And But Cause I love you


まろびあう真実

バイバイさようならありがとうまた明日
泣いてなんかいません



***



「遅えよ」
「僕が早かったことなんてある?」
「無くはないだろ」

留三郎は寄りかかっていた松の幹から背中を離して答えた。よいしょ、という掛け声。よいしょって。僕らの年で使うかな?
彼ははしはしと服を払う。別に汚れてなんかいないけれど、無意識なんだろう。
じっと見つめる僕に気づいたのか訝しげな瞳を向けてくる。留さんはおっさん臭いなぁと笑った。

「否定はしねぇ」
「お、意外な反応」
「いやぁ、俺も歳くったよ」
「何言ってんの、若人。ピチピチの15歳!」
「そんなに褒めんな」
「因みに僕も15歳」
「いよっ、御大名!」
「そんなに誉めないでよ」

少しだけ息を吐いて、彼は微かに笑った。二刻ほど遅れた僕をそれ以上責めることもなく。
真夜中。月も傾き始めた時刻。あまり人の来ない学校の裏庭。綺麗に晴れ渡って星ばかり見える。夜露で湿気た地面。涼しい。居心地は上々。
まぁ、こんな時間にうろつく奴なんていないだろうけど。
文次郎あたりはもしかしたらまだ鍛錬してるかもしれない。一度彼は隈が消えるまで眠るべきだ。保健委員としてはそう言わざるを得ない。良い子は眠る時間です。
とは言っても、僕等も鍛錬するわけでも無しに夜更かししてるわけだし。今に限って言えば、多分僕等の方が悪い子。昔からだったっけ。

「僕等、何やってるんだろうね」
「んん?密会じゃねえ?」
「おお、貴方を一目見るために、幾多の罠を越えて参りました!」
「お前が言うと洒落にならねぇな」
「笑えない?」
「結構笑える」

言葉とは裏腹に彼は別に笑わない。嘘つきさんめ。悪い子悪い子。
静かなら雰囲気があるのかもしれないけど、いやはや。虫の音。鳥の声。下級生のいびき。いつも通りだ。
上級生の方からはいびきなんて聞こえないことも。
起きているはずの先生達の物音が一つもしないことも。
何だって、見えない物の方が怖いよね。お化けも怪我も人も。

「お前の不運体質はともかく、遅れないようには出来ねぇのか?忍務の時とかでさえたまに遅刻してるだろ」
「出来るならとっくにやってるよ。僕がわざと遅刻してるとでも?」
「そうは言わねえけどよ。もうちょっと注意深くなったらどうにかなるんじゃねぇの?」
「僕の不運を甘く見ちゃいけない」

伊達に15年、この体質に付き合ってきた訳じゃ無いのだ。憎たらしいくらいに不運は的確に襲ってくる。慣れたけど慣れたく無かった。
ひょい、と留三郎が松ノ木を登る。中腹の枝に座る。後を追いかけたら小枝に裾が引っかかってほつれた。これも集中力の問題なのかな。いやいや。
彼の隣に座れば呆れた目が迎えた。一部始終見てたらしい。よいしょ。そう言って座れば、お前もじゃねぇかと言われた。確かに。

「僕もさ、毎回毎回遅刻するのも悪いと思ってね。時間があった時、待ち合わせよりも三刻早く出発したことがあるんだ」
「へぇ。それで間に合ったのか?」
「間に合うも何も。」

溜息を吐かざるを得ない。不運ってのは知性を持ってるんじゃないかって説を僕は唱えたいね。

「三刻前に着いたさ」
「あー、成る程」
「そんな時に限って、落とし穴の一つにもかからなければ、罠の一つにもはまらないんだ」
「正直な話していいか?」
「どうぞ」
「笑える」
「奇遇だね。僕もだ。」

月が照る。にやにやと笑う彼と僕を映す。
静かだ。とても。
虫も鳥も、いびきも、夜の静けさに比べればちっぽけ。
さっき、正反対の事を思ったような気もするけど、別に嘘をついた訳じゃない。その時その時で正直にやってるだけで。悪い子じゃありませんよ!
そもそも誰に言い訳してるんだろうと思ったら自分にだった。自分の騙し方。授業で教わった記憶は無いけど、人は勝手に覚えます。

