And But Cause I love you


方舟の外で待つ

自らの裕福さを知るということは、どこまでも続く無限の後悔に過ぎない



***



叩きつけるような雨だった。世界を全て押し流そうとするような豪雨の日だった。
空は昼間だと言うのに暗く暗く暗く、夜のように優しい色をしているわけでもなく、ただひたすら鈍く重く何もかもを押しつぶすかのように立ちこめていた。
そんな雨の日だった。世界を全て壊してしまうような雨の日だった。
何故、自分はこんな日にこんな所で立ちすくんでいるのだろう。ココはぼんやりとした頭で考える。
ぼんやりというのでは少し事実からは逸れるかもしれない。彼の頭は、実際平生と変わらない明晰さを保っていた。
彼の目に飛び込んでくる世界は、相変わらず人の何倍もの情報量で彼の脳に負担をかけていたが、そんなことは一つも気になってはいなかった。瑣末な問題だった。
いつも通りの世界だった。ただ少し、激しい雨が降っていた。結局のところ、それだけのことだった。
だからそう、彼はしっかりと理解していた。どうやって自分が此処まで来たのか。どうして自分がこんな所で、雨に打たれているのか。
何故ずぶぬれのまま立ちすくんでいるのかちゃんと理解していた。
何か言葉を発そうとしたのだろうか。それは本人も預かり知らぬ無意識の産物だった。
彼は口を薄く開いたけれど、開いた途端に雨水が口の中へ入り込んできて、結局すぐにとじることになる。
自分は今何か言葉を言おうとしたのだろうか。ココは首をかしげる。現実の彼は微塵も身じろぎせずに立っているだけだったのだが。
内心で彼は小首をかしげていた。僕は何をしようとしていたのだろう。
頭の中に暗雲が立ち込めていると彼は思う。それは決して間違った比喩では無いとも。
この天気のような、自らの頭上に広がるような、世界の終わり間近の雲が彼の脳に厚く立ち込めていた。だから、頭がはっきりしている筈なのにこんなにも重い。
服はずっしりと重い。身体はとうに冷え切っていた。手の先も足の先も、既に感覚は彼の物ではなくなっている。
ぐちゃぐちゃにどろどろにそして何よりも重く重く彼は大地の上で立ちすくんでいた。雨がやむ気配は無い。
耳元でひたすら響くその雨音は、彼に何かを伝えようとするかのようだった。もしくは、彼を世界から遮断するかのようだった。
どちらにせよ同じことだと彼は思う。何がどう同じなのかなどは知ったことではないが、自らの本能がそう叫んでいるのだからそれを信じることにした。
本能。本能か。その言葉は彼の中で一つの結論として場所を占めた。誰にも理解できないかもしれないが、本能ならば仕方が無いと彼は理解する。
物には全て、あるべき場所がある。自らの身に降りかかる全ての物は、全て自分の中に存在する位置があるのだと、彼は最近思うようになっていた。
あまりにも観念的過ぎるので、仲間の誰にもそんな話はしていない。恐らく誰にも理解されずに首を傾げられるだけだろう。
またココは一人で訳わかんねぇこと考えてるなぁと、笑い飛ばされるだけなのだろう。それは別に彼にとって不快な想像では無かった。
むしろ笑みを浮かべてしまう類の、暖かい夢想だった。今の彼は頬笑みを浮かべるどころか、一つの感情として口の端に浮かばせることは無かったけれど。
全ての出来事は彼の中で彼の中の居場所を持っている。それはココの中で一つの確信として確かに存在していた。
どんなに言葉に出来ない事象も感情も、その全ては彼の中に一つ一つ根付いて存在していた。
もう忘れてしまったような遠い過去の記憶も些細な日常も、彼の身体の細胞の一つに宿って息づいていた。そうやって彼は出来あがっていた。
そして恐らく、他の全ての人間もそうだろうと彼は考えていた。
さて、自分はこんな所で何を考えているんだろう。その疑問が既にもう数え切れないほど頭の中で繰り返され、そして答えが出ていることを彼は自覚していた。
自覚していたが、自覚するたびに雨に押し流されていた。頭の中の雨雲が、彼の脳を浸して彼を溺れさせていく。思考は全て泡のように消えていく。
そんな自分自身を彼はちゃんと自覚していた。

