彼だけが気がついた/(感じる青緑)











青峰が怪我をした。左薬指突き指、及び、左手首捻挫。左手全体に巻かれた包帯の理由について、彼は頑なに語ろうとしなかったが、赤司があまり強く咎めなかったことを見ると、何がしかの正当な、叙情酌量の余地があるのだろうと周囲は理解した。黒子は酷く心配したし、黄瀬はうるさく騒ぎ立てた。紫原はのんびりとまいう棒を一本差し出した。緑間はと言えば、そんな青峰に冷たい一瞥を寄越すだけだった。青峰も、緑間からの一言など望んでいなかったので、表面上は何も問題がなかった。
緑間からすれば、手を怪我するなどというのは愚の骨頂なのだろう。内心で青峰のことを馬鹿にしていることは間違いなかった。別にそれでも構わないと青峰は思う。恐ろしく正直な話、青峰は緑間にどう思われていようと興味が無かった。例えば体育館の隅に溜まった埃のように認識されていようと問題無かった。同様に、緑間だって青峰にどう思われていようが構わないと思っているに違いなかった。そういう所がこの二人は酷く似ていて、似ていることを苦々しく思っていた。

教室で、青峰と緑間の席は近いけれど、授業中に関わるかというとそうでもない。緑間は黙々と授業に集中しているし、青峰もわざわざちょっかいをかけにはいかない。教科書や何かを忘れたとしても決して緑間には頼らない。ただ僅かに視界に入るので、なんとなく意識するだけだ。

窓から一際大きな風が吹き込んで、机の上のプリントを大きく膨らませた。幾人かの生徒の物は飛ばされて、教室は一時騒がしくなる。そもそもプリントを出していなかった青峰はつまらなさそうにその様子を眺めるだけだった。緑間は無表情を崩さないまま黒板を眺めていた。その無表情の中に潜んだ苛立ちを見てとって、青峰は眠る大勢に入る。どうせ、人事を尽くしていればプリントが飛ぶはずは無いとでも思っているのだろう。それはある面では正しい。普通に授業を聞いていればプリントは手で抑えられているだろう。それも青峰には関係の無いことだった。



「青峰、お前は一週間はボールに触るな」
「あ?別に右手だけでも」
「やめろ。こじらせたらどうする。しばらくは基礎練習だけだ」

赤司にそう言い渡された時、青峰は酷く嫌そうな顔をした。したけれど、おとなしく従った。どうやら怪我のことをそこまで咎められなかったことに対して、少しは罪悪感を抱いているようだった。いっそ思い切り叱られれば開き直ることもできたのだろうが、却ってその寛容な態度が青峰の行動を制限していた。
黒子は赤司に賛同した。ただ青峰の体を慮ってのことだった。黄瀬は文句を言った。青峰とのバスケを望むゆえだった。紫原は首を傾げた。話を聞いていなかったからだ。緑間だけは理解していた。青峰のその些細な罪悪感を理解していた。そうして、何も言わずにシュートを入れた。

「おーい、黄瀬ェ!」
「なんっスかー?」
「ちょっとスポドリ買ってきてくれ」
「はあ?!自分で買ってくればいいじゃないっスか!」
「怪我人動かす気かよ」
「怪我してんの手でしょ!!」
「あー、はいはい、頼んだぜ」

文句を言いながらも黄瀬は走って買いに行ったようだった。そのわかり易い愚かさと、わかり易い妥協と、わかり易い憧憬は好感が持てると青峰は思う。



ボールを使わないつまらない練習を一人でこなして、青峰はベンチに無造作に腰を下ろした。基礎練習とはいえど、体力作りがメインなため、ヘタをすれば試合よりも体力も気力も消費する。黄瀬が買ってきたスポーツドリンクを引っつかむと、一息に半分ほど飲み干す。飲み干して、一息ついたところで彼は気がついた。

蓋が、あいていた。

青峰がこれに口をつけるのは初めてである。青峰のタオルの上にあったこれを、誰かが間違えて飲んだということも無いだろう。それなのに蓋が、あいている。左手の使えない状況で、ペットボトルの蓋を開けることは難儀である。一度ひねって開けてあったのでない限り。
思い返してみれば、やはり蓋は最初から空いていたとしか思えない。緩く締められていたからこそ、彼は片手で意識せずにあけることができたのだ。
黄瀬にそこまで気が配れるとは思わない。紫原も同様である。平素の黒子は気がつくかもしれないが、割と早々に体力が尽きて床に倒れいている彼にそこまでの余裕があるとは思えなかった。赤司は、気がついていてもやらないだろう。
残るひとり。コートの中で相変わらず馬鹿のように高いループを放った人物は、相変わらず自分勝手にシュートを撃っているようだった。そうして青峰は理解する。この余計なおせっかいをした人物のことを。断定する要素などひとつもない筈なのに、確信めいたその予想の正しさを知っている。そう確信できてしまうことが、実に不快だった。そしてその確信は、青峰の中で、緑間慎太郎という人物に対する一切の評価を上げなかった。そして恐らく、緑間も望んでいないだろう。そのことが分かってしまって、青峰はひとり苦々しい気持ちを飲み干した。



inserted by FC2 system