「あれ、真ちゃんどうしたの。珍しく携帯なんか見ちゃって」
「……俺も一応21世紀に生きているんだが」
「いやいやいや。でも真ちゃん携帯好きじゃないじゃん。俺何回メール無視されてんの!」

夜の19時。いつもより早く帰宅できたと喜んで鍵を開けてみれば、既に恋人は部屋着に着替えてリビングにくつろいでいた。そのことにまず高尾は驚く。自分も相当毎日忙しく働いているが、ソファで携帯をいじっている緑間真太郎ほどではない。何事にも人事を尽くす彼は片っ端からできる仕事をこなそうとするので、その分大量の仕事を抱えるのである。適当に息抜きしてくれよ、と高尾は思うが、そのような理屈が通じれば最初から苦労はしない。連日遅くまで働く彼を無理やり帰宅させて休ませるのも高尾和成の重要な仕事の一つだった。
そのために高尾はよくメールを送る。今日何時に帰ってくる?疲れてない?電車事故ってるみたいだから気をつけて。その中で返信が返ってくるのはほんの一部で、それは緑間曰く「面倒くさい」の一言で切り捨てられるものだった。どうやら目に見えない物に自分のペースを乱されることが嫌らしい。目に見えるものにだって乱されるのを嫌がるくせに、と高尾が反論すれば「それはそれ、これはこれだ」と嘯いた。実際、家に帰ってからの緑間は携帯を充電器に繋げるだけでそのあとはほとんど手を触れない。メールの通知も電話の着信も、全て完璧なマナーモードにしてしまう。依然それで火急の用事に連絡がつかないからと、夜中に家電がかかってきたこともある。

「え、で、真ちゃんそれ、メール?」
「そうだが」
「……俺の方見て欲しいなー、なんて」

携帯画面から目を逸らさない緑間に、高尾は肩を落とした。依然、何故家に帰ってから携帯を見ないのかしつこく聞いたところ、お前といるのにそんなものを見る必要はないだろうと盛大なデレを頂いたのだが、どうやら今日は例外らしい。そこまで緑間が真剣になる相手というものに若干の嫉妬を覚えて、スーツのジャケットを脱いだだけの格好で、ソファの後ろから緑間に抱きついた。そうして覗き込む携帯画面。

「会社の人?」
「そうだ」
「なんで?」
「今日、俺に、早く帰れと」

仕事はこちらでどうにかするから、とそう言って俺を追い出したのだよ。
言葉からは不満が滲むが、その声は決して苛立っていない。緑間が感謝している証拠だった。
さて、こうなると高尾は余計にその相手に嫉妬を覚えざるをえない。何せ、普段何を言っても、どれだけ心配しても倒れそうになるまで帰ってこない男である。会社の人間の言うことなら素直に聞くのかと思えば面白くない。

「……高尾?何を黙っているのだよ」
「えー、うーん、別にー」

高尾の曖昧な返答に僅かに首を傾げながら、緑間はぱたりと携帯を閉じた。どうやらメールは終わったらしい。
背後から高尾に抱きつかれたまま、緑間は強いて平坦を保った口調で告げた。

「……恋人と一緒に住み始めてから丁度一年だと、そう言ったら、」
「え」
「早く、帰って、夕飯でも一緒にたべろと」

そう、言われたのだよ。
昔に比べて緑間は、照れ隠しがうまくなった。どもったりもしないし、攻撃的な言葉を投げつける回数も減った。けれど、首から耳元にかけてじわじっわと赤くなるそれだけは大人になっても治らなかったらしい。それを確認して、先ほどまでの嫉妬もどこへやら、高尾はその会社の人物に感謝した。まさかその恋人が男だとは思っていなかっただろうが、なんにせよありがたい話である。今度お中元でも送るべきだろうか、などと明後日のことを考えながら、高尾は笑った。

「俺も、まあ、似たような感じで、会社早出してきましたー!」
「……そうか」

抱きついたままの高尾に、緑間は早く着替えろと告げる。外に出ても良いし、家の中でゆっくりとワインをあけてもいい。そう思いながら、高尾はぱっと身を離す。折角手に入れた夜だ。存分に使おう。

「あ、そうだ真ちゃん」
「なんだ」
「お帰り!!」
「……ただいま」


「……高尾」
「ん?何真ちゃん!」
「……お疲れ様なのだよ」
「……うん!」

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