「………ココ?」
「…やあ、トリコ」
「お前、そんな所で何やってるんだよ」
「たまには滝修業もいいかもしれないと思ってね」
「とりあえず、中入れよ。風邪引くぞ」

トリコは珍しく、うろたえたような顔をしていた。いつも前を向いて後ろを振り向かない彼には珍しい表情だと思う。
狼狽したその表情に、呆れと若干の怯えにも似た疑惑を混ぜて、それでも本心からココの事を心配していた。
スイーツハウスの前で立ちつくしていたココはここにきてようやく自らの思考が言語化されて脳に認識された事を感じる。そうだ、自分は気がついて欲しかったのだ。
誰かに。出来れば彼に。その結論にたどり着いて、彼は幽かな苦笑いを浮かべる。彼はゆっくりと敷居をまたいだ。「この大雨だからテリーは中に入れてたし」
家の中を、初めてでも無いのにゆっくり見回すココを視界に入れずにトリコは話す。「鼻はほとんどきかねぇし、まさかお前がこんな雨の中立ってるとは思わなかったぜ」
そんなトリコの言葉を緩く聞き流す。何の感想も持たずにただ家の中を見つめる。
それでも自分の幽かなにおいをかぎつけて、いぶかしみながらも扉を開けて確認してくれたという事実。それはココの胸に柔らかい感情をもたらした。
トリコの家の中は、相変わらず何も変わることなく甘いにおいを漂わせている。この大雨にも負けることなく溶けることなく、家としての役目を果たし続けている。
その現実をある種の感嘆をもってココは見つめた。流石、天才建築家が立てただけはある。防水対策も万全ということなのであろう。
家というのは安全で、かつ安心して気を緩められる場所であるべきだ。その点でこの家は家とは呼べないような形をしていても、しっかりと家として存在している。
その事実は彼の内に何かの感情を呼び起こした。その感情を彼は勿論知っていたが名前は知らず、説明できるようなものでもなかったのでやはり自分のあるべき場所にしまう。
右のわき腹掌一つ分内側。そこに収まって、また彼を作る細胞の一つになる。

「なあ…なに怒ってんの?」

そのトリコの言葉に、意表をつかれたかのようにココは呆けた顔でその青い髪を見つめた。怒る?怒っている?「別に、一つも怒ってなんかいないさ」
そう返した言葉は本心からのものだったはずだがトリコは頭をふった。慌てて「本当さ。本当だよ」と繰り返せば胡乱気な目を向けられる。
その目線がさしているのが自分ではないと気がついてよくよく目線を辿ってみれば、そこには乾いた清潔な真白なタオルと、いつの間か淹れられた暖かいミルクが置いてあった。
いつの間に。驚愕するココを引きずって、トリコは無言のまま風呂場へとココを叩き込む。ああ、ミルク、冷めちゃうなあ、などと場違いな感想をココは抱いていた。







「んで、どーしたんだよ」

風呂場から上がったココを待っていたのは、淹れなおしたのであろう、やはり暖かいミルクであった。
ゆっくりと椅子に座って、湯気をたてるその白い水面を揺らす。チョコレートで出来たマグがゆっくりと溶けてココアに姿を変えていた。
トリコの様子は既に普段と変わらない、泰然とした、ともいえるものに戻っている。
ココも普段と全く変わらない調子で、まるで雨の中立ちすくんでいた事実など無かったかのような態度でトリコの向かいに座る。不自然なほどに落ち着いた空気だった。
お菓子の壁越しに世界を叩き壊すような音がする。世界が崩壊する音がする。黒い黒い黒い雲が、今頃きっと地上にたどり着いているのだろう。
ココの頭の中では、神話の中の洪水のように世界は今終わりを迎えていた。それでも今は家の中にいるのだから、一つも心配するようなことは無いのだと感じていた。
絶対に安心な、鍵付きの家。誰に襲われる心配も無く、誰にも傷つけられる心配の無い砦。いや、砦は攻撃されるためにあるが、家は守るためにある。
それは理屈などと言う物ではなく、子供じみた童話のルールだということも、結局ココは理解していたわけだが。
穏やかな空気のまま、穏やかな気持ちで、口元に飲み物を運びながら答える。

