And But Cause I love you


燎原の火

はて、何のために生きているのだったか



***



「おや。ご機嫌よう、照星殿」
「お陰様で」

お陰様で負け戦だ。たかだか五秒程度の会話の、なんと皮肉じみていることか。
この結果は最初から目に見えていた。だからこそ自分は契約の条件を《殿の命を守ること》にしたのだけれど。
負けることなど最初から判っていた。
準備不足だ。誰がどう見たって。義理さえ無ければこんな仕事、誰が引き受けるものか。
義理とはまた、随分と忍びらしくない響きではあるが、自分は忍びというよりは用心棒だ。義理もしがらみもある。仕方ない。
目の前の男は音もなく現れて勝手に目の前に座った。狭い部屋の一室。ろうそくの明かりに揺らめく。おかしな横座りを注意する部下もいないが、突っ込んでやる義理もない。
忍組頭がわざわざご苦労なことだ。
しかしまあなんと白々しい。『おや』とは。わざわざ敵の城まで乗り込んできて、私の姿を確認して、周囲が安全なことを確認してから、『おや』だとは。
偶然忍術学園で遭遇したかのようなその挨拶。

「まさか照星殿にお会いできるとは思わなかった」
「私もあなたに会うつもりはなかった」
「それはそれは。偶然に感謝だ」
「乾杯でも?」
「嬉しいお誘いだが忍務中なのでご遠慮しよう」

そう言って懐から水筒を取り出して啜る。そもそも、杯も飲む酒も無いのだから、白々しさではお互い様だった。
全くもって、面倒な仕事だ。相手がタソガレドキと聞いた時から覚悟はしていた。平和ボケしたこの城が、余念なく準備をした相手に勝てる筈も無い。
ほぼ泣きつかれたような状況で、仕方なくこの城を訪れた時に驚いた。火薬は湿っている。備蓄食料は痛んで食えたものではない。兵士は鍬しか持ったことが無い。
城内地図は盗まれた後だと聞いて頭を抱えたものだ。嗚呼、殿、私一人雇ったところで、ひっくり返すことのできる戦力差ではない。
貴方の命だけは守りましょう。それ以外に関して、私は責任を持つことはできません。
それでも構わないと頷いた若い城主の、涙目が頭をよぎる。
この状況を招いた目の前の男を見る。この散々な領内の情報や城の地図を盗み出したこの男。
自分の前に堂々と姿を現した時点でもう判っていた。ようやくか。

「貴方の所の殿さまが出した降伏の密書。無事に届いたよ」
「そうか。ついでに教えていただけるとありがたいのだが、密書は何枚届いた?」
「無論一通ですよ」
「ほう。では貴方がたは立派に仕事をこなしたわけだな」
「いやいや。たかだか領内に入った不審人物を三人ほど捕えただけです」
「その者達の懐に手紙は?」
「どうでしたかね。すべて燃やしてしまったから。」
「全て?」
「全て」

では命も燃え尽きただろう。四人目でようやく、だ。三人の命をあたら無駄にしてしまったわけだが、もともと謀反の兆しが有った者達だ。たいして心は痛まない。
相手も自分も容赦ないとは思うが、敵に容赦をしてどうする、という話だ。とやかく言う方が筋違いというものだろう。
特に何か言うつもりも無い。お互いに仕事をしただけだ。

「あー、ま、とりあえず堅苦しいのはここまでにしましょう」
「忍務中ではないのか」
「休憩時間ということで」
「私が任務中なのだが」
「殿の護衛でしょう?降伏を受け入れたのだからもう攻撃はしない。貴方の前に姿を現したのが良い証拠だ」
「よく言う。あわよくば殿を暗殺しようとしていただろう」
「ここを通らねば入れない、屋根裏も窓も無い部屋。いくら私でも無理だ。貴方にいられちゃあ」
「私がいなければ滞りなく暗殺を遂行していたわけか」
「殿さまを座敷牢に入れるとは流石に想定外だったものでね」
「一番安全な所に居ていただいているだけだ」

なかなか出来ることじゃあない、そう、隠れた口と見える目で笑う。
どうやら本当に、本当に話をしに来ただけらしい。ろくな話にはならぬだろうと見当がつく。
さて。そういえばこのように対面したことは今までに無かったやもしれぬ。
忍術学園で偶然会話をしたことはあるが、あんなものは物の数に入らないだろう。何せ二人とも休暇中のようなものなのだから。
ようなもの、ではない。休暇そのものだ。仕事でもないのに争うつもりは毛頭ない。
相変わらず、あの場所は奇跡のようだ。この時代に、精鋭の戦闘集団を育てておきながら、その内部は不可侵の聖域だとは。
この男とて、あの場所にはそうとう入れ込んでいるようである。

