり前の緑間には。努力に伴う苦痛を知らない緑間には。階段を降りきって右に折れる。職員室のドアの前で、緑間の表情は今から顧問に会うとは思えないほど苦々しい。
実際のところ、赤司のこの思いつきには、緑間が考え込むほど深い意図など無い。ただ、練習が終わったあとの部員の態度を見たかっただけだ。居残って練習をするのか、先に帰るのか、だらだらとコートに残るだけなのか、それとも。どうせ緑間は残って練習をするだろう。他のキセキのメンバーだってそうである。いつも見ているメンバーは放っておいても問題無い。最近の昇格降格で、それぞれのモチベーションがどのように変わったのか自らの目で見極めたいだけだった。他にもいくつか理由はあるが、それは回答する必要のない雑事だった。

「ただ」

ドアをノックするタイミングで、緑間はうんざりしたような声をついだ。諦めを含んだような、それでいて反骨心を隠しもしないような、理性と本能のバランスが取れた声。

「お前が何も話すつもりがないのは判る」

その瞬間に開いたドア。赤司が浮かべた教師用の完璧な微笑みの下で、彼はこみ上げる笑いを楽しんでいる。赤司の言葉の一つ一つに敏感に反応する緑間を、彼は面白いと思う。敵わないと思っているくせに決して諦めない緑間を面白いと思う。負けるものかと挑み続ける彼を面白いと思う。超えてみせると意気込む癖に、いざ手が届く場所に行くとためらう緑間を面白いと思う。今までの会話に意味なんて無いと切って捨てた緑間は、決して会話を投げ出さない。その全てに答えなければならないと自らに課しているかのように。お前が思うよりも世の中の人間は怠惰で愚かだし、お前が思うよりも僕はただの人間なのにと彼は笑う。確かに赤司はそれを話すつもりがない。



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