「怒ってなんかいないよ」
「それはさっき聞いた」
「ああ。実はね」
「おう」
「気付いたんだ」
「何に」
「僕が幸せだってことに」

ココの返事が予想外だったのであろう。トリコは同じく口元に運んでいたブランデーを喉に詰まらせてむせた。
その様子をココは愉快そうに見守っている。まるで予想通りだとでも言うかのように。むせて苦しんでいるその姿を、少し意地の悪い笑みを浮かべながら。
その姿を見て、対照的にトリコは睨みつけた。抗議の意味を込めて、だ。ただ、全く意味が無さそうだと言うことを悟ると、諦めたように表情を変える。
こいつは自分の台詞の意味と、それがもたらす衝撃を予想したうえで、なんでも無いことのように発言しやがったのだ。
トリコは内心で溜息をついた。底意地が悪すぎると彼は思う。全て口には出さない。判り切ったことだったからだ。四天王一の優男は、仲間には結構辛辣である。
小松もココの口調をそのように評していたが、あんなものはまだまだてれ隠しのようなものだ。気が緩んだココは容赦が無い。
今日のトリコといえば、狩りに出かけた所で大雨に振られるという、お世辞にも良いとは言えない目に遭っていた。
朝から小雨は降っていたが、それでも問題は無いだろうと思い出発したのが敗因だとは誰に言われるまでも無く彼が一番理解している。見込みが甘かった。
狩りどころでは無い。一寸先は見えても、それより先は一つも見えないような、酷い視界だった。叩きつけるように振る雨の弾丸は容赦なく地面をえぐる。
こんな大雨では、どんな獲物も穴に籠ってしまうし、捉える前に自分が雨にくわれてしまいそうだ。トリコは自らの直感を信じていた。今日は、もう帰った方が良い。
恐らく探せばある程度は見付けられるだろうし、別にこの雨で死ぬようなことも無いと判っていても、それは理屈では無かった。
大自然の恐ろしさは身にしみて判っていたのである。何が起こるかなんて、予想通りに物事が運ぶかなんて一つも保証が無いことも。そうして彼は急いで引き返した。
途中で見つけた迷子の大羊をありがたくいただいて、だが。流石に手ぶらでは自分が空腹で死んでしまう。
そうして家について、ずぶぬれになった服を洗濯かごにつっこんで、風呂に入って一息ついて、今日はもう寝てしまおうかなどと思っていた所でのこの出来事である。
彼が溜息をつきたくなったとしてもなんらおかしなことでは無かっただろう。ただ、それよりもトリコは、少し様子のおかしなココの事が気になっていた。
いや、その所作に、台詞に、普段と違う所など何一つとして無い。何一つとして無いからこそ、雨の中立ちすくんでいたあの瞬間が異様だった。
普段のココはあまり他人と関わることをよしとしない。しかしそれ以上に他人に迷惑をかけることを嫌う性格である。
それを知っていたからこそ、トリコの目につく場所で不可思議な行動をとっていたことが違和感として残った。
彼の眼の届かない場所でどれだけ悲嘆にくれ咆哮をあげ自らの無力を嘆いて自傷自罰をしていたとしてもあまり驚かないが、自分の家の前というのが不可思議だったのだ。
それを、だ。内心で彼は頭を抱える。普段とそぐわない行動に心配してみれば、「幸せ」だと。
それは予想と全く違う、ま逆ともいっていいベクトルの物で、彼にはどうやらその過程を理解できそうにも無い。

「そりゃ、よかったな」
「ああ。ありがとう」

祝福されるのが当然だとでも言うように、ココの返答は落ち着いた物だった。半分ほどになったココアの中身を見つめて微笑んでいる。
しかし、トリコからしてみれば、判らないことだらけだった。というよりは、最も基本的な最初の疑問に、ココは全く答えていなかったのである。
「幸せだっつーなら、なんであんなとこで突っ立ってたんだよ」とトリコが問えば、突発的な行動だからあんまり深い意味を求めないで欲しいと苦笑いされた。
その意見をトリコは一蹴する。ココが突発的だと言うのなら、確かにそれは突発的なのだろうが、それは無意味ということではない。
そこには発生するだけの条件と状態が存在して、故に彼はこのような突飛な行動をとったはずであった。
何の役にも立たない行動をとしても、無意味な行動はしない人間だ。彼が動いたからには、そこに理由がある。例えそれが彼にしか判らない物だったとしてもだ。
とりあえず話してみろ、そうトリコは促した。自分の家の目の前でそんな行動をされていたのだから、それを聞く権利くらいはあるであろうと思って。
ココも話す義務があるとでも思ったのか、特に抵抗することなく話し始めた。

「僕はさ、幸せなんだよな。そう思ったんだ。自由奔放で天衣無縫で縦横無尽な友人がいるし、占いのお店はそれなりに繁盛しているし町の人たちは優しいし」
「そうだな」
「僕はたいして誰の事も傷つけずに生きることが出来ているし、食べる者にも寝る場所にも着る物にも困らないし」
「そりゃその通りだ」