「で?因みに今日はなんで遅刻したんだ?」
「ああ、怒らないでね。」
「今更お前の不運に怒ってどうする」
「うん。じゃあ言うけど」

僕はそれでも拳骨を喰らう覚悟を決めておく。彼はぐだぐだと、過ぎた事を怒るような無駄なことはしない。けれど、怒る時にはちゃんと怒る奴だ。主に、手で。

「ぶっちゃけ、理由なんて無いんだ。」

予想していた拳は飛んで来ない。ただ、唖然とした顔で僕を見る。一拍置いて首を傾げた。

「は?理由の無い不運って、当たり前だろ?理由あるなんて、そんなんただの怨恨じゃないか」
「そうじゃなくてね、不幸になんて逢ってないの」

また一拍。言った意味を理解したのか飛んできた拳骨。後頭部に当たる。いった。
とは言っても、予想していたよりは痛く無い。どうやらただのツッコミ代わりらしい。それにしては暴力的過ぎると思うけど。
彼の目に怒りは浮かんでなかったが、若干細まっていた。嗚呼、返事を間違えたらキレるな。これ。

「何が《わざと遅刻するとでも?》だ」
「あはは。いやぁ、ゴメン」
「何だ?お前は理由もなく俺をここで二刻も待たせたってのか?」
「理由はあるよ」
「言ってみろ」

さぁ、ここが分かれ目だ。彼を怒らせないためには何と答えればいいだろう。
幾つか丁度良い嘘は見つかったけれど、結局僕は正直に答えた。

「なんか、遅刻しなきゃって思ったんだよね」
「理由になってねぇよ」
「うーん、でも本当にそうなんだよなぁ」
「ふざけんな」
「ふざけてはいないんだけどね。そうだなぁ」

静かな夜。僕らの話し声だけが響く。いや、響かない。全て吸い込まれている。慣れた空気。
この学園に満ちる空気は絶対に外とは違うと思う。たまに外泊すると、どんなに人里離れた所でも、その騒がしさに驚かざるを得ない。

「なんかね、時間が来て、ああ留さんが待ってるから行かなきゃと思って」
「おう」
「でもまたどうせ綾部君の落とし穴とか引っかかって遅刻するんだろうなごめんねと思って」
「で?」
「それでも留さんは、ああ、伊作はまた罠にでもかかって遅刻だな、とか思いながら待っててくれるんだろうなと思って」
「まぁ、その通りだ」
「遅刻しなきゃって」
「そこがおかしい」
「だよねぇ」

僕は考える。考えるふりをする。
自分の騙し方。
自分が判らないってのは、僕はすべからく嘘だと思う。自分のことなんて、自分が一番良く知ってるもんだ。ただ、誤魔化すだけ。
見ない振りと知らんぷり。でも、誤魔化した自分に気づいてしまっていたら、それはあまり意味がないし、気付かないことは不可能に近い。

「多分ね、僕は、留さんの知らない僕を作りたかったんだよ」
「はあ?」
「だってさ、僕等同じ組で、同室で、6年間もやってきてさ。お互いに知らないことなんて無いじゃない」
「ま、細かい事はともかく、そうだな」
「僕が遅刻したら、留さんは僕が罠に引っかかったって理解してくれるでしょう?」
「まぁ、経験的にな」
「そうじゃない僕もいるんだよーって」
「お前なぁ」

彼はとうとう怒らなかった。大きく溜め息をついて、溜め息をついて、溜め息で、終わり。

「そんなん、俺に言っちまったら意味ねぇじゃねぇか」
「え?」
「俺の知らないお前を作りたいなら、俺には秘密のままでいろよ。結局俺知っちまったじゃねぇか」
「あ、そっか」
「まぁ、いいけどよ。そういうことにしといてやる」

僕は答えない。僕の嘘がばれても答えない。彼もそれでいいと言ってくれたんだ。そんなの、騙したことにはならないだろう。僕は良い子でいたい。
月が傾く夜中。ここにきて僕はようやく気付く。そういえば。

「何で僕呼び出されたの?」
「ああ?」
「そういえば理由聞いてなかったなって。何か用事あったんじゃないの?」
「今更かよ」

まぁ、今更といえば今更だ。本題に入る前にどれだけの時間を消費してるんだ。
まあ、そもそも本題を知らないのだけれど。お粗末さま。流石に悪かったかなと思って返事を待つ。

「理由なんてねぇよ」
「は?」
「だから理由も本題もねぇよ。何となく」

彼はこちらを見ようとしない。今度は僕が一拍置いて、理解する。彼が怒らなかった理由がここに来て判った。
なんだ、許すとか許さないとかじゃなくて。

「僕、結構重い忍務から今朝帰ってきたばっかりなの知ってるよね?」
「勿論」
「で、明日も早くから別の忍務で出立するからその準備で全然休んで無いのも知ってるよね」
「俺も手伝ったからな」
「その節はどうも」
「どういたしまして」