「まあとりあえず、今は貴方と敵対する気は無い。くつろいでいい」
「貴方はくつろぎ過ぎな気がするが」
「何故」
「いや、私の常識と照らし合わせてそう思うだけだ」

水筒だけでは飽き足らず、忍者食まで取り出して食べ始めた。これも相手を油断させる策なのだとしたら、その節操のなさに天晴というしかない。
気を張る方が愚かしい気持ちにさせる。
しかし、見れば見るほど愉快な食べ方ではある。勿論、愉快と言うのは遠慮した言葉で、珍妙という方が圧倒的に正しい。
口元の布を取らないことに何の信念があるというのだろう。

「いや、貴方とは前々からお話がしたくてね」
「それは光栄だな」
「時に、お弟子さん達は元気かい?」
「虎若のことか?特に話すようなことは無いな」
「そこまで警戒しなくとも、今引き抜きをかけるつもりは無いよ」
「貴方のところの若いやつはどうなんだ」
「尊奈門か。いやあ、まだまだ若い。自慢はできないね」
「伸びしろがあるということだろう」
「珍しいのさ。若くて純粋な奴が若くて純粋なまま入ってくるのは」
「結局自慢じゃないのか」
「いや、恥をさらした」

自分の部下に対して随分と辛辣なことを言う。本音なのかどうかは読み取れないが。自分達をけなして他を持ちあげるとは、忍者の常套手段ではある。
休憩中だろうがなんだろうが、やはり忍びは忍びだ。そもそも、その休憩中という言葉すら信じられないが。
さて、殿の寝台傍は私の担当とはいえ見回りがいる。いつまで居座るつもりなのか、立ち上がる気配が無い。
雑談を続けるというのならこちらもそれなりの対応がある。こういう輩は、無視をしたほうが結局厄介なのだ。

「若い奴というのは何故ああも若いんだろうね」
「例えば?」
「『何故人を殺めねばいけないのだろう』という口で『忍びらしく非情に生きます』と言ったり」
「それはそれは。成程、若い」
「そんなもんだと諦めればいいのにねぇ」
「駄洒落か?」

全く笑えない。つまらない。冷たい視線を送ったつもりだったが、微塵も堪えなかったらしい。
心臓が強すぎる。私だったら絶対に言いたくない台詞だが。

「自分も昔はああだったかなーと思うと面白くないかい」
「随分と年寄りじみた事を言う」
「実際歳だから」
「羨ましいのか?」
「全然。私もまだまだ若いしね」
「前言を翻すのが早すぎる」

思わず眉をひそめた。知らず知らずため息がこぼれる。ろうそくが揺らぐ。
なんだこの男は。なんだこの会話は。緩い。気心の知れた友人のような流れを作られても当惑するばかりだ。
明かりに照らされるその顔は特に何も変わらない。忍びこんで来た時から今まで。
少し笑むことはあっても作り物めいていて何も感じない。
この部屋の酸素を消費しているのは私一人だけのようだ。

「ちょっとしたお茶目さ」
「お前」

流石にこれには素で突っ込まざるを得なかった。ああ、こいつは一流の忍者だ。それだけは間違いない。

「その容貌で、お茶目という言葉を使うのは流石に止めろ」
「何故?」
「世界の常識と照らし合わせてだ」
「世界と来たか」

貴方もなかなか言ってくる。
にやにやと笑う姿を見て、溜息。暖簾に腕押し。雑渡に説教。
思えば、忍者がここまで氏素性を知られているというのはなかなか由々しき事態ではないのか。
まあ、それが度外視される程の実力だということだろう。それに、ここまで派手な立場にいて隠しきる方が無茶だ。

「若いと言えばこの城の城主も若いな」
「父君が亡くなられたばかりだからな。と私が言わずとも知っているだろう」
「まさか貴方が仕事を引き受けるとは思わなかった」
「これで飯を食べているのでね」
「佐竹があるだろう」
「聞きたかったのはそこか」

少し目を細めれば、降参のつもりか、両手を軽く挙げられた。茶化し過ぎである。
だが、別に隠すような事でもない。当り前のことだ。もしもこれを尋ねるためにわざわざ私に会いに来たのだとすれば徒労だと言わざるを得ない。
隠すどころか、知っておいてもらって損は無い程度だ。

「佐竹についてはいるが、他の仕事を取らない訳ではない」
「佐竹のみでは満足でないと?」
「給金の事ならば違う。単純に、戦場が足りない」
「腕が錆びるか?」
「実戦で使えない銃に意味は無い」
「それだけ?」
「佐竹と共倒れするつもりもない」
「随分と冷たいじゃないか」
「あそこは良い職場だ。出来る限り協力するが、この時勢、何が起こってもおかしくは無い。その時、佐竹以外に受け入れ先が無いとは洒落にならん」
「腕前を見せておこうと」
「見せるものでも見せびらかすものでもない。見られるものだ。評価は勝手に下る」

ろうそくが短くなる。じりじりと。じりじりと。
ろうが溶ける。火が揺らめく。その炎が、私から彼の方にばかり揺れることにはとうに気づいていた。
彼の呼吸はろうそくすらゆらさない。空気は振動しない。実に徹底している。