滔々と、台本でも読んでいるかのように語るその姿はまるで何度も何度も練習を重ねた役者のようだった。
ココの話す内容の意味が把握できない分、様子だけを見てトリコはそう感じていた。恐らく何度も自らに言い聞かせたのだろう。そう察する。
自らの中で、自らを納得させるために幾度も幾度も反芻した台詞だったのだろう。咀嚼して咀嚼して咀嚼して飲み込み続けたココの舞台台詞。
それはトリコには判らない感覚だったが、ココがその類の、意見を吟味する人間であることは理解していた。
彼の中で、この台詞は幾度繰り返されたのだろうと、予想もつかないその途方ない回数を思ってトリコは溜息をつく。

「僕よりも不幸せな、可哀想な哀れな人達は確かに世界に沢山存在していて、あんまり良いことじゃあないが、その人達と比べても僕は幸せだと思ったんだよ」
「まあ、他人と比較しても意味は無ぇと思うけど、そうだな」
「そうしたらさ、僕は色々なことに絶望しちゃいけないような気がしたんだよな」
「あ?」
「僕の絶望なんかちっぽけな物だってことさ。悲劇の役者になることで自分を慰めようとしてた時期もあったんだけどね」
「それ、慰められるか?」
「ああ。結構良い手段だったよ。それに、世界で一番可哀想な自分を想像してたりもしたんだけど実際そんなことは無いし、凄く馬鹿らしい考えだと思ってさ」
「ちょっと待て、話がよくわかんなくなってきたぞ」

頭を抱えるトリコを、ココはただ優しい目で見ていた。きっと判らないだろうと思った。そういう目だ。そして伝わらないことを喜んでいる目だった。
その癖、理解しないトリコを寂しく思う目だった。隠れた「やはり」という言葉の裏に、更に隠された悲嘆を確かにトリコは嗅ぎつけていた。
そこまで細かいことは判らずとも、そのような矛盾を抱えた目で見つめられたことにトリコは気がついていたし、自らの感情の矛盾に、勿論ココは気がついていた。
お互いがお互いのことを自覚しすぎているが故の、奇妙な連帯感と、圧倒的な断絶があった。
矛盾を正そうとするが故に議論が生まれ、自らの意思を押し通すために議論が始まるとしたら、この場では何も生み出されることはなかった。
あるがままに受け入れるということは美化して語られることが常々だが、それは何時も諦めと薄皮一枚隔てた場所に存在している。
何かを諦めたように笑う事が多いココだったが、その点で言えばトリコもお互い様なのかもしれなかった。
少なくともトリコには、このココの主張は認識できそうにも無かった。何故自らが幸せだと感じることで絶望に浸れなくなると嘆くのであろう。
幸せならば幸せなのだからそれでいいではないか。何を好き好んで自ら暗い道へと進もうとするのだろう。先の見えない雨の中立ちつくすのだろう。

「でもさ、絶望に浸れないって、結構つらいんだよ。特に、僕みたいな根が考え過ぎでうじうじしちゃうタイプの人間には」
「自分で言うかそれ」
「自分の事を憐れんであげられないっていうのはね。なかなかハードだ。」

悲しそうに言うのでも冗談交じりに言うのでもなく、僅かなほほ笑みをうかべて話されるとトリコは対処に迷う。
ココは自分が口出した台詞を、少しだけ感慨深く眺めていた。そうか。音にするとこんな風に聞こえるのか。
それはココが思っていたよりもずっと軽く、そして自分勝手な意見のように響いた。そして事実その通りなのだろう。
心の中で考えているだけの言葉と、空気に触れて呼吸を始めた言葉はこんなにも違うものか。
考えているだけでは判らないこともあるものだと、何度目か判らない発見に笑いがこみあげてくる。
お前、ポジティブなんだかネガティブなんだかどっちかにしろよ。そう言おうとしたトリコを遮るかのように、ココの明るい笑い声が響く。
そんな反応をするなよ、と笑声に紛れて言葉を放つ。お前にそんな顔されちゃあ罪悪感がわいちゃうじゃあないかと。