大きく息を吸い込む。食満留三郎この野郎。

「で、そんな寝不足の僕をこんな夜中に引っ張り出したわけ?理由もなく?」
「おう」
「殴っていい?」
「断る」
「さっき自分は殴ったくせに」

ようやく彼はこちらを向いた。少しバツが悪そうに目線を逸らしながら。あー、とか、うーとか。意味の通らない言葉。
それでも待っていたら、居心地悪そうに話しだした。

「少なくともお前には拒否権があったわけだろ。俺の誘いを断るっつーさ。」
「ほうほう」
「それでも受けたのはお前の意志な訳で、俺に責任は無い」
「まさか何の理由もなく呼び出されるとは思わなかったからね」

夜風。吹き抜ける。気持ちいい、と、肌寒いの間。理由なく人を呼び出す時間じゃない。僕が遅刻したことを差し引いても。
本当に意外だ。少なくとも彼は気を使う人間だ。まあ、たまに方向性がズレるけれど。
それにしたって、ここまで自分勝手な理由で呼び出されたこと、あっただろうか。

「お前の知らない俺を作ろうと思ったのさ」
「それ僕に言っちゃ駄目じゃない」

そもそも最初に、理由なんて無いって自分で言っちゃってるからね。
凄い勢いで顔を逸らされた。
溜め息。溜め息だけで終わらせる。彼は怒らないんじゃ無くて怒れなかっただけか。
どっちもどっち。

「まったく、僕等二人して愚か過ぎる」
「良いじゃねぇか」
「ま、悪くは無いかな」

ぼんやりと周りを眺める。意味の無い時間。多分寝るべきなんだ。明日遅刻したくないなら。彼だって早朝授業があるはずだ。
と、僕の理性は言う。言う事をきくつもりはない。悪い子。
沈黙。気まずくは無かったけど彼は口を開いた。

「『ほんとうのことというものは、ほんとうすぎるから、私はきらいだ。』」
「へ?」
「長次の奴が言ってた。どっかの文献にあったらしいけど」
「へえ」

脈絡が、あるようで無いような話だ。うん。さらに言うなら、判るようで判らない話。
どういうつもりでこの話題を出したのかと思ったけれど、彼の表情は別に何も伝えてこなかった。ただの雑談らしい。
ならば僕もそのつもりで聞こう。ほんとうのことはほんとうすぎる。

「人はいつか死ぬとか、そういう当たり前のことを言うなって事らしい」
「よく判らないねぇ」
「ああ、さっぱりだ」

当たり前の事は当たり前過ぎる。うん。そうだね。
でもそれが何を表すのか僕はいまいち掴めない。長次の話は難しい事が多いから、たまに理解できない。
言ってる意味は判らなくもないんだけれど、そこに込めた意図が判らないんだ。
長次の奴は、と彼が続けた。

「言ってる意味が判らねえって言ったら、《私達が忍者であるということ》だとよ」
「ああ。成る程。それは確かに、言う必要が無いね。無意味だ」
「そりゃ判るが、結局何が言いたいのかがさっぱりだ」
「まぁ、僕ら基本馬鹿だからね」
「ああ、俺達は馬鹿だ。」

クスクスと彼が笑った。僕も笑う。馬鹿だ、俺たちは馬鹿だ。繰り返す。馬鹿だね、僕たち。
昔はその言葉を言い訳に好き勝手やっていた。
だって、僕等は馬鹿なんです。だから間違えても仕方ないんです。無駄なことをしちゃうんです。我が儘を言って困らせるんです悪戯するんですだって、馬鹿だもの。
そう言って、怒られては泣いて笑った頃。
懐かしい。懐かしいくらいに昔の話だ。何時からだろう。馬鹿な僕たちは。

「それでも、いつから俺達はこんなに真面目で立派な人間になったんだろうなぁ」
「君のどこが真面目で立派なの?」
「二刻も遅れた友達を律儀に待つ所とかな」
「まだ引っ張るのかい、それ」

あの頃、僕達は間違いなく、悪戯ばかりする、手の掛かる、良い子だった。
そのままでいたかったと思う時点で、僕らはもう良い子じゃないと言うことを自分で認めてしまっている。
自分のことを騙しても、結局自分の認識からは逃れられないままだ。自分のことが判らないなんて、そんなの嘘です。
良い子でも悪い子でもなく。

「こうやって大人になっていくんだねぇ」
「もう大人になっちまったよ」
「ほほう。その心は?」
「大人を騙すようになった」
「僕等、結構昔から騙してた気がするけど」
「で、大人が騙されたフリをしていることに気がついた」
「ああ。それは判る気がする」