「満足のいく回答か?」
「ええ。とても」

わざわざ付き合っていただいてありがとう、と感謝の念の籠っていない台詞を吐かれた。
どういたしまして、となおざりな返事をする。
彼は私の様子を知ってか知らずか、十中八九は故意に無視して話を続ける。

「それではそろそろ仕事に戻りましょう」
「随分と長い休憩時間だったな」
「最終的に仕事が終われば良いのですよ」

そう言うものの、まだ席を立とうとはしない。ろうそくの明かりは既に半分近くまで減っている。
辺りの闇が深まった、というのはいささか陳腐にすぎる表現かもしれない。
ただ少し、浸食してきただけである。

「そうそう、話は戻りますがお仕事をなさったと言えばあなたこそ」
「何の話かな」
「密書を届ける仕事を頑なに断って、あの若殿のお傍を離れなかったでしょう」

今まで動かなかった表情は変わらず動かなかったけれど、その視線が質量を持った。圧倒的な直線で睨まれる。
いや、睨んでなどいない。彼がようやく私を見たのだ。ここに来て初めて。

「お陰様で、私の部下は近づけ無かった。三人も書の運搬に失敗すれば、あなたも動くかと思ったのだけれど」
「私の仕事は殿を守ることだったのでな」

やはり、私がいなければ暗殺していたわけだ。
先程はぐらかされた質問は、やはり笑みで答えられた。全く。私の判断は正しかったわけである。
投降よりも征服を。降伏よりも蹂躙を好む相手だ。
殿様さえ排除してしまえば、あとはいかようにでも出来る。火種を残すくらいなら圧倒的に踏みにじろうとするだろう。
敵の頭を狙うその作戦は、ある面では非常に正しい。

「そう。あなたがいたから、我々はあの非力な若殿を殺せなかった」
「ふむ。ならば私は仕事を果たしたという訳だ」
「ああ立派だ。私の部下は仕事を果たせなかった。見習わせたい」
「戦に勝ったのだ。十分だろう。あまり多くを望むと足元を掬われるぞ」
「ご忠告いたみいる」

ここでようやく、彼は横座りを正した。
それはあまりにも忍びらしい、美しい居住まい。

「さて。では、正式に内密にお願いしよう」
「伺おう」
「次の戦で我が殿の護衛をお願いしたい」
「部外者の私に任せて良いのか」
「私の部下が全く近づけなかった。そして私もあの殿を殺せなかった。十分だ」
「やはりお前も殺る気だったのではないか」

何が休憩だ。そういう意味を込めて言えば、軽く笑われた。
存外よく笑う奴だ。どこまでが本当なのか、一つも読めないので親近感なぞは湧かないが。

「腕前、確かにこの目で見た。その上での判断だ」
「成程。ならばそれは私が口を挟む事では無いな」
「これが私の忍務なのでね」
「暗殺ではないのか」
「部下が、と言ったはず。私は本気で暗殺しに来たわけではない。あわよくばというか、おまけ程度に思ってくれればいい」
「おまけで殺されては敵わん」
「返事をいただきたい」
「承ろう」
「おや。存外あっさりと」
「断る理由がない。この城を押さえたということは次は山向こうの城とだろう。勝ち戦は目に見えている。楽な仕事だ」

外部から雇うほど人が足りていないとはいえ、判り切っていることだ。
いや、違う、本当に真実のところ、この戦で私を雇わずとも問題は無い。おそらく。
ただ、いつかの時のための繋がり。それに、『今は』引き抜くつもりがないと言った私の弟子。
さて、自分のことはともかく、彼を渡すつもりはあまり無いのだが、それはあの子の自由だ。自分で決めるだろう。

「簡単すぎて腕が鈍る?」
「報酬が入れば文句を言うつもりは無い。楽に越したこともない」
「貴方こそ、随分あっさり前言撤回してくれるね」
「私とて喰わねば生きていけん」
「武士は喰わねど高楊枝」
「ふむ。武士をなりわいにしなくてよかった」
「まさに」

その言葉を最後に、彼の姿は掻き消えた。直後に現れた見回りの兵士を見て苦笑をこぼす。
あれほど見回りの時間は日ごとに変えろと言ったのに、こうやって毎日同じ時間に見回るからだ。彼がいたことになぞ、微塵も気づいていないのだろう。
後に残るは、随分と短くなったろうそくのみ。消える時でさえ、その光に一点の揺らぎも無く。
じいと見つめる私に、兵士が不安げに問いかけてくる。何か御座いましたか。
いいや、何も無かったよ。そうだな、もう見張りは必要ない。そう答えながら、燃え尽きそうなろうそくの火を、溜息で吹き消した。

やれやれ、こうしてしがらみがふえていくのだ。



***



心せよ亡霊を装ひて戯れなば、亡霊となるべし



「さて、うどんでも食べに行くかい?今度こそ嘘偽りなしに休憩だけれど」
「お前の言葉は一つたりとも信じる気になれない」
「今回は味方なんだから信用してもいい」
「まさか、うどんも口布をつけたまま食べるのか」
「それはお楽しみ」
「その容貌でお楽しみという言葉を使うな」

inserted by FC2 system