「そういうことをね、昔考えたんだよ」
「しかも昔の話かよ。どっから昔の話だったんだ」
「自分が幸せだってことに気付いたあたりかな」
「一番最初じゃねぇか」

どっと疲れが襲ってきたトリコに対して、ココの笑い声は愉快さを増していくだけだった。からころと、雨に負けずに鈴が鳴る。
少し温くなったココアを飲みほして、満足そうな吐息をつくココと、机に突っ伏しているトリコの姿は見事に対照的だった。
それでもトリコが怒る気になれないのは、この幼馴染がこのような形でしか吐きだせないことを知っているからだった。
ここまで吐き出すようになっただけで随分な進歩なのだ。どうもその方法が捻くれている気がしないでもないが、そこには目をつぶろうと彼は思う。
他人の何十倍もの情報を処理して、他人の何百倍も悩む。頭が良いこの幼馴染は、そんなことを当り前だと思っているようだが常人には無理な話だ。

「それで、んな昔に考えてた事をなんでまた引っぱり出してきたんだ?」
「なんかさ、そう考えたことをふと思い出したんだよ」
「あー、まぁそんなこともあるかもしれねぇな」
「そしたら、僕の身体にある色々な物の位置がずれちゃった気がしたんだよな」
「いや全然意味わかんねぇ」
「これは判らなくていいよ」
「はー…。またお前は一人で訳わかんねぇこと考えて悩んでんだな」

そのトリコの言を聞いて、ココは一瞬不思議そうな顔をした。きょとん、という稚拙な形容がとてもよく似合う顔だった。
トリコは知る由も無い。その台詞が、まさにココの期待した台本通りの物だったとは。そしてココも、その通りに話が進むだなどとは露も思っていなかった。
一拍置いてまた笑いだしたココと、まだ状況がつかめずに首をかしげているトリコ。それでもココに説明するつもりはなさそうだと見てとって、諦めて窓の外を見た。
大雨は少し小ぶりになってきただろうか。相変わらず雲は立ち込めていたが、視界は少し開けていた。世界が少しずつ、元の形を取り戻してきている。
この大雨の中でも、あいつの目は世界をとらえ続けていたのだろうかと、トリコはふと疑問に思う。

「んで、その位置とやらは直ったのかよ?」
「御蔭さまで。しっくりいったよ」
「いったい何がずれたんだかさっぱりだけどな」
「お前の位置もずれたぞ」
「俺?!嘘だろ?!」
「嘘じゃないさ。お前の僕の中での立ち位置もずれた。ていうかめっちゃずれた。トップクラスでずれた」
「なんでだよ!今はちゃんと戻ったのか?!」
「ああ。元通りだ」

心臓の下がお前の定位置だよ。
そうココがそう言えば、なんだ心臓じゃねぇのかよ、とトリコは笑った。微妙な位置過ぎねぇか、と。
これで正しいのだとココは笑った。僕が死んでもお前は死なないけれど、お前はいつだって僕を殺すことのできる位置に居るんだ。
その言葉が口に出されることは無かったし、口にしないその言葉はトリコに届くことは無かったが、それはそれでココは満足していた。
ココの頭の中に立ち込めていた黒い黒い暗い雲は少し薄くなってきている。先程のトリコと同じように窓の外を眺めれば、彼の世界は一つも壊れてなどいなかった。
一つも押し流されること無く彼の目の前に不確かながらに存在していた。そのことを素直に喜ばしいと思える。
雨はまだやまない。世界は浮かび上がらない。ココの頭はそれでもまだ洪水で溺れかけている。
ただ、彼の眼には晴れ間が見えた。きっとこのまま、雨水を反射して輝く美しい世界が見れるだろう。的中率97%の天気予報。



***



「てか、だからなんでそれが雨の中突っ立ってたことに繋がんだよ」
「ん?いや、折よく雨が降ってたから」
「一つも折りはよくねぇけどな」
「それで、そういえば前にこんな風に不安定になった時も雨降ってたなーと思って」
「思って?」
「でも、その時僕はひとりぼっちだったんだよな」
「あー、んー、言いたいことはあるけど、それで?」
「それで、やっぱり時が経っても僕は一人で同じようなことで悩んでいてさ」
「ああ」
「進歩が無いなーと思ったらむしゃくしゃしてきて。だったら自分から誰かの所に行こうかと思って」
「だからポジティブなのかネガティブなのかどっちかにしろよ」
「でも、自分から歩み寄るばかりっていうのも悔しいし。自分の身体は自分の身体じゃないみたいだし」
「それで、家の近くまで来て立ちすくんでたのかよ」
「全然違うけどそんな感じ」
「なんだよ、結局怒ってたんじゃねぇか」
「ああ、本当だ。確かにそうだね」

自分ばかりが求めているその不公平さに理不尽に怒っていた。愛してくれだなんて、なんて女々しい言葉だろう

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