それは例えば、幼かった僕等。先生を驚かせようと茂みに隠れていた時。先生の驚いた顔。少し笑みを湛えていたことに、気がつかなかった。
今、下級生が似たようなことをやっているのを見ると、少し微笑ましい。先生のあのわざとらしさに、気がつかないんだもんなぁ。
騙すことも騙されるフリもどんどん上達していく。
それは例えば、さっきの僕の拙い嘘を、「そういうことにしておいてやる」と言った君。

「それから?」
「同じことやってる自分に気づいた」
「結構絶望的じゃなかった?」
「おう。結構凹んだ」

凹んだという割には特に表情を変えることもなく彼は話す。僕も別に、今更何かを思ったりはしない。
嘘をつかれて怒って喧嘩して、嘘をつくようになって、僕等は憤る権利もなくした。そのことに気づいた。大人になっていく僕ら。
それに絶望していられるうちは、まだまだ純粋だったなあ、なんて、今更、ね。

「んで?このままだと、人を騙すのが大人っていう定義になっちゃうけど」
「極めつけがある」
「何かな」
「このままだって気づいた」
「うん?」
「ゆるゆると変化して、たまにそんな自分に気がついて、それでも大半のことに気がつかないまま、何かが解決されるでもなく適度に激動に生きていくってこと」
「成る程」

ま、こんな事話してるって時点で、まだまだ子供なんだろうけど。
留三郎はそう締めくくった。それもそれで、その通り。
いやあ、実に中途半端だ。子供なのに大人で、大人になるには子供過ぎて、そんな自分のあいまいさにすら気が付いてしまった今。
きっとこのまま、大人になったと確信を持てないまま、子供じゃないことだけ判るようになっていくんだろう。

「まあ、良いんじゃないかな」
「ああ、悪くない」
「怖いけどね」
「怖い?」

時間がたつのが、さ。
そう続けたら首を傾げられた。ただ、それ以上説明するつもりはなかったので黙る。彼も追及はしてこなかった。
目に見えない物は怖い。それは例えば時間とか、未来とか。

「僕等ってさ、仲良いよね」
「はあ?」
「僕等っていうか、六年の皆、さ」
「恥ずかしい奴だなお前。そんなこと、言うだけ無意味だ」
「照れ隠ししなくてもいいのに」
「言うだけ無意味だ」

その通り、だって当然の事だから。
僕等が大人になるのも、いつか死ぬことも、何もかも。当然のことで、だからそれは言う必要のないことだ。
だったら嘘をついてでも馬鹿をやっていようか。愚かしいことを、子供の振りして。大人になるまでは。
決定的な一言から目を逸らして自分を騙そう。

「寝るか」
「そうだね」
「あーあ、明日朝きっついな、これ」

松ノ木から降りる君。あとを追う僕。
服は小枝に引っかからなかった。

「お前、これで帰りに罠引っかかるなよ」
「気をつけるけど、今のうちに謝っておく、ごめん」
「昔っから、お前と帰って何も起きなかったことが無いからな……」

笑って答えながら僕は嘘をつく。
君は知らない。
僕が待ち合わせの時間通りに向かった事。僕を待つ君を見て、引き返したこと。
それは、つまり、時間通りに到着してしまったということ。
僕たちは大人になるし、子供のままじゃいられない。
見えないものは怖い。それは、お化けも怪我も、時間も未来も、吐いた嘘もこぼした本当も、人の気持ちも。
成長してしまう、ということも。

「おい、伊作、置いてくぞ!」
「ああ、待って待って!」

君は馬鹿だ。僕はちゃんと、正直に言ったのに。
『不幸になんてあわなかった』
大人になるということ。成長するということ。変わるということ。

さて、とりあえずは、右斜め前方に仕掛けられた落とし穴に向かおう。
きっと君は呆れて引き上げてくれる。
そのあとは、小平太が掘った塹壕に嵌ろうか。
夜明けまでには部屋にたどり着きたいけれど、君の知っている僕ならきっと間に合わないだろうから。
君の知らない善法寺伊作を作りたいんじゃ無くて、僕は、君の知らない善法寺伊作になりたくない。
それが叶わないと知っているから。

「うわぁっ!!」
「おいおい、伊作、言ったそばから落とし穴ハマってんじゃねぇよ!!」

だから僕は嘘をつく。我ながら、馬鹿だね。



***



バイバイさようならありがとうまた明日
泣いてなんかいません

どれが嘘で、どれが本当なのか、僕等はもう知ってしまった

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